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ごく個人的な人生の分岐点で生じる痛みについて

1.

「結婚してるんだからいいじゃん」

お皿を洗っていたら、友人と飲みに行ったときのひとことを思い出した。

無理に働かなくていい。という意味だったのだと思うけれど。

この言葉は、何度か思い出しては、ほんのり私を傷つけて、またゆっくりどこかへ消えていく。

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2.

「仕事をしたいな」と思うことが増えてきた。

働くことは、どんな好きな仕事だったとしても、しんどいことだと思う。

旦那さんを見てると、毎日きちんと会社に行って、お仕事して、本当にすごいな…と思う。

なぜ働きたいかというと、一つは自分も旦那さんを支えたいから。

私は病気になって、仕事を辞めて生活できてるのは、旦那さんに色んな面で支えてもらっているからだ。

辛かった時期も、療養することができた。

もし、旦那さんが何かで辛くなったことがあったら、「休んでも大丈夫だよ」と言えるようにしてあげたいと思う。

お互いがしんどいときに助け合えたらと思うから、私も仕事をしておきたい。

二つ目は、私も社会の役に立ちたい…と思うから。

私は、いまは就労移行と病院と家のトライアングルで生活している。

常にサービスを受ける側の人間として生きている。

病気で辛かったときは、とても有難かったソレが、いまは少しだけ物足りない。

いま、家のことや自分の生活を一生懸命することにハマっているのだけど、エネルギーを傾けて返ってくる実感がある場所がそこしかないから頑張ってるんだと思う。

そんなわけで、結婚してるし仕事も辞めたけど、また働き始めたいなと思い、ゆっくりとだが動き始めている。

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3.

そんな中、思い出したのが冒頭の言葉だった。

結婚してから少しだけ感じるのが、友人と会った時の温度差だ。

あたりまえのことかもしれないが、感じる。

「また働きたいから、いまこういう勉強をして頑張っている」という話していると、「でも、結婚してるんだからさ」とか「勉強する余裕があっていいね」というニュアンスのことを言われる。

結婚しているのも、働いている方に比べたら勉強する時間的余裕があるのも、まあ本当のことだ。

ただ、なんかうまく言葉にできないのだけど、「なんだかなぁ」とちょっとだけ落ち込んでしまう。

「結婚してたら人生ゴールなんだから、こっちの悩みに比べれば些細でしょう?」

みたいに聞こえてしまうのかもしれない。

たぶん、これからもこういうことは増えるんだと思う。

結婚するか、しないか。

子どもを産むか、産まないか。

介護する家族がいるか、いないか。

人生の分岐点は他にももっとあると思うけど、どっちかへ進むタイミングって、自分で決断しなくても訪れていくもので。

その緩やかな流れで、別れていってしまうと、対岸の事情が、知識から想像はできても、現実との乖離のある想像になっていて、お互い見えづらくなっていく気がする。

だから、私も自分とは逆の立場にいる人を、自分の知らないうちに相手を「なんだかなぁ」という気持ちにさせているのではないかと思う。

お互い痛みを感じないようにするには、似た人と付き合っていくのが良いのかもしれない。

そういうものなのかもしれないけど。

すこし寂しいことだな、と思う。


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