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政治の話がしづらい理由

参院選に寄せて
投票率と20:80の法則
という2本の記事を書いてみて、また考えが進みました。


個人の実感の話なので、狭い範囲の話かもしれないし、はたまた一介の人間のわたしがこう感じるのだから、他にも同じように感じている人がいるかもしれない、という前提で書きます。(いつでもそうか)


きょうは政治の話がしづらい理由について考えてみました。

考えや思いを聞いたときに、「えっそういうことを考えてる人だったんだ」とギョッとする感じを忌避したいから。

その人を見る目が変わる、時には軽蔑レベルで反感が起きてしまう。
そんなときの感情の扱いをどうすればいいのかわからない、とか。
わたしにはあります。実際つい3日前にあった。

今のわたしは普段からなるべく考えは伝えようとしているし、場づくりやファシリテーションの仕事をしているので、本当に思っていることを話すことは率先してやっています。それでもやっぱり自分と考えの違う人と対話をするって、ほんとうに大変だなぁと思っています。

関係が近い人はもちろんギョッとするし、近さにかかわらず、この人はこういう人と思い込んでいたんだ!という自分の一面的な見方にもギョッとします。

政治の話をすると、個人的な事情と利己主義的な部分があらわになるから。

わたしは、自分の生活や人生の根幹部分と政治はものすごく関係があると思っているので、「自分の現状や状態はこうである〜しかしながら今の政治は○○〜それゆえに〇〇...」等と、できれば展開したいという気持ちがあります。実際に話すときはこんな一気には出ないし、とつとつとしていますが。


それが自分事にするということだと思う。
けれども、出すことに抵抗もあります。

自分が自覚しているマイノリティ性について開示することも怖いし、そのことでは当事者ではない相手から全く見えていなかったり、軽視されたように感じるときに辛くもなります。

逆に自分の切実さについて話すときには、そうでない人たちが視野に入りにくいし、どうしても利己主義的にならざるを得ません。

その人がどんな世界をどんなふうに見ているのか、どんな立場から、どっちを向いて言っているのか。個人の思想と哲学と知識と、、、いろんなものが露呈します。

知識や経験ももちろんですし、ある事象に遭遇したときに、読解し解釈する力をどのぐらい持っているかは、政治の話をするときに確かに外せない要素にはなります。

それは能力が高いから上下関係に持ち込んでいい、ということには全然ならないのですが、先に書いたような切実さとも相まって、不均衡なパワーバランスを発生してしまう元になる。言語能力の高い、左脳優位で、理論的に筋道立てて話したり書いたりするのが得意な人が、有利なポジションを取りがちだったり。

恥をかかされた、相手の優位性のアピールに巻き込まれたとか、嫌な思いをして、嫌なイメージが残ったまま今に至る、ということもあるのかなと思います。


まぁ、でも、ここからだよね!
と思うのです!!!


対話と議論には前提がある

わたしたちはまだまだ、対話や議論ということに慣れていないだけなんだと思うのです。

・その人の、その時点での、考え(意見は変わる可能性がある)
・どういう経緯があってのその発言か
・そもそもの言葉の定義、テーマの前提は共有できているか
・一つの言葉で全部を言いあらわせるわけではない
・話す人との関係性にもよる
・人間は多面であり、マトリックスであり、グラデーション

ということを思い出す。共有する。

土壌や歴史的背景や言語的に困難な部分もあることも知る。
話されたり書かれたりしている場所の制約が、人の行動に影響を与えることも知る。

しかし対話と議論の習慣を小さいところから重ねながら、なんとか成熟の方向に向かっていきたい。

対話と議論の積み重ねが、シチズンシップを育ててゆくと思うのです。
お互いの、自分の。
受け入れ、認め、願う。

それが結局のところ、前回の記事で書いた、20%の人が80%の効果をあげるためにできることなんじゃないかと、今考えています。
時間はかかるかもしれないけど。


もっと早く知っておきたかった境界線とコミュニケーションの話


その中で、特に重要だと思っているのは、これ。

・自分と他人との境界線(Boundary)
・ComittmentとInterest(責任や選択/関心)の区別
・聴き方
・場づくり(機会と関係性のつくり方)

ここ10年ぐらい取り組んできたことで、ついには仕事になりましたが、とにかくもっと早く知っておきたかったと思うことばかりです。
もっと早く、生きるのが楽に、楽しく、自分の力をもっと信じて生きる時間をはじめたかったなぁ。
わたしだけでなく、誰もがもっともっと人生の早い段階から知っておいたらよいことだと思います。


一朝一夕には成らない。
けれど、ゆっくりとした変化はやがて大きなうねりになる。
やり方を知っているということが、わたしの希望になっています。

引き続き、書きます。