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《裁く》について対話し考える場

本の執筆のことで過去の記録を捜索していたら、2年前の投稿が出てきました。R&D(研究開発)の結果を記録しておくってほんと大事だなぁ。


わたしたちは果たして、
人を裁き刑を課す、その決断を下す場に立ち会えるほど、
十分に成熟した市民なんだろうか?


ああ、そうだった、そうだった。わたしの関心は常にここにあったんだ。
今、ぎゅーっと「人を裁くということ」というテーマに降りていっています。


思えば、この会をひらいた当時は、著作権の関係で、番組名を出してひらくことはできませんでした。

でも今だったら、鑑賞対話ファシリテーションの業務委託として受けられる用意がわたしにはあります。
教育機関や普及団体向けに、場づくりコンサルティングのお仕事としても受けられる。

このテーマはとても大切だから、誰にでも関係あることだから、
どうか一人ひとりが考えてほしい、
市民の間に議論が起こってほしい、
というときに、対話の場が必要になる。

このような場をつくるにはどうしたらよいか?
イベントや授業をやっているけれども、今ひとつ効果が上がらないのはなぜか?

といった悩みに、具体的に応えていけるようになっている自分が喜ばしい、頼もしい。

もうひとつのテーマ「場をつくる」にも関連あること。


それから、「人を裁くということ」に関しては、この経験も大きかった。


ああ、書きたいことがたくさんです。

わたしにとってやはりこの2つは、どうしても次に手渡したい智慧なのです。


でもまずは一歩進めるために、再来週、執筆メンバーの千穂さんと制作時間をつくりました。

千穂さんとわたしの本格的な出会いといってもよい、2013年、2014年の裁判傍聴での体験を丁寧に紐解き、そこから考えたことを語る時間を持ちます。

実際の原稿に落としていくための行動です。
こんな突然の共同作業のアイディアも大歓迎してくれている執筆チームに感謝。

ちょっとずつ、進んでいます。