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「掃除の仕事」に対する偏見への挑戦

はじめに

掃除の仕事は社会で非難され、過小評価されることが多く、雇用階層の最下層に追いやられる単純な仕事として認識されています。しかし、掃除の仕事に対するこの偏見は、掃除の仕事が個人や地域社会の衛生、健康、福祉の維持に重要な役割を担っていることを認識していません。この記事では、掃除の仕事に関する誤解を探り、掃除の不可欠な性質に焦点を当て、尊敬と評価に値する職業として、掃除の仕事の価値をまとめていきます。

僕の幼少期の思い出

1994年、日本ではあるドラマが放送されていました。そのドラマのタイトルは「お金がない」です。織田裕二という俳優が主役です。私は当時まだ5歳でしたが、ドラマの雰囲気がコミカルで毎週見ていました。ドラマの内容としては、織田裕二が演じる主役のけんたろうが、なかなか仕事に就けず、借金取りに追われながらも弟二人を育てている風景から始まります。せっかく勤めた会社も急に倒産になり、職を転々としていました。ある日アメリカが親会社である日本の大手保険会社に運良く就職することになり、一気に成り上がります。しかし、金持ちになるにつれて何かを失ったことを知り、最終的には自分で起業する、という場面でエンディングを迎えます。随分端折りましたが、大まかにはこのような内容のドラマでした。

僕が大人になった今

先日、YouTubeを見ていたところ、このドラマのフル動画が上がっており、懐かしい気持ちで見ていました。今思うと、これも何かの縁かもしれません。主人公のけんたろうは、職を転々とする中、保険会社に入る前に、友人のミチコの紹介で、掃除会社に勤務します。その後、運良く保険会社に入社します。掃除会社の清掃員から、お金を扱う保険の営業マンへの道のりは、底辺の仕事から成り上がることを印象付けるシーンでした。私は現在、日本のKIREIを伝える仕事をしていますが、私が所属する会社の母体はハウスクリーニング会社です。幼い頃は、けんたろうが掃除の仕事に就くシーンを見ても何も思いませんでしたが、今見ると何か不思議な気持ちになりました。

掃除の仕事に対しての認識

日本も掃除という仕事は「誰でもできる仕事」であり、「給料も非常に安価な仕事」だと考えられています。現在は随分そういった偏見はなくなってきたものの、それでも「掃除の仕事がしたい!」と、夢見る子供はいません。小学生の頃の友達も「野球選手になりたい!」とか「電車の運転手になりたい!」とか「警察官になりたい!」とか、「身近でかっこいい存在」にみんなが憧れていました。僕も小学生の頃の夢は「NBA選手になりたい!」でした。友達の中にも、僕の心の中にも「掃除人になりたい!」と考えた人はいませんでした。しかし、日本では昔から毎日のように、ほとんど誰でも掃除をしていました。今ではハウスクリーニングのプロ会社も多く存在し、仕事として認知されていますが、それでも「掃除人になりたい!」という人はほとんどいません。仮にそういった人が居たとしても、ごく少数でしょう。

清掃員の年収

様々なデータを調べてみますと、日本での清掃員の平均年収は278万円でした。日本人の平均年収が399万円です。これだけ見ても収入が 非常に低い仕事であることが理解できます。おそらくこれは日本に限った話ではないでしょう。掃除は「誰もがする活動であり、ゆえに、誰でもできる仕事」になっています。掃除会社に面接を受けに行けば、即日その場で採用されるのが現実です。
ですが、「毎日のようにする掃除」は人の健康にとって、そして精神面にとっても欠かせない活動であることも事実です。それを生業としている掃除の仕事は、十分に立派な仕事ではないでしょうか。

固定観念の打破

掃除の仕事は長い間、固定観念や偏見に悩まされており、教育や機会が限られている人にのみ適した地位の低い仕事であるという考えが根強く残っています。掃除の仕事に対するこの偏見は、掃除の仕事の価値を下げたり疎外したりする結果となり、これらの重要な仕事を行う人々の尊厳と価値を損なうことがよくあります。こうした固定観念を捨て、掃除の仕事に対する認識を再構築することは重要です。その結果、私たちは社会における掃除の仕事への真の重要性と価値を認識し始めることで、掃除そのものへの捉え方が変わり、より清潔な住居空間で生活することができるようになります。

掃除の仕事の本質 - 衛生と健康の根幹

一般に信じられていることに反して、掃除の仕事は単に片付けたり、空間を美しく見せることだけを目的とするのではなく、健康と幸福を守ることを目的としています。清潔さは、感染症の蔓延を防ぎ、アレルゲンや汚染物質を減らし、全体的な衛生を促進するために不可欠です。プロの掃除人がいないと、家庭、学校、病院、公共の場が細菌やバクテリアの温床となり、人間の健康に重大なリスクをもたらすことになります。このように、掃除の仕事は健康で衛生的な社会の根幹をなすものであり、評価され尊重されるべき不可欠な職業となっています。

