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小説「遊のガサガサ冒険記」その14

 その14、
 重畳たる山並みが果てしなく続く。大空は青く澄み渡り、高見山の尾根筋の樹氷が朝の陽光に煌めいている。身を切るほどの寒風にさらされながら、遊は磨墨の背にしがみつき、眼下の森の中に目を光らせている。
「この辺にいると思うんだけど。あっ、いた、いた」
 岩場に疾風の姿が見えた。お座りの姿勢で、両耳をそばだて周囲に注意を払っている。森の中の一瞬の動き、些細な物音、微かな臭いも見逃すまいと、神経を張り詰めているのだろう。上空の磨墨に気付き、物憂げに一瞥した。
「遊、寒いだろう。一度、山に降りて、今日こそ疾風の吉報を待とう」
「雷鷲、上空から疾風の動きを見守ってくれ」
 雷鷲は翼をすぼめ、下降していく。疾風の捜索の邪魔にならないよう、遊を乗せた磨墨は風下に回り、谷を挟んだ山の尾根に静かに降りた。
 遊らEW調査隊は計画通り、奈良県内の山中で最後のニホンオオカミの追跡調査をしている。
 記録によれば、明治38年(1905)年1月23日、アメリカ人の動物学者アンダーソンが同県東吉野村鷲家口で、最後のニホンオオカミを入手した。現在、英国の大英博物館に毛皮と頭骨が保管されている。
 アンダーソンは米国スタンフォード大で動物学を学んだ。英国貴族の第11代ベッドフォード侯爵の出資により、極東の小型哺乳類の収集を目的でその前年七月、日本に派遣された。ベッドフォードは中国のシフゾウの増殖を図り、絶滅の危機を救ったことでも知られる。
 その1月23日朝、地元の猟師らが一匹のオオカミを持ち込んだ。売買交渉は一度、不調に終わったが、再度、猟師が持ち込み、最終的に8円50銭でアンダーソンが手に入れた。通訳兼助手で同行した金井清によると、腹は稍青みをおびて腐敗しかけていたことから数日前に捕られたらしい。
「と、言うことは、その最後のニホンオオカミはその年の1月中旬頃までは生存していたことになる。貴重な情報だ。付近の山々を捜索しよう」
 出発前の打合せで、遊は地図を広げ、仲間に指示した。1月10日に現地入り後、雷鷲と疾風の懸命な捜索にもかかわらず発見できず、5日目を迎えている。
 寒風が樹間を吹き抜け、凍えるようだ。磨墨は風を遮るように膝を折って座り、翼で遊の体を覆った。羽毛布団に包まれているようで温かい。
「遊、わしのことも忘れんでくれ」
「忘れたわけじゃないよ。冬眠中だから、やたら声を掛けるのも悪いと思って」
 遊はウエストバッグを開け、亀吉を取り出した。
「うわっ、連日、寒いのう」
 遊は慌てて、亀吉をウエストバッグに戻し、顔だけ出せるようにチャックを締めた。
「亀吉、オオカミは一体、どこに身を隠しているんだろう。もちろん僕らの調査に気付いているだろうから、一層、森の奥に逃げ込んでいるのかもしれない」
「これだけ手掛かりがつかめんとなると、本当に最後の1匹かもしれん。だが、大丈夫、必ず見つける。疾風は普通のイヌより何倍も鼻が利くし、見ての通り体も大きくてタフだからな。雷鷲も抜群の視力で、上空から追っているんだ」
「見渡す限りの山の中にたった1匹か。猟師が虎視眈々と命を狙っているから、早く見つけないと殺されちゃう」
「第1段の調査だし、隊長として焦る気持ちも分らんではないが。隊長が仲間を信じなくてどうするんじゃ。じっと、吉報を待つしかなかろう」
 疾風は雪の積もる道なき道を歩き回り、雷鷲は北風に煽られながらも必死の捜索を続けている。仲間の苦労を思いやると、遊は亀吉の苦言に赤面する思いだった。
(仲間を信じ切らなきゃ)
 磨墨が励ますように、その長い頭を遊にこすりつけてきた。
 冬の日差しが中天にかかり、裸木の間から差し込むようになった。北風も収まり、幾分寒さも和らいでいる。
 上空で雷鷲が弧を描き始め、徐々にゆっくりとその弧を縮めている。獲物を捕捉したのかもしれない。遊の胸は躍る。
 雷鷲に返答するように、疾風の遠吠えがこだました。
「ウォッウォーオー、ウォッウォーオー」
 哀調を帯びたその遠吠えは、いつもより長く力強い。仲間を慈しむような響きさえ感じられる。
