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出口治明著「逆境を生き抜くための教養」書籍レビュー

 脳出血で倒れ、失語症・右半身まひという後遺症を抱えた著者は、懸命なリハビリを経て大学の学長職に復帰。72歳で直面した人生最大の逆境を乗り越える支えとなったのは、それまで読んできた1万冊以上の本から得た「知の力」「教養」だったという。本書は、逆境を生き抜くために役立つ物事の考え方や知識を、「知は力なり」を身をもって体験した著者に学ぶ一冊である。

 初めに、著者の出口治明氏に触れる。出口氏は、現在、立命館アジア太平洋大学(APU)学長を務める。現在までの経歴は、京都大学卒業後、日本生命に入社。ロンドン現地法人社長、国際業務部長を、要職を務めるが、当時の社長と、海外業務展開で対立し、同社を退社する。その後、ネットライフ生命保険を創業。社長、会長を10年務めたのちに、現職に至る。
 世界1200都市を訪れ、1万冊超を読破した“現代の知の巨人”、稀代の読書家としても知られ、日本生命退社後は、著作活動もこなし、著作も40冊を超える。

 それでは、本書の概要を記す。

 著者は、本書の初めにプロローグとして、自身の人生最大の逆境を語る。

 人の世は、変化の連続です。社会情勢だけでなく、僕たちひとりひとりの暮らしも、常に順風満帆というわけにはいきません。
 誰でも、調子のいい順境にあるときほど「この状態がいつまでも続くだろう」と思い込みやすいものです。でも、残念ながらそうはいきません。順境は、大抵の場合は「突然に」、逆境に転じます。(中略)
 コロナ禍のもと1年が過ぎた2021年1月に、僕自身も大きな災難に遭遇しました。脳出血を起こし、病院に運び込まれたのです。72歳にして、生まれて初めての入院でした。命が助かったのは幸運でしたが、右半身がまひして思うように動かせない。それに加えて、失語症にもなっていました。自分の足で歩くこともできなければ、話すこともできません。とにかく、リハビリに励むしかありませんでした。(中略)
 でも僕は、APUの学長を辞めるつもりはまったくありませんでした。執筆や講演活動なども、前と同じように続けたい。乗り越える壁が高いので、リハビリも厳しいものになりました。
 いまだに喋るのに苦労しますし、徒歩の移動は困難なので、電動車いすのお世話になっています。(中略)
 倒れてから1年後の2022年1月には、立命館東京キャンパスからオンライン会議に参加する形で仕事を再開。3月末には、APUキャンパスがある大分県別府市に戻り、本格的に学長職に復帰しました。(中略)
 ほとんどの人はとても驚きます。「強い精神力をお持ちなのですね」「自分なら絶望してしまって、立ち直れないと思います」などと言われることもあります。(中略)
 でも僕は、そんなふうに言われても、あまりピンと来ませんでした。(中略)目の前の現実を受け入れ、「ではどうすればいいか」と考え、やれるべきことをやる。僕がやったのはそれだけです。(中略)
 状況の変化に対して良い判断を下し、正しい行動を取るためには、まずは数字(データ、エビデンス)とファクトをしっかり把握し、それに基づいてロジカルに考えることが大切です。数字・ファクト・ロジックという3つの要素がどれかひとつでも欠けると、思考が曖昧なものになっていまう。(中略)むしろ厳しい逆境のときこそ、数字とファクトに基づいて論理的に考えることが求められるのだと思います。(中略)
 気力や精神力はたしかに大事です。でも、それに加えて重要なのは「知力」だと、僕は思います。「教養」といってもいいでしょう。
 僕自身、病という逆境から復活するまで、いままでに読んだ1万冊以上の本から学んだ物事の考え方や歴史の知識などが、大いに役立ちました。(中略)
 「将来に何が起こるかは誰にもわからない。だから、川の流れに身を任せ、流れ着いた場所でベストを尽くそう」「流されて岩にぶつかったり、濁流にのまれたりすることを面白がろう」(中略)大学時代に読んだダーウィンの「種の起源」から学んだ考え方です。
 逆境は、必ずしも苦しいことばかりではありません。そもそも逆境とは、自分を取り巻く環境の変化によって生まれるもの。季節が変われば目に入る風景も変わるように、逆境を迎えた人には、それまでの順境では見えなかった風景が見えてくるのです。

