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第3話 マイナー(ラースローの話)~ビットコイン物語

ビットコインは一夜にしてならず。

ビットコインを生み出したのはひとりの天才、サトシ・ナカモトです。

しかし、現在のビットコインは他の技術者たちの手で更新されていて、サトシが書いたコードはほとんど残っていません。

そもそもビットコインは技術者やプログラマーだけが作り上げたものではありません。革命家、商人、起業家、投資家、密売人、詐欺師、政治家、そしていろんな国のいろんな事情をもった人々に必要とされ、時代の大きなうねりに飲み込まれて揉まれながら、奇跡的にも成長を続けてきました。

この物語では、ビットコインに関わった人物にスポットをあてていきます。

今回は爆速マイニングのやり方を考えてビットコインを荒稼ぎし、貯めたビットコインでピザを買ったという伝説の人、ラースローさんのお話をしていきたいと思います。


マイニングとは

そもそも、この物語では「マイニング」ということの説明をしていなかったと思います。マイニングは日本語で「採掘」という意味にあたります。ビットコインを「金(ゴールド)」にたとえて、お宝を掘り出す作業のイメージからこの言葉ができました。

で、具体的にはどういう作業なのかというと、ネットワークでビットコイン・ブロックチェーンの生成作業、つまり、新しい取引をブロックチェーンに記録していくことです。

新しい取引を記録するとき、最新のコンピュータでも10分くらいかかる膨大な計算をすることが求められます。そしてこの作業は全員での共同作業ではなく、旗取り競争のように参加者がめいめいに計算を行います。

その旗取り競争に勝ったコンピュータが、新たに発行されるBTCを得ることになります。2010年当時は1回あたり50 BTCが発行されていました。(現在は3回の半減期を経て1回あたり6.25 BTCです)

要するにマイニングとは、ビットコインシステムのために仕事をすることで、その報酬としてビットコインがもらえるというものです。

マイナー、ラースロー・ハネツさん

ラースロー・ハネツさんは当時フロリダに住む28歳のソフトウェア技術者でした。

ラースローさんが最初にビットコインに出会ったのは2010年4月、ネットワークで発行し、ウェブサイトで買い物ができるデジタル通貨と聞いて、詐欺か、そうでなくてもすぐに廃れると考えました。

そう疑いながらも興味をもって調べてみると、すぐにとても優れた技術をもった社会実験なのだと気づきました。

ラースローさんは高度な技術を持つプログラマーだったからそれに気づけたのです。

そして、このシステムのハッキング(攻撃)されにくさを試すために、自分ならどこから攻撃するだろうか考えました。これはプロのプログラマーだったら誰もが考えることです。

明らかに一番弱いところはマイニングする過程でした。ビットコインのシステムは多数決なので、51%のコンピュータが正しいと認めた記録が残るのです。つまり、ウソのデータを全参加者の51%が正しいと認めたら…それが正しいことになってしまうのです。

ラースローさんはそれをやってみようと思いました。なんせその頃は普通のたった1台の家庭用パソコンでも1日に1回は成功する程度のマイニング難易度でした。

GPUを利用した荒稼ぎマシン

ラースローさんは、マイニングというたくさんの計算が求められる作業には普通のコンピュータに使われるCPUではなく、GPUを使うのがいいと考えました。

GPUというのは画像処理に使われる計算を専門に行うチップ(装置)で、なんでもできるCPUとは効率が格段に違ったのです。

なお、現在ではさらにマイニングの特性にあわせたASICという装置が使われています。

簡単に言いますが、このチップに最適なソフトウェアを作らないといけません、ラースローさんのような高度な技術をもった人だからできたことですが、これによって1日に30回近くもビットコインのマイニングに成功できるシステムを作りました。

