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「正しい」じゃないなら、何がいいの?



正しくやろうと無意識に思う



先日、ドイセンセーと話しててね。


ドイセンセーとけーちゃんとやってるラジオ↓



「正しくやるって

 大して重要じゃなかったわー

 そうだわー

 となっている、なう」


「そもそも正しくできてないのに

 正しくやろうと無意識に思うって

 怖いw」


という話になってね。


ほんと、まさにそうだわ

って思いました。


正しいって、恐ろしい・・・・w




どうして「正しく」やりたくなっちゃうのかしらね。笑

というか


どうして自分のことを「正しい」と

思っちゃえるのだろうかねぇ。笑


ま、ここを突っ込んでくと長いので

今回は横に置いておいて。



ただそれだけ


でね、

土居センセーに聞かれたんです。


「正しくより、なんだろうね。

 何が良いの?

 その人っぽさ?」



わたしのこたえは


「美しい」

「何を美しいと感じるか」


です。


だって、

正しさって、どれが正解かわかんないし

正しさ VS 正しさで

めんどくさいし(←


正しさ自体は別に持ってても

いいと思うけど。


「正しい」って

「共通してる」って

勘違いできるじゃん?



だけど。

「美しい」って。


主観です!

って、いう言葉だから。


「ああ、あなたはそれが美しいと感じるのね」

って。



そこに攻撃を生まないな〜って

思うのです。


わたしは芸術センスが無いので

現代アートを理解するのは

地球がひっくり返っても難しそうですが


そこにある感性を

理解はできなくても

否定はしないんですよね。


「ほぉ〜〜〜」って思うだけ。



わたしはこれが美しいと感じる

だから、これを生きる


ただそれだけ。



それに

美しさってファジーだし

感性と感性の掛け合わせも可能だから

人とのつながりで

無限の可能性を開いていけそう。


「正しい」を生きるのもいいけど。


「美しい」を生きるの、

すごく楽しいと思ってます♪


あなたはいかがですか?

よかったら「美しい」チームに参加しません?笑

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