見出し画像

暑い夏に、アレクセイ・ヤグディンを。

SNS上で最近、フィギュアスケートのことにあまり触れていませんが、これまでの十数年と何ら変わりなく、毎日スケート見ています。

本当に暑い日々ですが、こんなときこそ、ぜひアレクセイ・ヤグディンさんの熱い演技を知っていただけたらなと思い、素敵演技をいくつかご紹介しようと思います。ほんとうにあっという間の演技なので、暑さを2分半くらい忘れられます。

なぜ2分半なのか……それは、アレクセイ・ヤグディンさんの競技プログラムの中で、圧倒的に素晴らしいショートプログラムというものが大変に多く、そのショートプログラムがだいたい2分半くらいだから、です。

とはいえ、実はフリーも素敵ですし、さらに言えばエキシビションナンバーも素晴らしく、一言でいえば、私はアレクセイ・ヤグディンが大好きだ、ということです。

演技をご紹介する前に、アレクセイ・ヤグディンさんについて、ちょっと説明しておこうと思います。私よりも長くフィギュアスケートを観戦し続けていらっしゃるファンの方も多いですので、僭越ながら。

新しいファンの皆さんのなかでは、アレクセイ・ヤグディンさんといったら、このあいだの3月、さいたまスーパーアリーナでの世界選手権で、オフアイスで大活躍されていた姿を思い出されるかもしれません。そんなアレクセイ・ヤグディンさんの素晴らしさを再確認したいと思います。

競技以外の時間には、廊下でお弁当を食べているお客さんの横にいきなり座ってインタビューしたり、食レポ的なものをしたり、大変に自由闊達な姿を披露し、ヤグ初見(しかもオフアイスです)の方をも虜にする素敵な数日間を繰り広げてくれました。

以下のようにちゃんとさいたまでのお仕事もまとめられており、ヤグの精力的な動きっぷりのすべてを確認できたわけではなかった私たちにも、彼のお仕事ぶりがじっくりと伝わってくるいい番組をありがとう、という思いです。

本題に移るまでに、かなりの文字数を費やしてしまいました。

ヤグの基本情報を。1980年生まれで39歳になりました。妻はトットミアニーナ。娘2人。先日はこんな愉快な投稿も。幸せそうでなによりです。(バイオ的なものは、ざっくりwikiをご覧ください。)

経歴としては、1997年の世界選手権は初出場で3位。そのエキシビでは、裸にペイントをしたバナナ踊りを披露。
1998年長野オリンピックでは、ショート4位だったのに、10番滑走(ちょっとあいまいな記憶。あとで確認します)で終わったショートの後、髪などを乾かさないままに観戦してインフルエンザに感染。翌々日のフリーは5位で、総合5位。そして、翌月の世界選手権で初優勝。

それまでにいろいろあって、世界選手権で優勝したあと、ミーシン先生からタラソワ先生のところに移って、またまたいろいろあって、プルシェンコ(ミーシン先生のところでの同門で、この2人のあれやこれやや、その師であるところのミーシン先生とのあれやこれやが、激しく濃くてたまらない。)に追い上げられまくったけど、世界選手権の結果だけを見れば、1998年から3連覇。

でもその3連覇のあいだも激しく追い上げられまくっていたので、2000-01シーズンのプルシェンコとの対決はすべて、プルシェンコが1位、ヤグ2位。

そうやって、大事な大事なソルトレイクシティオリンピックシーズンを迎えたわけですが、その初戦のショートが大変なディズアスターで、「スケートをやめる」と泣いてタラソワ先生に訴えたりしたようですが、その後またもいろいろあって、最終的にはそのシーズン、グランプリファイナル、ヨーロッパ選手権、オリンピック、世界選手権の4冠を果たしました。すごいです。

その2002年の世界選手権は長野で開催されたのですが、オリンピック直後ということもあって、ヤグへの日本ファンのフィーバーが凄まじく、彼の演技後に、花やプレゼントを投げるためにリンク近くに駆け下りて行く人々の振動で、仮設スタンドがガチャガチャ揺れまくってまじこわいっていう感じでした。リンクの上が大変な量の投げ込みでフラワーガールも大忙し。

翌シーズンも競技を続ける予定で、スケアメとどこか(ラリック杯@フランスかな)にアサインされていたのですが、怪我のためにスケアメショート1位を最後に引退となりました。(スケアメでは、フリー演技に出てはきたのですが、演技しないで挨拶だけで帰ることに……涙)

画像1

ちなみに、この2002年スケアメショートで2位だったのが、18歳くらいのブライアン・ジュベールでした。彼は、そのキャリアを通じて一貫してヤグファンだと公言していたし、もうそれは誰が見ても明らかな感じだったのですが、なのでこの大会や、その前のシーズンのヨーロッパ選手権でヤグと一緒に表彰台に乗ったことを、ジュベールは大切な思い出としているそうです。

以前、ジュベールにインタビューしているときに、2002年のスケアメの話になったのですが、「あのとき、あなたは優勝したよね。グランプリの初優勝で」と言うと、「よく覚えているね(と、とてもとても嬉しそう)。そうなんだ。優勝もしたけど、あれはアレクセイが最後に出た試合だったんだよ」と言うのを聞いて、ヤグファン同士、同じ思いでいることを確認しました。

話をヤグディンに戻しますが、なぜか、カナダでエモーショナルな演技を見せ続けて、ロシアの選手なのに、2003年のスケカナで引退セレモニーが開かれました。ちなみにそのスケカナにはプルシェンコが出ていて、その男子シングルをヤグがアメリカのテレビ局のブースで見ていたり、なんてことも。

ヤグがいるときにはプルの動向を確認し、プルがいるときにはヤグの動向をチェックする、っていう状況が枚挙にいとまがない感じなのでここに挙げきれないのですが、この2人のあれこれは、スケートを見る喜びを、より大きくしてくれていたように思います。

アレクセイ・ヤグディンさん、本当に多方面に興味深い人物なのですが、それについてはぜひ、彼の自伝をご参照ください。サイコーです。

画像2

ということで、やっとですが、そんなアレクセイ・ヤグディンさんの素敵演技を3つご紹介します。
・2001年世界選手権ショートプログラム
・2000年世界選手権ショートプログラム
・2002年ソルトレイクシティオリンピックショートプログラム

それぞれにものすごく熱くオモシロなエピソードが満載で、そのお話を知ってから見ていただくとさらに楽しいのですが、演技だけでも伝わるものはあると思います。

ということで、以下は宣伝になってしまうのですが、8月24日(土)に、ヤグプル講座(通称)の第4弾が開催されます。ヤグプルについては本当に話したいことばかりで、毎回時間が足りない、と思っています。今回は、2人が出場した1998年世界選手権と1999年世界選手権についてお話します。お時間、ご興味のある方、ぜひいらしてください。

素晴らしい演技は時間を忘れさせてくれます。スケートは、暑い夏にもとってもいいと思います!



このnoteをいいなと思っていただけたら、「スキ」をプッシュいただけると大変嬉しいです。ストアヒガサ(スケート好きの雑貨店 https://storehigasa.stores.jp/)やTシャツ(https://suzuri.jp/storehigasa)もぜひ。