見出し画像

恐怖が体に入ってくる




「あーーーこれかぁ」


今日のnoteは

何言ってるかわかんない、って感じかもです。

ごめんなさい。


意味わかんなかったら、スルーしてね♡



先日の夜

恐怖が体の中に入ってくる

という体験をしました。


ふとしたきっかけで

世の中に蔓延している

コロナに対する恐怖と共鳴したんです。


あと

ワクチンに対する恐怖もあったかな。



体の中から恐怖感が出てくるような

そんな体感があって

自分の中に恐怖が動いているのを感じながら

客観的にも眺めて

「あーーーこれかぁ」って思ってました。


その恐怖感ってね

放っておくと本当に際限なく続く感じで

学ぶこともたくさんあったのですが


その時の夜はね、もう眠かったので

恐怖感を終わらせて寝ました。




ニュートラルな状態



いったん、世の中の感情に引っ張られると

結構戻しにくかったりします。

特に感情が大きいとね。


ちょっとしたきっかけで、

と書きましたが


わたしはその時に

恐怖感を体に入れることを許可したんだと思うのです。


以前ね

「その怒りを体に入れたらだめだよ」

と言われたことがあって


その時は「???」だったんですが。


今ならわかる。


他人の感情、世の中の感情、

特にネガティブなものを

「体に入れない」って大事。



自分の感情を浄化する時に

他人の感情と共鳴してわかりやすくなって

浄化させていく、というプロセスは

よく起こるし、便利だな〜〜〜と思います。


ただ、それとは別に

ネガティブな感情を無防備に体に入れないこと

もすごく大事だと思うのです。


引っ張られたくない時はね、特に。


誰かの、とかじゃなくて

集合無意識的なものって

無意識が繋がってるから入ってきやすいし。


そこに家族とかが介在すると

余計にアクセスしやすくなる感覚です。


目の前の人のものだった場合は

寄り添うし、鏡として学ぶし、共鳴共振もする


けど

体の中に入れる、とはちょっと違う感じです。



そのためには

ちゃんと自分を整えておく

自分を自立させておく

必要があるな〜〜って思ってます。


ニュートラルな状態になって

それから選択したらいいよね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?