「見つけたようじゃ。何もしない、安心しろ、と疾風はオオカミに知れせておる。しばらく待っていよう。疾風が説得し、連絡してくるはずじゃ」
 亀吉が首を伸ばし、遊に落ち着くよう促した。
 ついにニホンオオカミを見つけた。体色、姿ははく製や写真でなんとなく想像できる。大きさは秋田犬と柴犬の中間ぐらいで、三角形の立ち耳で足が短い。絶滅以来、誰も見たことのない幻の生きた姿にもうすぐ間近で会える。遊の気持ちは逸る。立ち上がり、疾風の声のする森を凝視した。
 雷鷲はしばらく滑空を繰り返すと、役割を終えたように尾根に聳える常緑の大樹の中に身を潜めた。疾風がついにオオカミに接触したに違いない。
(頼む、疾風、説得してくれ)
 遊は一心に念じた。
 ニホンオオカミをどうにか助けたい。そのために、仲間の存在、生息環境、人間との関係など現況を詳しく聞き、保護対策に役立てたい。そう取材の趣旨をオオカミに伝えるよう、疾風には申し付けてある。
 谷間から湧き上がる上昇気流に乗って、待望の遠吠えが聞こえた。
「ウォー、ウォー」
 簡潔な乾いた鳴き声だった。
「これって、了解って合図でしょ」
「そうだ。疾風、やりおったな。後で褒美に旨い肉を食わせてやらんとな」
遊と亀吉は苦笑いした。
「それじゃ、早速、疾風の元に直行するよ。早く乗って」
 磨墨に促され、遊は鞍に跨った。磨墨は尾根道を下り、見晴らしの利く岩場に立った。
「しっかりつかまって」
 磨墨は2度、3度、大きく羽ばたきし、上昇気流に身をゆだねた。疾風の呼ぶ声が谷間に響く。磨墨は風を切り、降下を続ける。
 緑の谷間を白く波立つ渓流が縫い、少し開けた岩場に疾風は立ち、上空を見上げている。磨墨は大きく翼を広げ、スピードを落とすと、渓流沿いの岸辺に降り立った。
「オオカミはどこにいるの?」
 遊は疾風の元に駆け寄って尋ねた。
「そこの林に隠れている。怯え、困惑しているんだ。人間を相当、警戒している。痛い目にあっているらしい。その忌まわしい人間が見たこともない翼を持った馬に乗って飛んでくるんだから驚くのも無理はない。だから、説き伏せるのに脅しすかしたのさ。まだ若い雄だったから、どうにか押しきったよ」
 疾風は身を翻して走り去り、林の中に消えた。
 間もなく、疾風の後ろを1頭のイヌに似た動物が連れ立って近寄って来る。疾風は川上犬の血を引く超大型犬だが、そのイヌに似た動物は疾風と毛色、立ち耳、巻尾など瓜二つで、川上犬そのものに見えた。疾風の剛腕に恐れをなしているのか、群れのボスに従うように疾風の後方に控えている。
「じゃあ、話を聞こうか」
「待ってくれ、ここから出さんか」
 遊は慌ててウエストバッグから亀吉を取り出し、石の上に置いた。亀吉はのそのそと石から下り、浅瀬に身を沈め、顔をのぞかせた。水が恋しかったようだ。
「わしはここがいい。さあ始めてくれ」
 疾風が振り返り、そのオオカミに前に出るよう促した。オオカミは首を下げ、覗き込むように遊を見ながら近づいていく。尾は垂れ、警戒している。
「こんにちは。僕は遊。この調査隊の隊長を務めている。君たちの仲間がどんどん数を減らしていると聞いて、どうにか守ることはできないかと調査にやって来たんだ。だから調査に協力してほしいんだ」
 そのオオカミは身を屈め、唸り声を上げた。疾風が駆け寄り、唸り返す。観念したようにそのオオカミは警戒を解いた。疾風が傍に連れ添っている。
「それじゃ、わしが通訳せんとな」
 亀吉の存在に気付き一瞬、そのオオカミは驚き身を引いた。亀吉の流暢なオオカミ語にに安心したのか、ぼそぼそと返答し始めた。
「ケンと呼んでくれといっておる。話は分かった、何でも聞いて欲しいそうだ。でも、もう手遅れかもしれないと付け加えておるが」
 ケンと名乗るニホンオオカミの両目は琥珀色の結膜に黒い瞳、小ぶりな両耳は些細な音も聞き逃すまいとピンと立ち、理知的な印象を与える。
「まず、ケンとケンの家族のことを教えてほしい」
 亀吉の通訳を受け、ケンは1度、両目を閉じてから答えた。
