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「はじめての裁判傍聴」がはじまりだった

今回、「きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ」という本の出版プロジェクトで原稿を書くにあたって、執筆メンバーの千穂さんと、裁判傍聴をふりかえりたい、という話になり、先日、千穂さんと銀座のカフェで会いました。そのときの記録です。


「はじめての裁判傍聴」とは

2013年から2014年にかけて4回行った体験ツアーです。1回目はわたしが別の友人と主催し、「こんなことをしたよ」と千穂さんに話したら興味をもってくれて、2回目〜4回目は共催したと記憶しています。


まずは、当時の募集文を二人で読んでみました。

あなたは生の裁判を見たことはありますか?

TVのニュースや新聞で見る開廷前の映像や
裁判中の様子を描いたイラストなどでしか
見たことがないという人がほとんどではないでしょうか。
あるいは、映画やドラマ、ゲームで華麗に立ち回る検察官や弁護士の姿を思い浮かべるかもしれません。

裁判所では、一体何が行われているのでしょうか。
どんな人が登場し、
どんなことが語られ、
何がどのように決まって行くのか(あるいは決まらないのか)。
それらを実際に自分の目で確かめてみようという企画です。

裁判傍聴を通して、犯罪が起こる本当の原因、
裁判における本当の争点とは何なのか。
今私たちが考えるべき社会の課題とは何なのか。
ディスカッションしませんか?

弁護士の引率がありますので、犯罪や裁判について日ごろ疑問に思うことを聞いてみましょう!

★東京地方裁判所で刑事裁判を傍聴します。
★どの裁判を傍聴するかは、当日引率の弁護士が決めます。
★第二東京弁護士会の法教育サービスを利用します。
http://niben.jp/manabu/service/saiban.html

------詳細------
【日 時】 9:00〜13:00
【会 場】 東京地方裁判所
【アクセス】東京メトロ丸ノ内線、日比谷線、千代田線「霞ヶ関駅」
http://www.toben.or.jp/know/access.html
     
【服 装】 露出が多くなく、カジュアルすぎない服装
【当日の流れ】9:00    弁護士会館1Fロビー集合
       9:00~9:30  引率弁護士による傍聴案件の選出、傍聴中の注意点、セキュリティ・チェック
       9:30~10:30  裁判傍聴
       10:30~12:00 質疑応答 
       12:00〜13:00 弁護士同席でランチ&振り返り【定 員】 8名
【参加費】 ランチ代実費


それから、ひとりずつ感想を話してみました。

せいこのふりかえり

今読んでみると、なかなか胸が熱くなる文章だなー。わたしは、「和歌の五七五七七に千年経っても褪せないものを込める!」みたいな情熱を持って文章を書くのが好きなんだなぁ。そして、5年経ってもまだ、全然関心が変わっていないよね。

この日、わたしが思ったことはいろいろあるんだけど、まずはやっぱり、手錠をかけられて、腰縄で引かれて来る人を見たときに、すごくギョッとした。しかもわたしたちが座る席からすごく近かった。法廷というところは、広さや設備や雰囲気もさまざまな部屋がたくさんあるのだけれど、一番最初に見た部屋が、それほど広くない部屋だったからなのもあって、「近い」という印象が残っています。

まずショックだった。あまりなにもイメージはなかったのだけれど、そこに立っていた人は、弱々しく、痛々しく、話すのもそんなに得意そうではない。自分が思っていることや考えていることを説明できるだけの力が十分にないにも関わらず、責め立てられているように見える場面があった。裁判官にもよるけれども、どうしても「手続き」ではあるから、「質問があり、それに答えていく」という形式で進みます。

弁護人もいるのだけれど、答えるときは一人。本人の力でやらなければいけない。過酷。ある程度、話す言葉に一定の力がないと難しい。でも一律にこういうことがされているんだなという衝撃が、今もまだ残っています。

「だってあの人、どう見ても困難を抱えていて、ぜったい支援が必要じゃないの...」とわたしが感じるような人に、「反省してくださいね」という言葉と共に刑が確定する。でも、そのあとその人どうなるのかな...、その人の本当に困っていることは、その後の時間の中で解決・解消されていくのかな...、刑が確定して、その人の人生はこの先豊かなものになるのかな...?そんなことを考えました。

