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ネガティブケイパビリティで考える「寛容」「不寛容」#26

ネガティブケイパビリティをテーマに今回で3回目の記事です。少し長くなってしまったのですが、最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

前回と前々回の記事

今回、ネガティブケイパビリティをテーマに3回目の記事。

それぞれ独立した内容となっていますが、一応過去2回のリンクを貼っておきますね(^^)

どちらもたくさんの方に読んでいただいていて、励みになっています(^^)

今回は尾石晴さん

前回、前々回とネガティブケイパビリティをテーマにし、前回で終わりにしようかなと思っていたのですが、、。

かの尾石晴さんが「寛容」「不寛容」を切り口にネガティブケイパビリティについて話されていた回を発見!し、これは取り上げねば!と思った次第。ψ(`∇´)ψ

少し前のVoicyでこの頃はご自身のことをワーママはると呼んでいます。

子育てや自分自身のしつけに役に立つ視点が参考になったので、こちらに書き留めておきます(^^)

寛容さがなくなると起こること

寛容さがなくなると人はどうなるか。
単純にイライラします。Σ(-᷅_-᷄๑)

出かける前に子供は牛乳こぼした、急いでいるときに限って立ち寄ったコンビニのレジ対応が遅い、など、、、。

不寛容の多くは「余裕」がないときに起こります。亡くなったダイアナ妃は次のような言葉を残しています。

The greatest problem in the world today is intolerance. Everyone is so intolerant of each other.
(今日の世界における最大の問題は不寛容だ。誰もが互いを我慢できない)

1997年、アンゴラ訪問中の言葉

ここでいう寛容とは我慢

もっと突き詰めて言うなら異なる価値観や起こった事実を受容する能力と言い換えられるかもしれません。

不寛容は人と無用な軋轢を生んでしまったり、「振り上げた拳は下げられない」というように一度出した答えを更新できなくなり、いろいろな可能性を閉ざしてしまうことにもなりかねません。

小さな子供は不寛容

当たり前のことを言いますが、小さな子供は不寛容です。

私にも3歳の娘がいますが、彼女は自分の、自分の快不快にすごく敏感で自己中心的です。

それは動物として自分の生命を生かさないといけないためであり、お腹が空いたらせっかちに食べ物を求めるし、
何かをしたがるとき「後にしよう」と言っても「いま!!」と駄々をこねるわけです。

子供は答えをすぐに求める不寛容さがあります。
そして親はそれを受容していかなくてはいけません。

答えをすぐ求めるのは子供も大人も同じ

しかし答えをすぐに求める不寛容さは子供に限ったことでしょうか?大人もそんなことはないか?

大人になると答えがない問題だらけ、ということに気づきます。

例えば、会社の経営計画とか夫婦問題とか。 

考えても考えても答えが出ないので、悩みまくります。答えが出ないのが嫌だから、他の誰かに答えを出してもらおうとしたり、中には占いとかで決めてもらおうとする人までいます。

特にメディアの世界では当事者でないのに善悪を決めたがる傾向にあります。

卑近な例で言うと芸能人の不倫問題、前回noteにも書いたイオンシネマと車いすインフルエンサ問題。断罪する人たちを見ると不寛容の極みに思えるのですが、
どうして人はこうも「決めたがる」のでしょうか?

それは小さな子供もそうであるように、人間は本質として自由でわがままであるとともに、性急に結論を求めたがる生き物だから、なのかもしれません。

人間は自由でわがままで性急に結論を求める

ネガティブケイパビリティを再定義

前回noteでも紹介したバタやんさんの定義が一番しっくりきます。

事実や理由をせっかちに求めず、不確実さや不思議さ懐疑の中にいられる能力

バタやん Voicyより

「ケイパビリティ」とは通常は「決めることができる」ことを「能力」と言いたいところが「決めない」ところ「能力」と言う概念を用いることが斬新ですね。

尾石晴さんは答えがない問題に向き合うにあたって、寛容さが必要であるとともに、子供の教育や自分のしつけにもネガティブケイパビリティがとても大切であると説いています。

子供の教育は典型的に答えがない問題

子育てや教育は典型的に答えがない問題と言うことに異論はないと思います。

にも関わらず、親は点数やランキングなど分かりやすい指標で他の子供と比較して我が子を評価したがります。

それは親自身が不確実である問題にずっと一緒にいることが耐えられないからではないか?

ランキングや給料や会社名等、すでに評価されているわかりやすいモノサシだけで判断し曖昧で不思議で奥深い、その人なりの人間性を見ることに蓋をする。

それは性急に決めたがる不寛容で幼稚な品性と言えるのではないか。

そんな不寛容さを我が子に向けていないか?これは親が自分自身への問いかけとして持っておきたいものです。

我が子の不確実さに寄り添う

特に今の時代は昔のようにいい大学に入れば新卒一括採用で良い会社に入れて定年まで安泰という世界はもうないと言っていい、不確実な時代です。

まさにネガティブケイパビリティの力が生きる力になる時代です。

晴さんは当時小学校2年生のお子さんに、このような言葉をかけているそうです。

君がいる世界はとても小さくて、他にももっと
色々な世界があるんだよ。
今、ここで君がはかられているいろんなモノサシでの順位づけは正解かどうか分からないんだよ。

尾石晴さんVoicyより

さすが晴さん。(°▽°)
なかなか我が子にこんな言葉かけられる人はいないと思います。

まとめ

学歴や数値やランキングや会社名など分かりやすい指標だけで判断するのはともするとともすると不寛容やネガティブケイパビリティの欠如につながりかねない。

良かれと思って言ったことしたことが、前回noteで結果として私も友人も傷ついた話のように、子育てでも望まない結果を生んでしまうかもしれない。

沈黙の中で自分で考えて待つ力が生きる力をはぐくみ自分自身や子供の人生を豊かにしてくれるのだと晴さんは教えてくれています。

最後までお読みいただきありがとうございました。








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