「ケンは2歳の雄だそうだ。可哀そうに、父も母も、お兄さんもいたが、みんな死んだそうだ。仲間ももういないらしい。独りになって以来、何度、仲間を呼んでも、誰もやって来なかったといっておる」
「何時、独りぼっちになったの」
 ケンはうつむき加減に、話している。脇にいる疾風が労わるように寄り添った。悲しい話に違いない。
「去年の冬、父が人間に殺されてからだという。つまり、ケンが一歳の時だ。人間の仕掛けた括り罠にかかっってしまったそうだ。ケンは嘆いておる。僕が悪いんだ。僕がお腹空いちゃったって聞き分けのないこと言ったから、と。父と一緒に人里近くまで下りて、罠の餌の鶏に騙されたらしい」
「なんで、危ない人里まで行ったの。山でシカやウサギやイノシシを捕まえればいいじゃない?」
 亀吉の通訳を聞き終わると、ケンは背筋を伸ばし、堰を切ったように訴える。亀吉はのそのそと石に這い上がり、耳を傾けた。
「人間に追い詰められている現状をしっかり知ってくれと言っておる。人間は山奥まで入り込んで原生林を次々と切り払い、ヒノキやスギに植え替えてしまうから、餌も住処もどんどんなくなっている。人里に降りるのは仕方ないんだ、飢え死にしちゃうんだから。その上、害獣退治だと人間は鉄砲を構え、罠を仕掛ける。どうしてこんなに毛嫌いするんだ、人間が悪いのに、と憤っておる」
 ケンは天を仰ぎ、悲しげに吠えた。
「ウォウォオー」

「おお、聞いたか?今の遠吠えを」
「ああ、いるぞ、いる。確かにこの谷にいる」
 吉之助の問いかけに、同じ猟師仲間の為三と加吉は両眼をぎらつかせ、
「何としても仕留めるぞ。あの外人に高く売りつけるんじゃ」
 と、お互いに目配せした。
 アンダーソン一行はこの年1月13日から山里の旅館・芳月楼に宿泊し、動物を買い集めている。既に来日以来、北海道、東北、静岡、愛知などを回り、オオカミを入手する3日前、奈良入りしていた。吉之助ら猟師3人は噂を聞きつけ、山野に獲物を追っている。
「カモシカ2頭を9円50銭で買ったっていうじゃねえか。何でも宇陀村の吉田ってのが持ち込んだって話だ」
「その前は、シカ一頭に4円50銭も出したって話だ。オオカミもこの辺じゃめったに見かけねえ。捕めりゃ一儲けになる。あの外人にいい値段で買い取らせようぜ」
「そういうこった。さっきの1頭、早く仕留めちまおう。他の猟師も聞きつけたに違えねえし、外人一行が別の場所に移っちゃ、後の祭りだからな」
 3人は遠吠えのした山中に急いだ。

 ケンからの聞き取り調査は続いている。
「亡くなった親からの伝承でもいいんだけど、君の仲間はいつごろから、少なくなったと聞いている?」
 ケンは首を傾げながら記憶の断片を思い起こすように、亀吉に答えた。
「伝え聞いた話だと、もともと生息数は多くはなかったらしいのじゃ。まあ、肉食動物で食物連鎖の頂点だから、絶対数が多いわけじゃなかったのだろう。だがな、ケンはこんな話もしておる。人間は昔、オオカミを大切にしたと」
「そうなの、厄介者として嫌われていたんじゃないの」
「それは誤解じゃ。わしもオオカミ信仰の話は聞いたことがある。オオカミは田や畑を荒らすシカ、イノシシを退治したからのう。古代、日本武尊が秩父山中で道案内させたと言われるし、オオカミは大きな神様と崇められ、オオカミの狛犬もあるそうじゃ」
 日本にはオオカミと共存してきた証がある。オオカミ=怖い、のイメージは西洋の童話・赤ずきんが刷り込まれたものだろうか。
「ケンはこうも訴えておる。オオカミは無闇に餌をとらない。必要な時に必要な分だけ、しかも病気やケガして弱っている獲物しか狙わないと」
 ケンの訴えに、遊はニホンオオカミの気高さ、謙虚さをしみじみと感じた。もちろん、他の野生生物も同様だろう。
「考えさせられるじゃろう。それと、ケンは遊に逆質問しておる。どうして平和共存ができなくなったのかと。オオカミが人間に対し恨まれるようなことをしたのか、ともな」
 靴を踏んだ者は踏まれた者の気持ちは分からない。いじめを受けるようになって間もなく、父イリエスが問わず語りに口にした。ケンの悲痛な叫びが今の自分の心情と重なり、反論しようもない。
