2019 7・8

今日も今日とて眠い。

実は今(23:40)起きた。飯のあとから眠くなり、そのまま少し寝てしまった。2~3時間の仮眠が、これから訪れる不眠への序曲であるのだがまあ仕方ない。人間は自由であるからして、眠る時間、起きる時間、食う時間は個々の裁量に任せるべきである、と僕は思っている。そして寝起きは眠い。

こんな不規則、自堕落、麗しき退廃という名の自由!を僕が享受したのは、偏に昨日見終わったゲームオブスローンの影響があるだろう。夜22時から明け方6時までノンストップフルスロットル。良いモノガタリをありがとう。

以下感想を呟いていくので、まだ見ていない人、ネタバレしてほしくない人はこれ以降の閲覧をお控えください。OK?OKOK








ゲースロ最終章。

ゲームオブスローンに関して、恐らく王座に一番近く、一番それを期待されていたデナーリスを、私はずっと「あれだけはない」といい続けていた。

何故なら彼女が歩んだモノガタリは正に「ポリコレ」の歴史だからだ、奴隷制、男女格差、そしてその反ポリコレを「ドラゴン」という魔法で打ち破ってきた。クソファンタジーの見本市みたいな女だった。

「正義」という暴力で多数の人間を焼き滅ぼし、自分が認めた人間を優遇する。それは正義でもなんでもなく、ただの圧制であり見本のような暴力の構図である。

デナーリスが3匹のドラゴンの母になった時、燃え盛る家の中に一人で入り、炎の中で3匹のドラゴンを孵化させたとき、あのままのデナーリスであればまだ、王座は彼女の為に輝いていたかもしれない。或いは、ドラゴン達を自分の子である、と、本当の意味でのドラゴンの母となるのであれば、王座は遠のくが彼女は幸せに、尊厳を保ったまま暮らせたかもしれない。

けれど彼女は「王座」を望んだ。

デナーリスは常に人の言いなりだ。王座を取り返せは兄の遺言、そこに彼女の意志は存在しない。人形として育てられ、思考を兄に作られた哀れな存在、それがデナーリス・ターガリエンだ。

だからこそ人気が出た。物語の多重性を理解できない人には、彼女は「報われるべき人」と映っただろう。とんでもない、彼女は十分に報われているのだ、あの3匹のドラゴンを得た時に既に。最初の夫は確かに暴君だった。だがその暴君は誰よりもデナーリスを愛し慈しんだ。しかしデナーリスは、その愛よりも、尊厳よりも、王座を求めたわけだ。だからあの結末は当然であり、正直にいう。ガッツポーズした。

では、ジョン・スノウはどうだ。ジョン・スノウは恐らくこのゲームオブスローン全編における「主人公」である。最初から最期まで彼は「お膳立てされた」運命のまま彷徨ってきた。スタークパッパが首をはねられ、スターク家の不運の日々が始まったとき、彼は最も安全な「ナイトウォッチ」の仕事についていた。それから彼がさ迷った色々はもうちょっと忘れた。でも最期の方で頭角を現し、更には「英雄」にツキモノの出生の秘密まで付与された。そう、出生の秘密。これが彼を王座から引き離した、と僕は思っている。あんまりにも「ある」話だろう。スターク家で育てられた落とし子、スタークパパの不倫の末の子ってわけで、家族内で結構辛い思いもしてた少年が、実は正当な王位継承者って、「あるよね、それーーーwwww」って言っちゃう事例である。いや、それはいかん。絶対にいかん。だからこそ、最期彼は「愛を殺し、義務を果たした」

ゲースロのテーマはもしかして「如何に愛を殺すか」だったかもしれない。そしてその点で決して愛を殺さなかった男女が作中で見事な悪役を演じたサーセイとジェイミーの兄弟だ。女王サーセイもその兄ジェイミーも、ただ愛の為に生きて死んだ。憎むべきだったサーセイとジェイミーの抱き合ったまま埋もれた死体を見つけた、彼らの弟「小人症のティリオン」が泣きながら二人の死体を掘り起こすあのシーンに流れているのは紛れも無い「愛の奔流」そして悪役は愛の体現者として成立する。

