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今年も様々な本を読みました。
その中でも最も印象に残った本は「Educated A Memoir」(Tara Westover)でした。(「エデュケーション 大学は私の人生を変えた」というタイトルで、日本語訳も出ています)

あまり内容を書きすぎると、ネタバレになってしまいますので、多くは控えますが、これは著者の半自叙伝です。アメリカ、アイダホ州でモルモン教徒の両親に育てられ、基本的には、アメリカの公立学校制度を信用しない両親の方針で、学校には行かずに育ちました。しかし、お兄さんの1人が独学で大学に行ったのをきっかけに、タラさんは自分も努力をして、大学に行きます。そして最終的には、ケンブリッジ大学で博士号を取るまでになります。

両親また他の家族はタラさんのこのような意思を尊重はせず、家業を手伝わないことに怒り、タラさんをサポートするところが、苦しめる言動をとります。時々、暴力の描写もありますので、読むのが非常に辛い部分もありました。

私は、どうしても教育者の目で読んでしまいますので、タラさんの努力に感心することも然りですが、彼女の才能を見出したケンブリッジ大学の先生と、引き続きケンブリッジで勉強出来るように奨学金など、全力的にサポートされた事に敬意を覚えます。

教育の現場である程度経験を積むと、学生の資質というのは大体分かるようになります。そして、その学生がどのような家庭環境で育ったか、またどのような意思を持って大学に来たかというのもある程度はわかります。それらは、教育の力というよりはそれぞれの学生がもともと持っていた環境です。教員にとって、大事な事は、それぞれの個性を重視しつつ、より力を伸ばすためのサポートをしてあげることです。タラさんの実力そして可能性を見抜いた先生は、非常に経験のある方です。この先生は、ある程度は彼女がどのような家庭で育ったか、そしてそれまでどんな努力と苦労を積み重ねて来たかはすぐに見抜いたのだと思います。しかし、ここで背中を押してあげることに対しては少なからずお悩みになったのではないかと想像します。というのは、タラさんのような環境で育った学生が、その環境から一歩踏み出す事は、常に孤独と精神的苦痛を伴うからです。その力を与えてあげる事はできますが、それに伴う精神的な苦痛は、本人以外の人の想像の域を超えることがよくあるからです。そして、もしうまくいかなければ、その学生にメンタルヘルスの面で更なる苦痛を与えてしまうことになるからです。私はこの先生は勇気を持ってタラさんに進学、そして学問の道を勧めたと思います。教員側の勇気もなければ、タラさんのような過酷な環境で育った学生を、将来の事もを考えてサポートする事は難しいのです。

この本は、タラさんのような方が、学問の道に進むという点においては必ずしも恵まれていない家庭環境をいかに克服してきたかと言う事を読むだけでも十分な価値がありますが、私にとっては、さらに教育(義務ではない高等教育)とはどういうものか、そして、教員のそこでの役割は何なのかということも深く考えさせられました。

特に、ここ2年はコロナ禍において、教育現場では、各教員そして学生が毎日のように、様々な制限の下で工夫をして、学習による便益をできるだけ最大化する工夫をしてきました。そして、これは来年も続きます。教育によって何を得たいかというのはそれぞれ違いますし、どういう風に学習したいのかも、学生一人一人によって違います。そして教育の目的は何なのか?これも人それぞれでしょう。

この本の最後の一文が最も印象に残りました。'You could call this selfhood many things. Transformation. Metamorphosis. Falsity. Betrayal. I call it an education.'

教育によって広げられる可能性は無限大であることを、タラさんがこの本で証明して下さったような気がします。

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