「アウトプットは癒しになるのか?」メラノーマの闘病ブログから考えてみました
書くことを楽しめたらいいな~
noteを書くこと。
こちらの記事に
「文章を書くことが得意でもないし、才能もない。
ただ、いまの自分にできる数少ないことのひとつ。
うまい文章にできなくても、継続してだしていくことをやっていきたいと思う」
と書きました。
それから、ちょっと思ったのだけど、せっかく書くのだから、
義務や事務的ではなくて、なるべくなら楽しんで書けたほうがいいですよね。
アウトプットは「癒し」なんだよ
いしかわゆき(ゆぴ)さんのこの記事を読んでみました。
なるほど〜
このなかに出てくる精神科医の樺沢紫苑先生の「学びを結果に変えるアウトプット大全」という本も気になります。
アウトプットって書くこと話すこと以外にも、いろいろあるのかな?
アウトプットは癒しになるってほんとかな?
わたしのnoteは、だれかのために、何かを与えられるようなものじゃないな~
書いていく意味はあるのかな?
と最近 思うこともあって、
なにか、ハウツーみたいな?
参考になるような文章のほうがいいのかなぁ…
でも
いまは、そういうの書けないな
と思ってました。
仕事ができなくなってから書いていたブログ
わたしは体調をくずして仕事ができなくなってから、ブログを書いていました。
たわいないこと。
スーパーでお母さんが買って来てくれたこのパンが美味しかったよ~とか、鍋を作ったよ~とか。
「iPhone買っちゃった!」「え、なぁにそれ?」
そんな話。
そこでのフォロワーさんとのつながりは、会うこともなく、さらりとしたものだったけれど、
コメントしあったりすると、心が軽くなるような気がしたなぁと思いだしました。
メラノーマ(悪性黒色腫)のときのブログ
その後、皮膚がんであるメラノーマと診断されました。
メラノーマのときのことは、いつか書いてみたいのですが
つらい記憶も呼び起こされるため、書けるタイミングがきたらかな…と思っています。
悪性度の高いガンなので、ともに闘病していた仲間のなかで亡くなった方たちもいます。
そのことでショックを受けて、しばらく寝込んだこともありました。
わたし自身も、覚悟を決めた場面もありました。
いまはまだ文章にできないな~
抗がん剤の治療中も、だいたい毎日ブログを書いていた
副作用で体調が悪く、食事がほとんど食べられないときも、かんたんに日記を書いていたように思う。
それは、すこしでも同じ病気の人の参考になったらいいなとの気持ちがありました。
私自身が、さきに治療をしていた方たちのブログを、すごく参考にさせてもらったから。
当時、メラノーマのかただけではなくて、
違う病気で入院しているブログ仲間がいました。(病院は別々)
同じようなタイミングで、お互い入退院を繰り返していたので、
それぞれの病院食の写真を見ながら
「いまは、こんなものしか食べられないけど、いつか○○が食べたいですね~」とか
一時帰宅中の
「○○がおいしかった!」とコメントしあったりして、
会ったこともなく、顔もしらないけれど、とても気が紛れたし、支えになっていたように思います。
書くことは癒しになっていたかも
アウトプットという言葉も、最近まで知らなくて
インプット➞アウトプット
という意識もしたことがありません。
いまは、そういう意識をして行動ができない。
まだ、疲れてしまう。
ただ、書くことは、わたしの癒しになってきたのかもしれない
と、いま感じました。
書くことだけでなく、その先のやり取りが癒しだったのかも
コメントのやりとり、そこにいちばん癒しを感じていたのかもしれない。
言語化でストレスが9割も解消されるってすごいですね。
書くことだけでも、自分の癒しにもなるのなら、
まず自分が楽しんで、書きたいことを書いていこうと思いました。
つづけていくなかに、書きたいことも、書けることも変わってくるのかもしれないですよね。
なるべく肩にちからを入れずに、書いてみたいです。
※ときどきは、なにかを吐き出すように書くかもしれません😸
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