怖いもの知らずの生意気。

新卒のわたしは、ろくに世間も知らないくせに、プライドだけがひとり歩きしたような、生意気さがあったと思う。

何をしても認められる。それは実力ではなかったのに。

新卒採用を初めて行った会社だったので、それだけでもう、注目の的。何か良い結果を出すと、どんどん褒められ、失敗しても、新卒だからと、大目に見てもらえていたということに、自覚なく、ただただ自分は仕事が出来るんだ!!!なんて生意気なことを考えていた。

新卒を育てるには、どれだけの人が関わり、お金や時間、労力を費やしているのか。それに気づけたのは、1年後、後輩が出来てからだった。

そして、新卒で高いプライドを持っていることが「もったいない」と感じるようになったのは、社会人を4年近く経験してからだった。

プライドのせいで、他人から学ぼうとする機会を失っていたし、そのプライドが自分の首を絞めて、仕事が辛くなることもあった。
仕事ができないなんて当たり前のことなのに、なんであんなに自分で自分のことを「できるやつ」だと思っていたのだろう。

大嫌いな大先輩の存在が、今の自分を作っている。

新卒入社をした会社には、唯一、なぜかいつも、わたしにだけ厳しい大先輩の社員さんがいた。

他の人と同じ結果を出しても、わたしだけ褒められず、むしろ説教をくらうこともしばしば。

コミュニケーション力には自信があったわたしが、唯一苦手にしていた人だ。

そもそもの性格や相性もあったかもしれない。

でも、褒められて調子に乗りやすいわたしに、「もっと地に足をつけて、真摯に仕事と向き合え」という意味で、叱咤激励されていたのかな、と、今になって思う。

社会人3年目に、他の社員から聞いた話だが、あんなに恐くて厳しかった大先輩が、わたしのことを一番期待している。と飲みの席で話していたと知った。
3年会社にいて、一番嬉しい言葉だった。
その言葉の意味をじっくり考え直したとき、社会を甘くみていた自分の弱さに気づかせてくれたのは、大先輩だったんだな。次のステップに進めるのも、大先輩のおかげだったんだな。ということに気づくことができた。

怒ってくれる人を大切に。

叱られることや、怒られることが好きな人なんていない。それと同時に、叱ることや怒ることなんて、だれもしたくはない。

相手に期待や関心がなくなったとき、人は何も干渉しなくなる。

今、自分のことを叱咤激励してくれる人を、煙たがることなく、大切にすれば、自分が深い人間になれるはずだ。

そしてわたしも、その経験を糧に、人生を豊かにしていきたい。

今は会う機会のない大先輩に、感謝の意を込めて。

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