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不透明

自分自身のことを、以前よりも確実に説明ができなくなりました。
それも、どこがどう変化したのかも含め、不明慮で、自分の中で日々感情が順繰りしているはずで、片づけてはいけない感覚や、追いやってはいけない物事を放置しているうちに、自分がよくわからなくなってきている感覚に陥りつつあります。

これは、私の中では、非常に怖い状態で、
一度大学生の時にうつ病のような症状になり、
過眠のためほぼ寝たきりになったことがありました。その時の感情状態に近しいのです。

自分で自分のことを把握するのは非常に難しいです。友達が少なく、バイトもろくにしていない学生時代ならましてや、学生時代と比べ日々の情報量が10倍以上に膨れ上がった今、自分の感情にだけ集中して耳を澄ますことはものすごく困難なことだと感じます。変わりゆく、自分を追いかけても追いかけてもいつまでも追いつけない感覚があります。


結果的に、少しのことではへこたれないようになろうと、心を鈍らせるようにこの半年間で、変化という名の「退化」を進めてしまったように感じます。

昔は、自分の些細な感情にも敏感にキャッチし、それを言語化することができました。そしてそれが私の個性であり、長所だと思っていましたが、自分の些細な感情に気が付くためには、同時に悪く言えば神経質でいなければいけない為、
「社会」と言う多大なストレス下を耐え忍ぶことには到底向いていません。

私の特性は、当然、社会人になるとともに淘汰されていったように感じました。
実際、学生の頃より、心配事や不安は少なくなりました。しかし、些細な気づきや、感情の機微に本当に鈍感になりました。
何より「自分の気持ちがわからない」こと。
こんなことは、今までなかったと思います。

こんなのは、私らしくない。毎日毎日そう思います。
生きづらくても、どれだけしんどくても、人よりも、何倍も何倍もたくさんのことに気が付いて、心動かして生きていきたい。そう思います。


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