出口治明著「逆境を生き抜くための教養」より

 著者は、障害者となり、車いす生活を体験し、マイノリティの立場から、世の中を経験することにより、社会に対する考え方が多様化したことを語る。その中で、右半身まひの体では、どうしても、誰かにサポートしてもらわないと出来ないことを体験する。そして「自立」とは、”いかなる事か”に言及する。我々健常者にとっても、示唆を与える内容である。

 自立とは、誰にも依存せずに生きることではありません。誰かに依存している点では健常者も同じことです。依存先がたくさんあると、かえって他人に頼っているように感じない。だから障がい者も、頼る相手をどんどん増やしていくことで、自立することができるのだと思います。
 僕も別府で職場に復帰してから、人に手伝ってもらうのがどんどんうまくなっていきました。

出口治明著「逆境を生き抜くための教養」より

 さらに、障がい者となった自分の捉え方、そして健常者と障がい者との共生について言及する。

 健常者から障がい者へ属性が変化したといっても、社会全体の中で見れば、誤差のようなポジションの変化です。いま世界に約80億人の人類が生きていますが、その中で立っている位置が、病気の前と後でほんの少し変わっただけのことだと思っています。(中略)
 健常者としての老化に比べれば低下のスピードが速かったというだけで、どうせ下がっていくので、僕の人生全体から見ても誤差の範囲みたいなものです。(中略)
 障がい者と健常者のあいだにそのような壁が生まれてしまうのは、マジョリティの側がマイノリティの存在に「慣れていない」ことがいちばんの理由だと思います。(中略)
 だから、僕は、不自由な自分の姿をどんどん外に出して見てもらおうと思います。大学の学長というポジションにある僕が、電動車いすに乗って元気に活躍するのを見れば、人々の意識も少しは変わるでしょう。(中略)
 僕がいまのような「逆境」に出会ったのは、ささやかながらも社会に良い変化をもたらすための、運命だったかもしれません。

出口治明著「逆境を生き抜くための教養」より

 そして著者は、逆境を乗り越える原動力を語る。それは、APUの学長として、「第2の開学」である、持続可能な地域開発と観光について学ぶ「サステナビリティ観光学部」の設立を成し遂げることであった。

 何か「これだけはやり遂げたい」ということがあれば、逆境から早く立ち直ることが出来るのではないでしょうか。(中略)
 これまでAPUは、「ダイバーシティ」と「インクルージョン」を掲げ、「混ぜる」ことにこだわってきました。そこに「解を出す」ことを加えたい。
 ロシアウクライナ侵攻や気候変動など、現在の世界が抱える課題は複雑に絡み合っていて、すべての当事者が納得できる解などないといえます。
 そんな状況だからこそ、僕は「解を出す」ことにこだわる必要があると思っています。解がないからといって立ち止まっていては、何も始まりません。
 「第2の開学」に際して、僕は「明確な解がない中で自分が信じる解を導き出し、それが解として正解なのか実際に行動してもらいたいと考えます。時には失敗することもあるでしょう。それでもいいのです。そんなときは立ち上がり、また前を向いて試行錯誤すればいいだけです」という学長メッセージを発表しました。
 これは、逆境を生き抜くために大事な姿勢であると思います。

出口治明著「逆境を生き抜くための教養」より

 また、著者は、歴史の中で、逆境を乗り越えた人々の例を挙げ、「小さな目」にとらわれず、「大きな目」で物事をと見ること、そして歴史に学ぶことの大切さを語る。

 僕たち人間の前に立ちはだかる逆境は、その大半が「小さな目」で見える環境の変化によるものです。「大きな目」で見れば、どんな逆境もいつか必ず終わりを迎えます。
 ですから、逆境にさらされたときには、それが過ぎ去ったときのために準備を整えておくことも大事です。
 僕は、会社で左遷されたときには、仕事が暇になって生まれた時間を旅や読書に使いました。ただ好きなことをやっただけで、具体的な目的のために準備したわけではありませんが、結果的にはそれは還暦以降の人生に役立っています。(中略)
 「小さな目」で世の中を見て悲嘆に暮れていただけでは、希望は持てません。(中略)いまやれる準備をできるかぎりしておく。起きてしまったことを巻き戻してなかったことにできない以上、ひとりひとりの個人にできるのはそれだけです。(中略)
 そして、逆境にあるときこそ、やはり歴史を学ぶことが大切です。歴史を学べば、逆境がいつまでの続かないことがわかり、未来に向けた勇気を持つことが出来るのです。