かといって、その後具体的に何かを調べていたわけではないけれど、「お前が悪いことした!」といって、やった人だけを責め立てていくと、行き着く先は死刑なんじゃないか、ということに考え至り、死刑制度について調べたり、本を読んだり、イベントに足を運んだりしていました。

そこで思ったのは、やっぱり議論する場が必要なんじゃないかということ。「はじめての裁判傍聴」も「場」だった。そこで使っていた仕組みは、東京第二弁護士会が提供している教育普及プログラム
募集文を丁寧に書いたのは、「場」にしたかったから。被告人や関わった人のプライバシーにも触れることだから、野次馬みたいに観に行くのではなく、「知る」「確かめてみる」「制度を利用する」「人と議論する」をやってみたかったから。

「はじめての裁判傍聴」をやってみてよかったこと。
・弁護士さんに喜ばれた。高校の課外活動や大学のゼミなどの団体での申し込みが多い中、個人の申し込みで、しかも教育関係でもなく、多様な背景をもった人たちを集めてきたことをすごく喜ばれました。

・学生さんが何人か来てくれた中に、正義感や義憤に満ちて(とわたしには感じられた)、「悪いことをしてるから刑罰は当然じゃないか、もっと重くてもいいのでは」と言っていた人がいたこと。わたしは支援がすごく必要だと思っているけれども、そうは思わない人もいるということが知れたこと。それがいい悪いではなく。

・終わったあとの千穂さんの感想、"「未熟なひと」「衝動に弱い人」「立場的に弱い人」だからこそ、犯罪とわかっていても犯罪を起こすのだなと思う案件が多かった"...もずっと印象に残っています。

・第4回は定員8名が満席になりました。つまり「心当たりがある人が多い」のだなとわかった。普段の会話の中では、こういうテーマに関心があるとか、話題に出ないような人が、場をつくるときのはたらきかけによって引き出されてくるのがおもしろい。文章を目にしたときに、「ああ、そういえばわたしにはこういう関心があったんだ...」と気づく。だから、「表現力を磨こう」というテーマも、今連載中のお寺のお坊さん向けのウェブ記事「場づくりを成功させる5つの鍵」の中で今後入れていくのだけれど、「場をしつらえる」中で、すごく大事なことです。

このテーマについて市民に考えてほしい、議論してほしい、というときに、個々人にお任せしますとか、熱意のある人が立ち上がるを待っているのだと遅い。「考えてほしい」と言っている側の人が、自ら企画・設計・進行していく場づくりの力をもって、思想が偏っているとか批判されても、これはやらなきゃいけない、と使命感を持って引き受けていく必要があるのではないか、と思っているきょうこの頃です。


第4回の後に、千穂さんがシェアしてくれた感想

私はこれで傍聴に来るのは3回目なのですが、毎度まったく違うことを感じたり、回ごとに確信を深めてゆくようなことがあったり、裁判傍聴は何度来ても学びがあってすごいな…と思います。そういう良い学びの場を成立させて下さった皆様にも改めて感謝です。今日お休みだった方への半ば私信ですが、こんなことを感じたよということを感想としてシェアさせて頂きます。

■法律や裁判の意味・意義とは?
-わかりやすい勧善懲悪ではなく、弱者こそが罪を犯す
-隣の人も自分も、いつ犯罪に当事者として巻き込まれるかわからない
-裁判は被害者のためのものではない、公益のためのもの
-闘争の決着をつけるのは、法律や事実というより、論争の技術や人間の判断による結果

・・・といったことを、今日の傍聴中に考え、法律や裁判の一番の意味と言うのは「裁くこと」というよりも「抑止力」なのかなぁということを考えたりしていました。法律や裁判自体は、とっても不完全で人間臭いものだし、完全に正しい判決とか贖罪というものは、そもそも期待できないものなのかな。

■反省や再犯防止とは?
今回もやはり「未熟なひと」「衝動に弱い人」「立場的に弱い人」だからこそ、犯罪とわかっていても犯罪を起こすのだなと思う案件が多かったです。
前回の弁護士さんから教えていただいた反省のステップを向こう側で踏んでいるのを聞きつつ、自分だったら同じことにならなかっただろうか、同じことになったらどうやって更生すればいいんだろう、ということを考えていました。

