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君たちはどう生きるかを語る

ネタばれあり!!
映画を見たのは一度だけ!
ノリで書く!

2023/9/23 追記あり



私の結論

役割から解放し見つめたらその人はどう見えるか その変えられない運命を愛せるか

「君の名は」との真っ向勝負
過去を捻じ曲げスピリチュアルで救った新海監督
vs
過去は変わらない受け入れる宣言した宮崎駿監督
(君の名はのあとに何故この作品を世に送ったか)

今回は
役割から解放し見つめたらその人はどう見えるか その変えられない運命を愛せるかを語ります

私は宮崎駿氏と作品は、別に考えたい。さまざまなインフルエンサーが考察してるようだがほとんど見てないので被ってたらそれは意図したものではないのであしからず。あと作者の深層心理が確かに作品に影響してるかもしれないが 宮崎駿氏は 派手に魅せるのが得意な人なので騙されてはいけない。「自分でも分からない」と話す氏の言葉にも騙されてはいけない(笑)

この作品の広告を作るならエンタメとしてのガイドラインをどう引く?

先に私が「万華鏡のような作品」と評したのは、観る人の力が問われる作品だからだ。アート・文学 ・科学・歴史さまざな分野から眺める事ができる。しかしこの作品は、学問にありがちな「専門分野でバラバラにしてこねくり回し 切り刻みながらデータをとりそれを結果として評価する」作品ではないからだ。頭の良い現代人ほどこの訓練を非常に強く受けている。

さて話をもとに戻すと、この映画の広告を誰に向けて打つだろうか。いつものジブリならば 子ども達を呼び込むため「宮崎駿がおくるパラレルワールド !サギ男を追いかけた先は 見たことない世界だった」にする、私なら。これなら「ああ、不思議の国のアリスみたいな感じね」と、頭の中に線を引く事ができる。見てる親も安心して映画館へと連れて行けそうな広告だ。

だけど 今回はその線引きはない。そして「間」を読む事を試される。児童文学が好きな人なら気付いたと思う「ああ私これ好きかも」と 。アートや児童文学が大好きな人は 「好きなもの詰め込んだセット」の箱を開けてる気分になったはず。私はそうだったよ。不思議の国のアリス・注文の多い料理店・宮沢賢治がすきな天気輪・小川未明とかね(マトリックスもね)

なんでパラレルワールド?
それは極上のパラレルワールド

ではなぜパラレルワールドの手法を使ったのか

これは簡単で、説明するのも野暮なんだけど 真人の置かれた現状は 真人が望んだものじゃなかったからだ。死んだ母親・疎開先・新しい母。その継母は、母の妹だ。父親は事業に忙しいイケイケパパで真人に甘い。真人を心配してるが、その心配の仕方は 自分の所有物を傷つけられる事を気に入らない、だから怒ったのだ。そして継母のお腹には赤ちゃんがいる。美しい朗らかな継母。真人は 全てが気にいらないが とても聞き分けの良い子を演じてる。演じてるからこそ自傷行為をしてしまう。

サギ男にそそのかされてあちら側へ行くのは
真人だけではない

さて、気づいたでしょうか。私は物語の役割を説明しています。そしてありがちな設定です。これは、千と千尋のパパママでもあった。だけど今回は違う。千尋の時は千尋ひとりだけ成長して物語は終わった。今回は 過去そしてその先の運命はどうであろうが受け止めていく、って事を、主役の真人だけでなく、真人の母・真人の継母も決意してパラレルワールドから出て行きます。

パラレルワールドとは、それぞれが物語の役割を降りた時、自分を取り囲む登場人物は自分(真人)にどう見えるか

これがこの映画を見る上で一番分かりやすい線になる。父・母・継母・おばあちゃんの役割が剥がれたら、その人々はどんな意味を持つか。母が母の役割でなく友達だったら 継母を役割でなくひとりの人として見る事が出来るか、真人に投げられた「大嫌い」は、誰が放った言葉か。相手が先に言ったが自分だって言ってたかもしれない言葉だ。継母じゃなく、母が生きてたらただの叔母さんだったのに 役割一つで情動が大きく変わってしまう。

母が母でなく自分と同じくらいだったら

役割を投げた先にあるもの

おそらくふつうの映画を見た人は、誰かに同情や肩入れして、あの役は気に入らないな、などの感情を持つ。「このパイ嫌いなのよね」「みろまるで人がゴミのようだ」
だけど、宮崎駿は、パラレルワールドへ真人と母・継母・そして観客!を連れ出し 「役割に囚われてるのは誰か?」と問いを立てる。役割で好きになったり嫌ったり。しなければいけない演技、つまり子どもらしく・父らしく・母らしく・おばあちゃんらしく、そう

演じてるのは誰か?

演じてるのは、映画の登場人物だけではない。

君ならもう分かるね?

ほら君も演じてるでしょ?

演じてるのはスクリーンに映る登場人物だけじゃない。役割が剥がれたらもっと愛しあえるよ、と。それは宮崎駿からみんなへのメッセージだ、もしあなたがただひたすら映画を楽しみたいのなら、さまざまな役割から這い出て 単純に映画が面白いと楽しむ事だ。だってハヤオちゃんは、ずっとエンターテイナーだったし、今回の映画も大人も置いて行かない 極上のパラレルワールドだ。ジブリを見てた私も大人になった

ハヤオちゃんはいつだって皆んなに自由をプレゼントしてくれる だけどそんな事正面切って言わない 分からないように見せるのがハヤオちゃんだ


長くなって疲れたからここまで
残りは気分しだい

追記
火事で亡くなる母は 京アニの池田晶子さんなのかなとも感じました それでもやはりその運命を受け入れると言わせた宮崎氏に 私は涙が出てしまい もしそうだとしたら 半端ない覚悟でこのシーンを入れたのだと これを書こうか迷いましたが やはり書き残す事にします 分かる人が見て分かれば良い 感じる事が出来る人が感じればよいのですから


画像はジブリからのフリー素材です





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