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決断はいつも、結構な切迫状況とともに求められるけれど。

この週末、うちの2歳男児は、39.6度の発熱。

予測式の体温計なので、わきに挟んでいる間にも数値が上下するのですが、一瞬「40.0」と表示され、私の感覚も一気にヒートアップ。

これは熱中症だろうと、リンゴジュースやかっぱえびせん(塩分が必要かな、と)を飲み食いさせるも、弱ったまま。

ときは、土曜日の午後3時。病院は、救急外来的なところに行くしかない状況。外は、熱波。窓を開けて外気温を確認しただけで、かなりくらっとする感じです。こんなとき、「さて、どうするよ?」と、何者かに試されているような気持ちになります。

自分の不調なら感覚もわかるし病院に行く行かないも決められます。でも、2歳児は、「おなかいたい?」「いたくないよ」「きもちわるくない?」「だいじょうぶ」くらいが精いっぱいで、自分の体調を言語化できません。

救急外来に電話をすると、「(病院の状況は刻一刻と変わるため、)すごく待つかもしれないし、すぐにみられるかもしれない」と。そうですよね。

暑い中、弱っている子どもを動かすのはどうなんだろうと思ったり、自分たちもちょっとめんどくさかったりして、一瞬、病院に行くのを躊躇する気持ちがわいてきます。でも、何かあった時に「なぜあの時行かなかったんだろう」と思うに決まっているので、行くと決める。タクシーを呼び、夫と2歳児と3人で階下へ。すると、2歳児、「あ、タクシーだ!」とか「あ、にゃんにゃんトラック(ヤマト運輸のトラック)だ!」と、一気に元気に。様子を見ていても、普段よりは弱めだけれど、意識もはっきりしているし、これは、大丈夫なんじゃないのかしら。

と思っていると、呼んでいたタクシーが到着。この元気さで救急に行ったら、本当に救急な方にもご迷惑かもしれないし、やっぱり行くのをやめようか、と夫と話し、行かないことに決める。タクシーに事情を話したところ、迎車の料金だけでいいとのこと。本当にすみません、ありがとうございます。

ちょっとスーパーに寄って気分転換したのちに帰宅すると、再び弱る子ども。となるとここで、「病院に行かなかったのはまちがいだったのではないか」という気持ちがもたげてくるわけです。

その後、2歳児はソファに寝てしまいました。ちょっと気になって体温をはかると、ふたたび39度台。ああああ、これは……「やっぱり、病院行こう」と、救急に「今から行きます」と連絡し、しまったものを全部出してもう一度準備を開始。そして出発。

病院に行ってみると、熱中症ではなくて、ウィルス性腸炎とのこと。次第に子どもも元気になり、翌朝にはすっかり元気いっぱいで、5時すぎに「朝だから、起きて」と起こしてくれました。眠い・・・。

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子どもが生まれたときから、いやもしかしたら、妊娠に気づいたころからだったかもしれないのですが、「この子を死なせてはならない」という思いに、ずっとずっと静かに静かにとらわれている気がします。ふにゃふにゃの新生児のときには、落としたりつぶしちゃったりしないか、その後も、窒息しないか、水没しないか、交通事故に遭いはしないか、テロにまきこまれやしないか……と、私ってこんなに心配性だったんだっけ?と驚くような思いが次々に沸いてきます。

あまりにも心配なので、小学校6年生男児をお持ちの女性に尋ねたところ、「ああ、それね。一生心配だと思うよ。とくに男の子は。私も、今もめちゃくちゃ心配なことだらけ」と言っていました。仕事先で時々会う、どっちかというクール目に見えるその人のその言葉に、「みんな、そんなもんなのね」と力づけられた思いもしたし、「まだまだずっと心配し続けるなんて」と脱力した気もしました。

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週末の発熱にまつわるあれこれは、育児中によくあるエピソードですが、こんなよくあるエピにも、突然の決断を迫られるシーンがいくつかあって……。子育てにおいて、「決断」は、いつも急に、そして結構な切迫状況とともにやってきます。

そうした状況に直面するたびに、私のなかの意識なのか無意識なのかの根底にある「死なせてはならない」という思いが、いきなり激しく存在を主張してきます。でも、現実にはできることとできないことがあって、心配な思いと現実とのあいだで折り合いをつけて、なにがしかの決断をしなければならないわけで……。そんな状況に、結構な確率で直面しては、揺れに揺れまくっています。

多分子どもを育てている人の多くが同じような息苦しさとか生きぐるしさを感じているんじゃないかと思われて、いやーほんと、世の中のお父さんお母さんたち、これまで子どもを育ててきた人たちもみんな、本当にマジすごいですね、という気持ちです。みんな、そんなことをまったく感じさせずに元気に生きているなんて、すごすぎる。

とりあえず後づけで「これが正解だったんだ、ってことにしよう」とするしかなくて、とりあえずそうしている、っていうかそうなっちゃっているけれど……、でも、自分の感覚に確信が持てない、この苦しいともいえない苦しさとうまくやっていく日がいつか来るんだろうか、と、日々に流されまくりながらも、ぼんやりと思っている、そんな日々です。





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