掃除の仕事の永続性 - 決して消えない仕事

自動化やアウトソーシングの対象となる他の多くの職業とは異なり、掃除の仕事は決して消えることはありません。人々が暮らし、働き、集まる空間がある限り、掃除サービスは常に必要となります。また、ロボットは時に掃除人のサポートをすることはあります。しかし、人の手で行われる掃除にこそ長い歴史と価値があることは事実であり、ロボットにはサポートまでが限界です。この永続的な需要は、実行可能かつ不可欠な職業としての掃除の重要性と持続可能性を強調しています。掃除の仕事を一時的または使い捨てのものと見るのではなく、個人と社会全体に価値のあるサービスを提供する安定した永続的な職業であると認識する必要があります。

掃除の仕事の価値 - 掃除人が仕事にプロ意識を持つ

掃除の仕事に対する周りからの偏見が打破されると同時に、掃除人は掃除の仕事にこだわるというプロ意識を持つ必要があります。「掃除の仕事だからこれくらいでいい」というのは門違いです。Laddersが掲載している調査結果を見たところ、次のような内容が書かれていました。

Forty-three percent of all the professionals surveyed disclosed having stolen personal items from guests at least once in their career.

引用:Survey - Almost half of all housekeepers have stolen something from a guest

「大体2人に1人のハウスキーパーがお客から物を盗む」というのは、彼ら、彼女らの収入が低いため、物を盗まざるを得ないと考えることもできます。しかし、同時にこの行為はサービス提供者としてのプロ意識の大きな欠如です。掃除の仕事への偏見のみならず、掃除をする人が自分の仕事への偏見も同時に無くす必要があるのです。
掃除の仕事は、単に床を磨いたり、棚の埃を払ったりするだけではありません。念入りに手入れをし、安全で健康的で、誰もが快適に過ごせるスペースを確保することです。掃除の仕事に携わる人々は、自分の仕事に誇りを持ち、有意義な方法で社会の幸福に貢献する献身的な専門家です。彼らの労働は多くの人には目に見えないかもしれませんが、その影響は深く広範囲に及びます。掃除の仕事に対しての価値を、提供者(掃除人)及び受給者(お客様)ともに認識することで、私たちは様々なコミュニティに敬意と尊厳の文化を育むことができます。

「KIREI」による掃除の仕事に対する偏見の消失

例えば、あなたが掃除をして、夫に「ちゃんと掃除したの?」と聞かれ、「掃除したわよ!」と答えるとします。この場合、夫は「掃除したけど汚いじゃないか」ということを伝えたいのでしょう。つまり、人それぞれ、「掃除をした」が表す清潔さの尺度が異なるのです。
日本では「KIREI」という言葉があります。「KIREI」とは、服装が艶やかなこと、空間が清潔なこと、汚れがない状態のこと、景色や容姿が美しいこと、など様々な美しさを描写する言葉です。例のような場面で使用する「KIREI」は「汚れがない状態」を意味します。つまり、単に掃除をしたという行為だけの事実では、「KIREI」にはなりません。
「KIREI」の感覚を多くの人が持つことで、掃除の仕事に対する偏見は自ずと無くなっていくのではないかと私は考えています。なぜなら、「KIREI」な状態なるには、単に掃除をするだけでは再現できず、洗浄剤や薬剤の知識を持って掃除をしなければならないからです。

おわりに

偏見は無意識下にある偏った見方です。自分の知らない内に頭の中にこびりつき、一度つくと落とすことが非常に難しいものです。キッチンでいうところの強度な油汚れのようなものかもしれません。
世の中には多くの偏見があります。時に、偏見がマジョリティになると、それが基準やルールとなります。時代が進むにつれて、その基準は実は間違ったものであったと多くの人が気づき、反省し、異なった基準を持つようになります。
掃除に対する偏見もその1つではないでしょうか。なぜ昔の王族やお金持ちはメイドや黒人を、平等な人間であるにも関わらず所有したのでしょうか。彼らの中ではきっと当時それは一般的であり、悪いことだとは思っていなかったのかもしれません。掃除の仕事も同じでしょう。なぜ、けんたろうはドラマの設定の中で、底辺に落ちた時にたどり着いた仕事が清掃員だったという設定で描かれたのでしょうか。きっと「掃除人が底辺の仕事である」という間違った偏見が、知らず知らずの内に多くの日本人の頭の中にこびりつき、それは当然のことだと認識されていたからではないでしょうか。

世界中に「KIREI」を伝えるというのは、こういった掃除の仕事に対する偏見そのものへの挑戦を意味するのです。

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