出口治明著「逆境を生き抜くための教養」より

 そして、生命進化の過程、人間の歴史の史実から、生き残りに必要な要素を考察する。

 どんな逆境も「自業自得」なんかではない、ということです。(中略)順境を招くか逆境を招くかは、結局のところ運と偶然に左右される。いずれにしても、自分の意思や行動でコントロールできることではないのです。(中略)そこから生き残るのに必要なのは、与えられた環境に適応すること。生き残りに求められるのは強さでも賢さでもなく、「運」と「適応」なのです。(中略)
 生き残るために必要なのは「適切なときに適切な場所にいる」こと。「運がいい」とはそういうことだと僕も思います。(中略)
 人生における逆境と順境は、まさに凧にとっての風と同じでしょう。(中略)歴史の中で幸運に恵まれた国や人物たちも、凧や体力の準備を整えていたからこそ、そのチャンスをつかんで高くジャンプすることができたわけです。それが生き残りのために必要なもうひとつの条件、「適応」です。
 ですから、目の前の逆境は、次の順境へ向けた準備期間と考えればいい。そう心得てやるべきこと・できることを続けて、状況が転ずるのを待つ。運は人間の力ではコントロールできませんが、適応は関与の余地があります。「運」と「適応」とは、そういうことです。

出口治明著「逆境を生き抜くための教養」より

 以上が概要である。

 私が本書を通じ、著者からもらったエールは、

・自立とは頼る相手をどんどん増やして自分の生きるすべを獲得すること。自分の周りでも、ハッピーに生きている人は、仲間に支えられている人。

・逆境は「小さな目」で見える環境の変化によるもの。「大きな目」で見れば、どんな逆境もいつか必ず終わりを迎える。逆境にさらされたときには、それが過ぎ去ったときのために準備を整えておくことが大事。

・明確な解がない中で自分が信じる解を導き出し、それが解として正解なのか実際に行動する。失敗しても、また立ち上がり、前を向いて試行錯誤すればいいだけ。

である。

 72歳で、障がい者となっても、前を向き、障がいさえも、自分の糧としていく姿勢、考え方に、出口氏が持つ”真の知性”を感じた。

 本書には、著者が障がい者となったことによる気づき、逆境を乗り越えるための思考のもとになった”歴史の実例”が豊富に語られている。著者の思考のフレームワークの元を知ってみたい方は、ぜひ一読をお勧めする。

 最後に、著者が、本書のあとがきで語った内容に感銘を覚えたので、その内容を記す。

 教養とは何でしょうか。どうして人間には教養が必要なのでしょうか。もし、そう質問されたら、僕の答えは「教養とは、人生におけるワクワクすること、面白いことや、楽しいことを増やすためのツールです」という一言に尽きると思います。
 よりワクワクする人生、より面白い人生、より楽しい人生を送って、くいなく生涯を終えるためのツール、それが教養の本質であり核心であると僕は考えています。(中略)
 男性で健常者で大学の学長で・・・という圧倒的にマジョリティ側だった僕が、障がい者というマイノリティ属性を持つことで、現実の社会を見る新しい目も獲得しました。あらゆる人が生きやすい社会にしたい。やりたいことが、またひとつ増えました。
 この本では、そのような、「知の力」「教養の力」をあらためて実感した体験を踏まえて、「逆境の乗り越え方」について、「小さな目」と「大きな目」でお話してきました。「逆境」に直面したら、数字とファクトで目の前の現実を把握すること。
 過去は過去。失ったものを嘆いても、もっとこうすればよかったと後悔しても、しょうがない。現実を受け入れて、ロジカルに導き出される「自分に必要なこと」「自分ができること」を実行すること。(中略)
 「人間の能力はみんなどっこいどっこいで、チョボチョボ」。(中略)
 かかる時間は人それぞれでも、行きつく答えはただひとつ、「自分に必要で、できることをやる」ということです。
 いまはつらくてクヨクヨしてしまっていても、どんな人でも必ずそこにたどりついて、逆境を乗り越えることはできます。終わらない逆境はありません。そこを信じて、ベストを尽くすことを目指してほしいと思います。

出口治明著「逆境を生き抜くための教養」より


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