*反省のステップ
1、犯罪の意味(被害者の心情)を理解する
2、そもそもの原因はなんだったのか
3、具体的な防止策はなんなのか

被告人になってしまった人たちの背景を見ていると、いろんな社会的しわ寄せが吹きだまって、「あとは自己責任で立派な市民になりなさい」って突き放されてるように思う。「弱い心に取りつかれないように」生きていける状態に安易に這いあがれるとは、どうしても思えないし、そのための社会的インフラがあまりに無いのでは。

なので、反省とはなんだろう、再犯防止とは何だろうと思うと、そもそもこういう方たちが犯罪を起こす必要がない社会がなければ、今も拘置所は満員という話も合ったけれど、社会からドロップアウトする人は増える一方なのかな、、と再確認したりしました。・・・・そんな感じです!またみなさんと傍聴についてトークする機会が作りたいです。ありがとうございました!



千穂さんのふりかえり

そうだ。そんなこと、考えて、書いていたなあ。

当時の記録を読んだり、せいこさんの話を今こうして聞いてみて、私にとっても裁判傍聴の経験はショックだったっていうことを思い出しました。数年経っても裁判傍聴の情景や戸惑いは今も鮮やかだし、思い返すとその「ショック」はすごく大事だなと思うんです。

テレビの画面越しに見ていた世界に、自分が入り込んで座る。
部屋の正面、少し高いところに裁判官が座る。
座って待っていると、緊張した面持ちの人たちや書類を抱えた弁護士さんたちが入ってきて、両脇に座る。
裁判官や被告人のひとたちがこちらを見る。
どきりとする。
そこにテレビの画面があるわけじゃない。
わたしと同じ人間があそこにいる。
裁判官として、弁護人として、被告人として、そこにいて、これから裁判をしようとしている。

特別な人が行くわけじゃなく、カフェで隣合わせた人が、たまたま何かの偶然で、ちょっとしたパーテーションのあるこっち側とあっち側に分かれて座っている。
もしかしたら私のちょっとした行動がわずかに影響があるかもしれない、そのくらいの距離感にすべてがいるんだ、あるんだ、っていうことがまずは大きかったです。


・・・寄り道・・・

・裁判官も、書記官も、弁護士さんも、被告人さんも、たいてい、お部屋に入ってこられると、傍聴席を見ているなあと思います。最初は、そのことにどっきりしました。ぎょ、っとされている被告人さんもいるように思いました。
でも、それはそうですよね。
もしも自分が被告人だったら、自分が裁かれるぞ、っていう時間、決められた部屋に入っていって、自分は話さなくてはならない。何を暴かれるだろうか、どれだけの目にあうだろうか、と緊張してぐっと閉じた気持ちで入っているのに、向こう側に設けられた傍聴席に、見ず知らずの人間がわっと座っていたら、それは好奇心なのか、正義心なのか、自分を責めているのか、どこかに書かれるのか、冷やかしなのか、敵なのか、わけがわからないし、もはやパニックなのではないかと思います。

・一方、弁護士さんは傍聴席の様子で張り切る人もいる、という話もありました。たくさんのオーディエンスがいると気持ちが乗る、というひともいるということですね。

・これらに比べれば、裁判官は、気分の浮き沈みの様子は見えなかったけれど、逆にものすごくそのひとの独特さ、みたいなものを感じました。
ちょっとヒステリックな印象のある裁判官がいて、
逆にすごく傾聴して諭してくれる印象のある裁判官がいて、
かっちりした厳密な感じの裁判官がいて、
カジュアルでややゆるい感じの裁判官がいて、
ドライな印象のある裁判官がいて、
道徳的な感触のある裁判官がいる。
バラエティのゆたかな様子にはむしろ人間味があって、
「絶対的な正義」に基づいて裁く絶対者という印象からはほど遠く、
こんな人たちの誰にあたるのかで、被告人として、全然違うだろ~!!と思いました。

・そう思うと、わたしはそういう様々なひとたちの気持ちにとても同調したし、そのひとりひとりの圧倒的な人間味になんていうか打ちのめされたし(会社生活の中で出会うような人たちよりよほど人間味がある)このメンバーでやるんだ!?みたいな偶然で自分の未来が左右される現場に居合わせた、ああ、これが正義なのか。みたいなことに、打ちのめされたのかなって思います。


・・・・・・

この話、続く予定です。


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