「オオカミは何も悪くない。悪いのは人間さ。親も兄弟も仲間も失った君は何を今更と言うかもしれない。でもね、共存共栄できると思っているんだ、これまではずっとできていたんだから。こんなに人間が欲張りで身勝手になったのは明治に入ってから、つまり君のお父さん、おじいさんの頃からなんだよ。やり直せる。君たち他の生き物と仲良くできる。そう信じているから、君に会いに来たんだ」
 亀吉は途中で顔を背け、仕方なさそうにケンに伝えた。
「ケンの身になってやらんか。遊の熱意は分からんでもないが、瀬戸際の縁に立たされたケンにとっては口先だけの机上の空論でしかないじゃろう。ケンは聞きたいんじゃなかろうか。それで人間は何をしてくれるのかって」
「じゃあ、伝えて。僕たちは人間に追い詰められたニホンオオカミの君や同じような境遇の動物たちの声を集めて、人間の心を支配する自制の神にお願いしに行くんだ。生き物の一員であることを自覚し、傍若無人な振る舞いを慎むようになるための秘薬を授かるために」
「分かった。責任重大じゃのう、遊もわしも」
 亀吉は短い手で石を叩いて、ケンに伝えた。疾風も何か口添えしている。
 ケンは首を上げ、遊を見て口を動かし始めた。ケンの話を聞きながら、亀吉の両目が潤んだ。亀吉は言葉を詰まらせながら、訳した。
「人間は強くてずる賢くて、到底、かなわないのは分かっているんだ。僕ら狼だけじゃない、生き物みんなが分かっている。人間は支配者だからこそ、寛容であるべきじゃないのかい。まだ、日本のどこかで仲間が生き残っているかもしれない。探し求めて、山の奥深くで仲間とともに暮らしたい。決して人間の邪魔をしないから、どうにかその時は、そっとしておいてくれないか」
 遊は泣くのをこらえた。このミッションは辛い。ケンの身の上に死が迫り、最後のニホンオオカミとなることを知らない。これ以上、遊は話を聞くのが堪えられなくなった。
「分かった。今日は本当にありがとう、自制の神に、君の思いをきちんと伝えるから」
 遊は腰を屈めた。涙が目尻からこぼれる。
 ケンは別れを惜しむように遊にじゃれつき、耳元で囁いた。
「また会おう」
 遊にはそう聞こえた。涙が溢れ出る。
「ごめん、別れるのが辛くて、つい」
 遊は右手で涙をぬぐった。
「ケンは獲物を見つけに行くと言っておる。気の毒に1週間も何も食べていないらしい」
「亀吉、ケンに言ってくれ。悪い人間にくれぐれも気を付けるんだ。ケンを必死に追いかけている猟師らがいるんだから、と」
 ケンは立ち上がった。疾風が近づき、名残惜しそうに体を寄せ合う。疾風はケンの運命を知っている。仲間として悲しくてせつなくて、胸が押しつぶれそうなはずだ。
 上空を雷鷲が飛び回り、別れの挨拶をしている。ケンは遊、亀吉、磨墨、疾風と順に顔を向け、姿勢を正すと、思いを断ち切るように一目散に森の中に突き進んでいった。
 残った遊らは重い空気に包まれた。
「磨墨、ケンを追ってくれ」
 運命を変えることはできない。でも、最後の一瞬まで見届けたい。拾い上げた亀吉は何も言わず、ウエストバッグに収まった。
 磨墨は助走し、飛び立った。遊の意思を悟ったように、雷鷲も疾風も追跡し始めた。
 陽光が西に傾き、森の陰影を際立たせている。
 落葉した雑木林の中で、1頭のシカをケンが全速力で追いかけている。その先は杉林で、林を抜けると人里の溜池に出てしまう。池近くの作業場では、数人が作業している。
「ケン、ダメだ、危ない、引き返せ」
 遊は涙を流しながら叫んだ。 
 常緑の杉林にシカとケンは入り込み、姿が見えなくなった。
 突然、シカが林を抜け、池に飛び出し、ケンの姿が見えた。その途端、氷が割れ、シカとケンは池に落ちた。
「おーい、オオカミが池にはまったぞ。早く来い」
 山中から火縄銃を背負った3人と、作業場にいた男らが棍棒を手に取り、競うようにケンに近づくのが見えた。
 遊はいたたまれなくなり、磨墨の尻に鞭を入れた。
                        その15、に続く。
その15:小説「遊のガサガサ冒険記」その15|磨知 亨/Machi Akira (note.com)

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