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平昌メディア村の食堂でのボランティアとのことを思い出す、東京五輪な日々(7月最後の日記)

(トップの写真は、2018年平昌五輪メディア村の私の部屋からの眺め)

●7月30日(金)

今年ハマっているのが、ナスをとニンニクを静かに長く炒めること。大変美味しいものができあがる。

夕方、セミ9匹捕獲。

●7月31日(土)

暑い、暑い。
午前、今日もセミ取り。15匹。よく取れた。

東京五輪ももう半ば。いくつか印象的な言葉があり、ノートに書き留める。

水鳥監督のツイートを見て、平昌五輪のメディア村の食堂を思い出す。
(話はそれるが、水鳥監督のご実家であるところの水鳥体操館、子ども時代に近くに住んでいたので、よく自転車や車で前を通った。検索してみたら、まだあの当時と同じ水色の体育館、あると知り、感激。あの大きな体育館、手作りだったとは! http://www.mizutori-gym.jp/shisetsu.php

平昌五輪では、複数(10~20棟くらい)の新築高層マンション群がメディア村としてオリパラのメディアの宿として使われており、そのエリアの皆さんが、1つの食堂を利用する形だった。入村時の手続きの際、毎朝分のミールクーポンを受け取ったので、その日の分を持って、いそいそと食堂へ通う毎日。

洋食、韓国料理などさまざまな料理が並ぶながーいブッフェ。どれもとてもおいしかった。
フィギュアスケートは朝6時とか7時とかから公式練習が始まり、競技と記者会見が終わると夕刻近くになるので、朝食をがっつり食べ、一緒にランチ分も取り、日本から持っていたタッパー(たくさん)や水筒にランチ分を詰めて会場に持っていき、メディアルームで食べたりした。(重かった。)よく考えたら、冬のスポーツだからできたことなのかも。夏だったらお弁当が持たない。

韓国料理を好きなこともあり、見たことのない料理を試すこともできてとても楽しかった、という記憶の場所である食堂。
メディアとしてはひとり参加(?)だったので、ひとりで食べたり、途中で誰かに会ったら一緒にテーブルを囲んだりしたけれど、とにかく、1日で一番楽しみなのが、朝の食堂だった(競技以外で)。

▼下の写真は、ある日の朝ごはん。写真が美しくない・・・。朝と昼の2食分です。この半分くらいといくつかのパンを、お弁当として会場に持参する毎日。

食堂

朝は毎日5時台とか6時台に食堂に行くのだけど、たくさんのボランティアの方々がにこやかに明るく迎えてくれたのが、本当に嬉しかった。

おかゆコーナーには、いつも同じおばさまボランティアさんがいて、数日すると「あら、おはよう! 今日もフィギュアスケートに行くの?」などと少しお話するようになったり。
「これをトッピングするとおいしいわよ」など、おばさまにおススメされたものを試し、翌日「昨日のこれ、おいしかった」と報告する、そんな感じ。韓国語と英語で謎な会話をしていたけれど、確かに伝わっていたし、伝わってきた。

私の食堂利用最終日に、おばさまがちょうどいなかったのが、いまも少し心残り。お元気にすごしていらっしゃるかしら。

発散する場もなく、精神的に静かに追い詰められていった五輪期間中、毎朝ほっとさせてもらい、安らぎをもらっていた場所、それが食堂だった。

そんな体験をしたのに東京五輪でお返しできなかったことを、残念に思う。

そして、そうしたボランティアの皆さんたちがアスリートたちといい関係を築いていることが少しずつ報道されはじめ、知ることができてきて、本当に嬉しい。

7月ももう終わり。東京五輪も、柔道や水泳が終わって、レスリングや陸上に変わり、大会期間も後半へ。まだまだ暑い暑い夏は続く。

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