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インド最大のスラム街で見た、希望の光


2023年9月、わたしは人生で初めて、インドを訪れました。

インドへ行くにあたっての、旅の大きな目的のひとつ。

それは、インド最大のスラムといわれる、DHARAVI ダラヴィというエリアを訪れること。

今日はその記録です。




人生で初めてスラム街。
そこでの時間が、また私の人生にとって大きな変化をくれるものとなりました。


──



スラム街、と聞いて、あなたはどんなイメージを抱きますか?



一人で行くには怖い場所?
スリや犯罪が横行している?
治安が悪い?



国によっては、場所によっては、あるいはそうかもしれません。
私自身、訪れる前はそんなイメージを持っていました。


でも、私が訪れたインドのムンバイにある世界最大のスラムと言われるダラヴィは、私の想像と180度異なる場所だったんです。



想像していたものと全く違う世界に、私の心がこの場所に溶け込んでいくのを感じ、自分でも心底驚きました。自分でもこんな感覚になるなんて思いもよらなかったからです。


ムンバイ・イギリスのヴィクトリア領時代に建てられた駅



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高層ビルが次々と建設されるそのすぐ横に、ブルーシートで覆われた壊れかけの家々が立ち並ぶエリア。ここに約100万人が暮らす巨大なスラム街が、ムンバイのど真ん中にあります。


ダラヴィの入り口


旅はいろいろしているものの、一人でスラムをうろうろする勇気はまだなく、ガイドさんをお願いすることにしました。
プライベートガイドだと高額だったので、少人数のグループツアーに。少人数なら、思う存分ガイドさんに質問ができるだろう、という淡い期待を抱いて。



そして、私が偶然選んだこのツアーは、本当に素晴らしい巡り合わせと、本当に幸運だとしか思えないような導きをくれました。



──



幸運なことにガイドは私の独り占めツアーでした。
ついてる!たくさんお話しを伺えそうで、期待が高まります。

しかも。すごく穏やかそうな青年。
オーラが優しく、緊張していた感情がほどける。

ダラヴィをまわるツアーがはじまりました。


 

ガイドをしてくれたマユールさん



彼は、ダラヴィで人々がどんなふうに生活をしているか、そして、ダラヴィではどんな仕事が中心に行われているか、丁寧に教えてくれました。

ダラヴィのメインの産業はリサイクル。

各地から集められたプラスチックを色と素材で一つずつ人力で分けていく。素材はどうやって見分けるのかと聞くと、噛んでその食感で見分けるんだそう。



──



プラスチック産業に関わる人々は全員が男性でした。

私と同世代と思われる方もいれば、40代程度と思われる方もいて、若いと10代に満たないような少年たちも一緒になって働いている。


リサイクル産業で働くダラヴィの男性




そして、そのほとんどの方が、ここのスラム、ダラヴィ出身ではなく、更に貧困を極めるインドの他の村や、ネパールの貧困地域などの他国からの移民の方々だそう。



インドはエリアによって全く違う言葉を話します。
しかし、ここに出稼ぎに来た人々は、言葉が話せなくてもすぐに仕事に取り掛かれるリサイクル産業があることが、ある種の救いになっているんです。非言語の、言葉ができなくてもすぐに働ける仕事だから。


彼らは住み込みで働き、10~11時間近い時間フルで働いて、1日の給料は200~300ルピー程度(日本円で400~600円程度)だそう。



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巨大な袋の中にはインド各地から集めてこられたプラスチックがぎゅうぎゅうに詰め込まれている



さらに深刻なのは、プラスチックの性質による死亡率だそう。

プラスチックは高温になると有害な物質を発生します。それらを連日のように吸い込んで働いている彼らの寿命は、働き出してから15,16年で死んでしまうという。



女性には危険だということで、男性のみが働くそうです。
どうりで年老いた方が、このリサイクルのエリアにいないわけだ……



仕送りのために、余命がわかっていても働くこと。
いつ死ぬかわからない。
でも、生きるために仕事が必要な彼ら。



生きる、とはなんだろうか。
働く、とはなんだろうか。
お金とは、なんだろうか。



彼らの汗と雨と泥が入り混じる汚れた服を見ながら、考え込んでしまった。教育がないと、英語がないと、仕事の選択肢がないインドの実情。いや、インドに関わらず、他にもこういう場所が、知らないだけでまだまだあるのだろう。


ダラヴィの産業エリア(仕事エリア)には男性の姿しかない




言葉がわからなくても、たとえ障害があっても、稼げる最後の手段として残されているこのダラヴィのリサイクル産業は、ムンバイを支える大きなマーケットになっている。



危険な仕事で、命と引き換えにする仕事。危険だからといって、日本のような完全に器械の処理にしてしまうと、大勢の失業者が出る。



正しさとは何か。

答えが出ない。


──




インドのスラム街、ダラヴィでは人々の住宅街もまわった。限られたスペースに、ぎゅうぎゅうに作られている家々。細い細い路地の両サイド、そして2階にも家がひしめく。



ちょうど、案内してくださったマユールさんの家も近くにあるということで、少しだけ彼の家もお邪魔させていただいた。
ドアをくぐると、そこは日本の一般的なお家の、ほんの廊下ほどの大きさしかない空間だけがあった。ここに、家族5人で住んでいるという。言葉を失う。




