2024.4.2

今朝は、良い天気で絶好の新生活日和という感じだった。
適度に肌寒い風を切りながらイヤホンから流れる「カネコアヤノ」の楽曲を聞き、私は人込みをかき分け会社に足早に向かっていた。

カネコアヤノは良い。最近はサブカル的なものにある程度精通している人で、彼女を知らない人はいない、というくらいに世に精通している彼女だが、
世の中の人が良いと言っているから良い、と言う陳腐なものでなく、本当に彼女は素敵だ。
彼女の声は、心に靄がかかったときに聞くとその靄を、切り裂いてくれるようなまっすぐとした声だ。生活の大切さを、ただ見つめ続けるところもかっこよい。忘れたくない大切なことをカネコアヤノは教えてくれる。

昨日の投稿を機に、私は感受性を高めようとは思っているが、感受性を高める取り組みをはじめてやっと気づいたことだが、
自分自身に集中し、心を鎮める作業が社会人は取りにくい。
というか、社会人はロケーションが全体的に悪い。

なんてったって、電車でおじさんの後頭部を見たり、不機嫌な態度の上司の顔を見ながら高められる感受性などないからだ。
あるのかもしれないが、それは感受性というか、相手への共感覚というか忍耐強さの部類なのでは?

私の会社の直属の上司は、すこぶる気分屋だ。
ちなみに今日は機嫌が悪い日。別に自分が何かをやらかしたわけでもなく、その日の天気の様に上司の虫の居所が悪いというそれだけで、私の一日が憂鬱かそうでないかが決まるのだ。おかしな話だ。
しかし、上司の顔色を伺うのもなんだかんだ、習慣化され、自動思考化されてきている自分がいる。

なぜ、組織の中で一定の権力を持った人間が持つ影響力を想像できないのか、理解ができない。穏やかにしててくれ。
昔は苦手な人との上手な付き合い方とか考えてたけど、そんなものはない。
自分の哲学や宗教を守るには、自分の中で相手を殺すしかない。

まぁ仕事のことはもういいんだ。考えないようにしよう。
自宅に帰ってからは、最近はできるだけ音楽を聴くようにしている。あと読書。
最近、RADWIMPSのMVを学生の頃ぶりに見ていて、すごいなぁと、
これは宗教だなと、思った。
宗教の、考えに心から共感して付き従うみたいなあの縮図って、芸術の類にもいえる部分があるなって思ってて、
芸術とか、音楽とかって、みんな誰かの考えの集大成で、それに見た人聞いた人が共感して、応援している形は宗教に近いものを感じたなって、
RADWIMPSを見て思った。

おやすみなさい。



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