サトシはこれに気づいていました。

ビットコインが多くの人に使われるようになると、このようなことは必ず起こると想定はしていました。

そして、何人もそんな人が現れたら、その中で51%を支配するのはまた難しくなるので、一過性のものだとも考えていました。

サトシはラースローさんにメールを送ります。

「お願いだからマイニングの独占はほどほどにして欲しい」

ラースローさんも、自分がビットコインを独占したり、51%攻撃を本気でしかけてシステムを破壊するようなことはしませんでした。ビットコインのことを考えて、ビットコインが繁栄するような行動をとりました。

ラースローさんが良い人だったということもあります。しかし、そもそもこのシステムは「関わる人全てが、自分の利益を最大化しようと思うと、結果的に全体の利益が最大化される」ように設計されていました。

つまり、ラースローさんはたくさんビットコインを稼いで持っているので、「この価値を下げたくない」と思う気持ちが働くのです。

ビットコイン・ピザ・デー

ラースローさんのウォレットには毎日1000以上のBTCが貯まっていきました。これ、何かに使えないものかな?

ある日ラースローさんはフォーラムで問いかけました。

「僕の家にピザを届けてくれる人はいないかい? ピザ1枚につき1万BTC支払うよ!」

最初の数日は誰も反応しませんでした。しかしある日メッセージが届きます、「これから注文するよ」

やがてラースローさんの家には2枚のトッピングたっぷりのピザが届きました。

ラースローさんの自宅に届けられたピザ

ラースローさんは興奮し、フォーラムのメンバーも興奮しました。

2010年5月22日、後に「ビットコイン・ピザ・デー」と呼ばれる日のことです。

その後も数人がオファーを受けたので、ラースローさんは2週間ほどピザを食べ続けることになったそうです。

その後…

ラースローさんはアパレルブランドでソフトウェア開発をされています。社員であるラースローさんがビットコインで有名になったからか、アパレルブラントでは珍しくビットコイン支払いを受け付けているそうです。

ラースローさんは7万BTCをピザに変え、ラースローさんから1万BTCを受け取った人は、そのビットコインを旅行に使ったそうです。

もし今7万BTC持っていたら、その価値は14億ドル(約1890億円)にもなります。ピザ2枚どころか大手のピザ会社がいくつも買えそうな金額です。

もしピザを買わなかったら今ごろ大金持ちだったかも……と私だったら思ってしまいそうですが、ラースローさんは一切悔いはないそうです。

もしラースローさんがあの時ピザを買わなかったら、ほんとに大金持ちになれたのか?
みなさんもぜひ一度じっくり考えてみてください。

「このピザデーが無ければ」
1年も停滞していたビットコインシステムと、サトシ、ハルさん、マルッティさんも現れないビットコイン・フォーラムは、その先どうなったのでしょう?

そのままお祭りも盛り上がりもなく、自然消滅していたかもしれない……
そう思えてきませんか?

今はビットコインの地位が確立しているからわかりづらいですが、物語の1話2話を読んだ方はおわかりのとおり、ビットコインはずっと右肩上がりに安定して成長してきたわけではありません。

ハルさんしか仲間がいない状態で、半年もたたないうちにハルさんが去り、やっと見つかったオタク仲間のマルさんも去り、サトシもフォーラムに姿をあまり見せなくなってきた。

風前の灯(ともしび)
そんな期間がビットコインにもあったのです。

あなたの会社でも、実力も可能性も兼ね備えた新人がいたのに、ずっと芽が出ないで辞めていった、そんな人の一人や二人心当たりがあるのではないでしょうか。

絶対に優れた商品を開発した自信があるのに、マーケティングにつまづいてヒットせず生産中止。そんな商品の1つや2つ経験があるのではないでしょうか。

「優れた技術だったんだけど、ビットコインは人類には早すぎたんだよ」
そうやって人知れず過去のものになっていた可能性もあったのです。

この日が単に「ビットコインで初めて物が買えた日」というのではなく、これから紹介するいろんな出来事、ほんとにいろんな出来事があった中でもビットコインで一番の記念日になっている意味を考えると、これは映画化される時にはとても重要なシーンとして描かれるはずです。

次回予告「ちゃんとした人、ようやく参加」


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