「We are happy to live here, we live with family」と彼は言った。


「もちろん、本音を言うと少し大きいところに住めたらもちろん嬉しいですが、でも、僕たちは家族みんなで暮らせている。だから幸せなんです」



穏やかな彼の表情と、目の前にある”家”だという小さなスペースのギャップに、言葉が出ない。



どうぞ座って!と、その空間にたった1つしかない、プラスチックの椅子を促される。
彼はずっと立ったままなのを見て、床の方が落ち着くからここに座らせてください、と地べたに座る。

お部屋は、とてもとても綺麗に手入れされていて、彼ら家族の丁寧な暮らしぶりが伺える。すべてのものはとてもきちんと整列して、使い込まれてはいるものの、丁寧に手入れが行き届いていた。埃も落ちていない。


この狭い空間に、どうやって5人が眠るんだろう。
聞くと、こう言う向きで、こうやって、と教えてくれた。

部屋で試しに彼が言ってくれた通りに横になるポーズをとろうとしたら、足は伸ばせなかった。
この日は大雨で、外は肌寒いくらいだったが、家の中は窓もなく、部屋の中はとても蒸し暑かった。



彼は、妹さんが作ったというビリヤニを私に食べないかと勧めてくれた。いきなりお邪魔しておきながらご飯までいただくなんて申し訳なさすぎる、と大丈夫大丈夫、お腹いっぱいだから、と断る私。遠慮しないで、食べて食べて、とよそってくれた。たくさん盛ろうとする彼に、ほんと、ほんとちょっとでいいから!と止める。お腹いっぱいだったわけじゃない。本音を言えば、私がこのビリヤニを食べることで、今晩彼の家族の誰かがお腹が空くことにならないだろうか。小さな空間の中で、そう思わざるを得なかった。あるいはそんな発想すら失礼なことなのかもしれない。でも、私のせいで、私が来てしまったせいで、誰かが悲しむなんていやだ。今までの当たり前がどんどん崩されているこの数時間で、彼らの生活が自分の想像の全く別のところにあることを痛感していた。


マユールさんがよそってくださったビリヤニ



小さな空間で、優しさの詰まったビリヤニを頬張りながら、涙が出そうになった。

私は辛いのが苦手だ。でもそんなこと、本当に本当に、どうでもよかった。気を抜くと涙が溢れそうで、真剣にビリヤニに集中して食べた。
ここは、私の東京の部屋の、何分の1だろうか。
彼はここで生まれ育ち、ここで暮らし、一度も引っ越したことがないそうだ。



この家だけを見たら、5人でこの狭い家に住んでいるという事実だけを見れば、決して恵まれた環境であるとは言えない。
世の中を斜めに見てしまうような状況に、どうして彼はこんなに穏やかな笑顔なんだろう。どうしてこんなにも優しいのだろう。
彼の考え方や、優しさや、醸し出す空気は。彼の背景にこの生活があるということを、まるで感じさせないのだ。



彼の笑顔から見えなかった彼の生活のリアルをみて、自分の視野の狭さを痛感しないわけにはいかなかった。
一粒も残さずに綺麗に食べ切り、心からのご馳走様でした、を心で唱え、強く手を合わせた。



──


インド、スラム街のガイドが全て終わったあと、「最後に、無事にガイドが終わったということをマネージャーに報告しないといけないので、一緒に私たちの事務所に戻りましょう」とガイドのマユールさん。私たちはその場所に向かった。

到着した場所は、小さな教室のようになっていた。
15人くらいだろうか?子供たちが勉強机に座って授業の始まりをまっている。

不思議に思い聞いてみた。

「僕たちはツアーを企画する会社に間違いはないんだけど、利益の一部を、スラム街の子供達に無償で勉強を教えるために使っているんだ。教育は力だからね、さまざまな理由で満足に勉強ができない子供達のためのアフタースクールを開催しているんだ」

なんという。言葉を失った。

──



あまりに新しい情報量が多く、整理しきれず、しかし感情に訴えかける何かをたくさん味わった時間だった。
ツアーを終え、マユールさんは私がタクシーに乗り込むまで見送ってくれた。
最後の最後まで、素晴らしいサービスに心底感動した。




さまざまなことを振り返って逡巡し、咀嚼できず、意味を結晶できないまま大雨の中ホテルに戻る。
感情だけは先に何かを感じているようで、タクシーの中で、静かに涙が溢れる。必死に心の中が私に何かを訴えかけている。




