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小説「ある定年」㉒

 第22話、
 雨模様で白く霞んだ富士山が車窓一杯に広がりはじめた。ぴんと張った一本の糸の真ん中を山頂までつまみ上げたような均整の取れた稜線が山麓に向けて緩やかに伸び、裾野には家並みや田畑、ゴルフ場などが城下の家臣屋敷のように広がり、その人々の営みを従えるように傲然とした佇まいを見せつける。
 旅の際、これまで何度も漫然と見過ごしたその姿を、江上は食い入るように見詰め、脳裏に焼き付けた。
 車内アナウンスは新富士駅を過ぎたことを知らせている。
(悩むことは贅沢なのか)
 江上は、昨晩の金屋との会話をかみ砕いている。
 彼女は唇を引き締め、彼の瞳を見据えた。白い肌にほんのり赤みが刺していた。
「江上さんって、本当に恵まれていて、羨ましいと感じて。だって、そうでしょう、川上のお仕事っていうか、記事を通して多くの人に影響を与えられるし、その上、小説も書いて、私を含め読者を持っていらっしゃる。私なんか、会社の経理担当で、毎日、数字とにらめっこ。毎日が単調でストレスが溜まって。ごめんなさい、泣き言みたいで」
「とんでもない、経理のお仕事も大変だし、会社にとって大切な業務でしょう。私なんか、数字アレルギーで、からっきし苦手で。でも、記者だって毎日、出社原稿に追われ、朝駆け夜討ちでストレスだらけの職ですよ。どんな仕事も温度差はあるかもしれないけど、同じじゃないかな」
「ごめんなさい、聞き方悪くて。そういうことじゃなくて、記者経験があって取材も執筆もできて、小説も書けるのが素晴らしいということなんです。記者を辞めても魅力的で創造的なことに傾注できるじゃないですか。実際、小説も既に何冊か執筆なさっているんでしょう」
 40年弱、記者の仕事に携わり、取材相手から文章を書けるのは羨ましい、とは言われたことは何度もある。しかし、自分の小説が魅力的で創造的と自覚したことはなく、あくまで地元の良さを知ってもらうまちおこしのツールとしか考えていなかった。
「だけど、業界では記者はつぶしのきかない商売って言われているんです。仕事柄、押しが強くて横柄で、1言言われれば3言返すし、頭は下げないから扱いづらい。それに編集関係の仕事は大都市に集中していて、転職もままならないんです」
「そうかもしれませんけど、江上さんは違うと思うんです」
「違う?」
 酔いが手伝っているのだろうか。江上の脳裏に、彼女の言葉が警鐘を鳴らすように反響する。
「5年前、第1作に添え書きを入れて送ってくださいましたよね」
「添え書きって郵送販売の方に同封したものですか」
「ええ、私、わざわざ足利に鑑賞しに行ったのに、実はつい買い忘れて、後からメールで連絡して送っていただいたんです。だから、あの添え書きを持っているし、今でも大切にとってあるんです」
「あの時は予想以上の売れ行きで、品切れになっちゃって。それで予約注文していただいた皆さんらに、A41枚、礼状として入れた記憶があります。ネット注文も含めて300冊以上も注文を受けて、妻と2人で手分けして梱包し郵送しました」
 5年前、山姥切の足利初展示の際、自費出版した「国広、足利で打つ」は初版2000部が瞬く間に売り切れた。急きょ追加注文する一方、ミュージアムショップとネット経由で予約注文を受け付けた。
「あの礼状って、江上さんの故郷に対する熱い気持ちが込められていて感動しました。通り一遍の無味乾燥な文章じゃなくて、本当に気持ちがこもっていた。確か、街が衰退し、学生時代に通っていた路地裏の喫茶店やラーメン店がなくなって、とか綴られていて。末尾に、読者にもエールを送っていましたね」
「えーと、何て書いたかな。ごめんなさい、思い出せなくて」
「こんな感じでした。皆さんの故郷はいかがですか。この冊子が、故郷に思いを馳せる一助になってほしい、と。江上さんて本当に、足利を愛していらっしゃるんだなってつくづく感じました」
 その冊子は、足利と国広の関係を市民を含め一人でも多くの人に知ってもらい、まちおこしにつなげたいと、初めて自費出版した。その思いを、読者はきちんと汲み取っている。自分の記した一文を江上は反芻した。
「だから何も悩むことはないし、悩むことって贅沢だと言いたいんですね、私のことを」
「贅沢だなんて言いませんけど、だけど、江上さんは65歳の定年を前に、既に方向性をしっかり持っていらっしゃるじゃないですか。何も悩まれる必要なんてない。そう思うんです、私。でも、いろいろ江上さんにも事情があるかもしれませんね。すみません、生意気な口を聞いて」
「とんでもない、こちらこそ、そこまで私のことを心配してもらって」
 彼女の熱を帯びた一言、一言が江上の胸に錐を刺し込まれるように響いた。
 13年前、日刊栃木を早期退職後、歌麿調査に従事したのを契機に、疲弊する地方都市のまちおこしに目覚め、地域の埋もれた歴史文化資源を探り紙面化し、小説も手掛けた。65歳定年後、フリーな立場だからこそ、もっと愚直に取り組めるはずだ。年齢的に残された時間は貴重なのだから。
(とことん突き詰めることか)
 彼の封印した記憶の箱が空き、苦い思い出が立ち上ってきた。
 10年前、歌麿調査の契約期間が切れるのを控え、身の振り方で思い悩んだ。それまでの2年半の活動で肉筆画2点を見つけ、官民総がかりの歌麿まつりも始まり、新たなまちおこしの緒に就いた。ただ、行方不明となっていた歌麿の大作・雪の確認調査が中途のまま、課題として残っていた。
 大作は栃木市に残っている、とそれまでの調査で確信していた。調査を継続するには、自力でNPOなどの新たな組織を立ち上げてやるしかない。
まちづくりの原動力はよそ者、若者、ばか者といわれる。よそ者は第三者の視点でその街の魅力を見極め、柵を気にせず果断に事業推進できるからだが、保守的な土地柄では地元の既存団体などとの軋轢の生じることがままある。俗にいう、出る杭は打たれ、足を引っ張られる。江上も2年半の調査で、身に染みて感じていた。
 結局、江上は役割を終えたと言い聞かせ、活動に終止符を打ったが、
(完全燃焼すべきだった)
 と、極めることを放棄した悔恨が胸の奥に沈殿したまま、今でも時折、異臭を放つ。
 2年後、大作・雪の発見がニュースに流れた。関係者の話として、その2年前、都内の倉庫で見つかり確認作業を進めていたという。江上の調査団体が閉鎖した年だった。大発見は指先から零れ落ちた気がした。
 同じ轍は踏まない。
 房州楼の女将、芳野の痛烈な一言が蘇る。
「足利がお嫌いになったの」
 窓外に高層ビルが立ち並び、ネオンがまぶしく瞬いている。もうすぐ、新幹線は終点、東京駅に着く。
 自分探しの短い旅はもうすぐ終わる。
                          第23話に続く。

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