恋は、

恋は、まるで自分の全てを相手が許容してくれるかのような、自分そのものに相手が惹かれてくれたような錯覚を与えてくれる。

自分とは何か、精神性か、身体か。そのどちらもか。わからないけれど、なんだかとにかく全部が全部たいそうな赦しをえたような、何も頑張らずに生きてていいような、そんな気持ちになってしまう。

あなたに全てを投げ出して、それでいいんだと、そうであったらいいと、もうそれはまごうかたなき宗教で、後から思えば、神でもない単なるあなたにたいへんな役割を押し付けたものだと申し訳なくなってしまうけれども、わたしはあなたとわたしの宇宙の中で、もはや全てを肯定してもらった気持ちで生きていた。

誰かに赦してもらっている(気になっている)というのは酷く気持ちのいいことで、この世の全てが他人事になる。
誰かがわたしを批判しようと、誰かが何かに傷ついていようと、憎み合っていようと、幸せであろうと、関係ない。
だってわたしは、いちばん愛している人にゆるされているのだから。
存在を許容されている。しかも一番、温かなはずのところで。

恋は、欲づくで。
しかもその半分、いやわたしの場合半分以上は身体の欲であったから、心も体も、すべて求められて許容される、空恐ろしい状態だった。それはもう、さながら宗教で、もっと言えば魔法だった。

でも魔法は、必ず解ける。
そもそも恋は、魔法であっていいはずがないのだから、魔法のような恋が解けないはずがない。

あなたはわたしから去っていって、死んでしまいたいと思うほどの哀しみと苦しみと忍耐の果てに、わたしひとり残る。

毎晩あなたは夢に出て、毎朝泣いて目が醒める。あなたの感触は、なによりも背中に残っていて、ぞくぞくと、ひとりでいることに寒気がする。あなたの爪痕は、あらゆるところについていて、LINEはもう、音を立てないし、電話はならないし、週末は、どう消費したらいいか見当もつかない。
あなたのゆるしがない日々を、どう幸せに過ごしたらいいのか見当もつかない。

けれど、日々は過ぎていく。
わたしは、ひとりで、長い時間を過ごしてゆく。
あなたと出会ってからよりも長い長い時間を、ひとりで。

すると次第に、夢にあなたは出なくなる。朝は怖くない。背中も寒くない。毎日、自分で好きなように過ごしていいことに、ほっとする。

そのころには不思議と、あなたと出会う前のひとりと、あなたと出会ってからのひとりは違うのだと気づくようになる。

誰かの赦しがある自由なんて、自由でなかったのたということにも。

そこからは、もう、トントン拍子。

誰もいなくともいい。
わたしはわたしで、すっかり、やっていける。

あなたがいなくとも、誰がいなくとも。

恋がわたしを作ってくれて、あなたはわたしを自由にしてくれた。

こんなにもひどく、穏やかな日々をくれた、恋を、わたしはたまに反芻する。
反芻するたび、嬉しくなったり悲しくなったり、さみしくなることもある。

けれど、いまのわたしは、限りなく自由だ。


#エッセイ #問わず語り #日記 #恋

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