──



宿に着き、私は倒れ込むようにしてベッドに沈み込んだ。
そして、そのときハッと気づいたのだ。


あれ、わたし、足を伸ばせてる──


あれ、
このベッド。


彼の家よりも、大きい……



足を伸ばしてベッドに沈みこむ自分の体を見て、つーっと涙が頬を伝う。

この部屋に用意されているベッドのサイズは、クイーンサイズくらいだろうか。
日本の感覚からすると相場である、1泊1万円の宿。
しかし、もちろん、インドの感覚からするとラグジュアリーなクラスのホテルに入るだろう。


私が滞在したしたホテルの室内



──



足を伸ばして広いベッドに横たわる自分と、さっき見てきた、彼の家と暮らしと、温かい表情。


「それで、あなたはどうするの?」
神に何かを問われているような気がした。


答えはもう出ていた。
私はすぐにスマホを取り出した。

──




わたしは気持ちを整理し、思いの丈を綴ったメッセージをマユールさんの団体に送った。


あなたたちの活動に、心から感銘を受けたこと。
もっと深くダラヴィを、あなたたちのことを知りたいと思っていること。
何ができるかまだわからないけれど、何かサポートさせていただけることがあればサポートしたいと思っていること。



団体の主催の方から、温かい連絡が返ってきた。
私の質問に丁寧に回答をくださり、私もありがたくいろいろ聞かせていただく。



彼らの活動が気になりいろいろと話を伺う中でひとつ、興味深いお話を聞いた。



──



それは、スラムの中に住む女性たちの中に、深刻な問題を抱えている人たちがいるということ。

夫さんが重いアル中に陥ってしまったり、夫さんが病気だったり、離婚していたり。さまざまな理由で働くことを余儀なくされた女性たちがいるということ。

しかしながら、そんな女性たちは働いた経験がない方がほとんど。仕事のスキルもないため、多くは長時間、家政婦として低賃金で働く選択肢しかないそうだ。

そんな女性たちの自立支援のために、そして、家政婦よりも短い労働時間で収入を得て家族との時間が今より持てるように、美容にまつわるスキルの習得を実践するためのクラスを無料で行う、というプロジェクトが案として出たそうだ。しかし、そのクラスを実施するための、講師の方へ支払う給料が足りないために、実施ができないままになって空中に浮いている状態であるということだった。

そして、その、講師の方への、インドで一般的なお給料の金額は、何の巡り合わせか、私たちが毎月さまざまな団体へ寄付させていただいている寄付金額の範囲内のものだった。

私は迷わず
「ぜひ、私たちにサポートさせてください」と申し出た。



──



私の会社では、創業してからずっと、毎月売り上げの一部をさまざまな団体様へ寄付させていただいています。

月によって寄付先はさまざまで、災害があれば、その地域の自治体さまへ、世界の恵まれない人々の話を聞けばその国の人々へ。寄付をしています。

売り上げの一部を寄付する、というのは、会社が存在するからには、世の中にとって少しでも、1mmでもいいからプラスな存在でありたい、という私の小さなエゴ。

でも、このツアーを行なってらっしゃる彼らも、売り上げの一部を使い、未来を担う子供達に希望を与え、ダラヴィというコミュニティに還元している。

形は違えど、こうして自分たちの活動で得た資金の一部を世の中に循環させる、という同じことを行なっている彼らに出会い、私はこれもひとつの啓示なのではないか、と思ったんです。

顔の見えない寄付ではなく、顔の見える、そして、ダイレクトに、スラムに住むダラヴィの女性たちの人生に、選択肢を、変化を与えてくれるようなものになるかもしれないサポートをさせていただけること。しかも、それが、私たちにとっても無理のない金額であること。

@maruo_vintage の売り上げを、スラム街の女性たちの、自立への一歩となる学びへ、半年間、寄付させていただくことになりました。



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一度しか会っていない人たちに寄付するなんて、とか、騙されているんじゃないか、とか。思われる方もいるかもしれません。
でも、やってみないとわかりません。



そして、このつながりは。この決断は。どんな結果になろうと、間違いなく私たちのブランドを、私を、前に進めてくれるものになると強く感じているのです。
だからこそ、このようなご縁をいただけたことを、心から嬉しく思います。



──



ゆくゆくは、寄付という短期的なものではなく、日本だけでなく現地でも仕事を作ることをしたい、と思っています。

みなさまが選んでくださったmaruoのジュエリーのその一部のお金で、この世界のどこかで、人生が変わる人がいるかもしれないのです。
それって、とても素敵なことだと、心底私は思うんです。



まだまだ未熟ですが、歩みを進めていきたいと思います。
このような機会とご縁がいただけたのも、みなさまのお陰に他なりません。本当にありがとうございます。

皆様にもたくさんの光がありますように。お読みくださり本当にありがとうございます!



未来をつなぐ、世界をつなぐ、
そんな第一歩を、maruo vintageで。


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