血塗られた婚儀もそうだったよね。スターク兄ちゃんが、決められた結婚相手とそのまま結婚してればあの惨劇は起こらなかった。兄ちゃんの首は切り落とされ、兄ちゃんを象徴するダイアウルフの首に挿げ替えられることもなかった。義務と愛の対立がここでも書かれている。

考えたらそうね、最期まで「愛」に立ち向かった人間達は、ゲースロの中で生き残っている。アリアとサンサ。スターク家の長女と次女の成長振りは本当に気持ちがよかった。特にサンサの成長は著しい。未だに見返す、ベイリッシュ卿処刑シーン、サンサが自分で言っていた「私は人より学ぶのが遅いけれど」冷徹で有能な北部の女王となって、北部を守り立てていくでしょう。万歳、サンサ・スターク。

サンサも最初は悲しい少女だった。お父さんの処刑シーンを目の前で見て、卒倒してしまったし、次の結婚相手はサーセイとジェイミーの子供である、ジョフリーだったし、その次はティリオン。でもティリオンほどサンサを大事にした男はいなかったな、サンサが「一番マシな旦那だった」って言ってただけあるw

サンサ覚醒のきっかけになったのはラムジーだ。ラムジーにレイプされ、サンサは完全に女になった。少女から女になった人間というのは「憎しみ」を発揮してもよい。何故なら「少女」は守られる存在だが、「女」は戦える存在だからだ。だからサンサは、ラムジーを犬に食わせた。北部の女王万歳。

さて、僕の推しのハナシになるから、少し長くなるな。

アリア・スタークを称えよ!!!!!!!!!!!!!!!

剣が好きで弓が好きで、兄ちゃん達と剣戟ごっこするのが好きで、でもお母さんからは「あんたいい加減にしなさいよ」といわれていた幼少時代、お父さんがこっそり教えてくれた剣術、弓術は、その後のアリアを救っていく。アリアの男勝りな性格が、サーセイ・ラニスターとジェイミー・ラニスターの子供、ジョフリーを打ちのめし、それが結果、ラニスター家とスターク家の対立に繋がっていくのだけど。

アリアはパパの処刑シーンに居た。そしてパパが処刑された瞬間、彼女は逃げ出した。ここで非常に彼女が理知的である事がわかる。あの瞬間からラニスターとスタークは敵対したのだ。自分の命を守るために彼女は誰よりも早く行動し、自由のままさ迷った。やがて彼女は名実ともに「アサシン」となり、死者の王を打ち滅ぼす。そして何より、アリアの周りには「強者」がいた。野卑で不品行な連中ではあったが、実力のあるおっさんたちと、アリアは常に一緒にいた。そしてそこで、「生き抜く術」を学んでいく。アリアを生かしたのは旗印なき兄弟団のおっさん達であり、アリアもまたおっさん達から様々なものを学んだ。つまりアリアは常に、義務と自由の為に生きたのだ。最期の小さな愛、あれには心底びっくりしたけど、あれもアリアの自由だよな。素晴らしいよ、アリア。少しだけ、サンサの暗殺団として活躍して欲しかった、という気がしないでもない。けれどアサシンというものは、誰かに管理されるものではないから、アリアの人生はあれでよかったと思う。


溶かされた鉄の玉座についたのは、議会制民主主義で選ばれた、スタークの子、サーセイ達に突き落とされたブランだった。これはこれであり、だ。

何故ならブランには全てを見通す魔法の目がある。鳥になり、あるときは狼になり、様々な世界を「半身不随の動かない足」の代わりに見て歩く事が出来る。治世はひとつの魔法と物語によって行われねばならない。それは一般大衆がその魔法に「届かない事」が重要だ。彼は数奇な運命をたどり、世界をみる「三つ目のカラス」となった。人々はこの魔法に納得し、彼を玉座につけたのは正に神の意志であろう、と納得するだろう。

最終話になるにつれ、「話の筋が粗い」「雑」と不満が噴出していた最終シリーズですが、僕は満足しました。長い長い映画を観た。ありがとう、ゲームオブスローンズ。僕の予想であった、「アリアッちナイトウォッチになればいいのになー」は当たらなかったけど、遠からずってとこかな。

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