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わたし。〜自分を守ることで自分を失った時代〜

令和が始まった。

特に時代の変わり目だからといって
何かが変わったわけでも、
気持ちに変化があったわけでもない。

だけど、だからこそ
ちょっとわたしという人間、人生って
どんな29年だったのか

改めて書き残しておこうという気になった。




私は1989年(平成元年)7月23日18:30に
福島で生まれた。
3歳の時に妹も生まれ、
平凡に幸せな家庭に育ったと思う。

兎にも角にもやんちゃで、
1人でおままごとなんて出来やしない。
1人でお絵かきも出来ない。
公園にいっては1人で歌いながら叫びながら
ただただ走る。笑
蝶々を追っかけては
どこかに消える。←

まぁ良く喋り、動き、食べ、寝る、元気な子。

今も根本はそこまで変わってないでしょう(笑)



大きく人生が変わったのは

まず、

小学校4年生の終わり、ほぼ5年生になった時に
父親の赴任を期に、家族で東南アジアのタイ、
バンコクへ引っ越したこと。

普通はこの年の思春期の女の子が
全く言葉も文化もわからない所に行くってなったら
泣いて嫌がるらしい。

が、私は大喜び(笑)


面白そーーー!!たのしそーーー!!

多分、本当それだけ。w

なんの問題もなくタイに引っ越し、
タイの日本人学校へ編入。


別に日本人学校だから言語は日本語だし
みんなも日本人だから特に困ることはなかった。
私も別に人見知りでもなかったし
普通に馴染めたような気がする。



そんなタイでの順調そうに見える私の学校生活だったけれど、
それは5年生半ばに終わることになる。


今となれば、
良くあることだよねって言えるけど、
当時は本気で辛かった。


要は「いじめ」



5人くらいの仲良しグループに属してた私は
最初は特になんの危機感も覚えてなかった。




それがグループのリーダー的存在の子を中心に
私をハブるようになった。

小学生のいじめとかだから
特に理由もきっかけもない。



学校だけでならまだよかったのだろうけど、
運が悪いことにその子は
住んでいるマンションも一緒。


タイではみんな同じバスで帰宅し、
帰宅すると同じマンションのみんなで遊ぶことになっている。
たまにはパジャマパーティーをしたり、
朝ももちろんマンションから同じバスで通学。


要はずーっとその子を中心にハブられっぱなし。



誰かに少し助けを求めようにも
必ずそこにはその子もいる。


周りの子も、その子が怖くて誰も逆らわない。



私の周りからは友達は誰もいなくなり、
結果1人になる。




だんだんだんだんストレスも体に出始め

私はその時から「過敏性腸症候群」になった。




要は、ストレスがかかると
死ぬ程腹痛が襲ってくるのと
お手洗いから出られなくなる。


特にいじめられてる私が
ストレスで授業中にトイレに籠るとか
休むとかってなると、
やっぱり面白がられる。

そしてまたそれがストレスになる。



ちなみに、

この症状は、正直今も抱えている。




約20年経つ今でさえ、
ストレスがかかる、
またはお手洗いに行けない状況が長く続くと
事前に分かっていると事前に腹痛が襲ってくる。

長く乗る高速道路や、
電車で途中で降りれない状況が分かっている場合、
試験で途中退出が許されない場合なども。

常にお腹の上にクッションや
カバンなどを抱えてないと安心出来ないし、
「トイレに行きたい」その一言が言えなくて、
それを素直に伝えられる人がそばにいないと
すぐお腹が痛くなる。

そんなことを今でもたまに繰り返してる。



この症状が分かったのは、

いじめられているってことを母親に話し、
あまりにお腹が痛くなるのを母親が心配して病院に連れてってくれたから。

『辛いなら学校行かなくていい』
そう言ってくれた母親がいてくれたから
なんとか向き合えたと思う。


母親が担任の先生に
「辛い場合は行かせません」と伝えてくれ、
先生からいじめてくる子達に注意が入り、

結果いじめは5年生で終わった。



ただ、それ以降も私の腹痛は続くのと、
6年生になってからも人に嫌われないように
ハブられないように、誰かに合わせて
誰かと同じものを好きなフリをして、
なんとなくを過ごした。


小学校も無事に卒業し、
そのまま日本人学校の中学部に上がることになった。



中学校は小学校よりは楽しかった。

かけがえのない友人も出来、
日本に帰ってきてからも交友のある、
同じ異国の地で青春時代を過ごした人たちだからこそ
分かり合えることもたくさん。

そんな人たちと出逢うことが出来たのは
本当に人生の宝だし、

タイは今の私にとっても
日本よりも母国だなと感じる。



だけど、
私の根本スタンスは小学校の時のままだった。


仲良い子達を失いたくなくて、
みんなに好きでいてもらいたくて
嫌われたくなくて

みんなに合わせる日々。


みんなが本当に好きだったからこそ、
自分をさらけ出すよりも
みんなに合わせる自分がほとんどを占めた。


みんなが休み時間にバレーをするから私も、
好きな先輩を追いかけるから私も、
スカートを短くするから私も、
プリクラ撮るから私も、
ストレートパーマ当てるから私も、
みんなが今日は勉強するから私も、
応援団に立候補するから私も、

って、3年間を過ごしたように思う。


中学校ではいじめられることもなく、
というかむしろ
本当に仲のいい大好きな友達ができて
幸せだった。


ただ、本当の私は、さらけ出せなかった。

というか、
本当の私がなんなのかも分からなくなった。


私は本当は何がしたいのか、

私は本当は何が好きなのか。



感覚が鈍ってた。


to be continued.

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