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はじまりのキス、終わりのキス(1)

恋の話です。六回に分けて投稿します。
一つの記事につき1500〜1800文字です。
物語の前半部分が軽く、後半部分が重たいです。読めるところまででも読んで頂けたら嬉しいです。タイトルは候補から一番気恥ずかしいものを選びました。

 酔うと抱きつく癖がある。
 紅一点の酒の席では存分に飲みたがる心の手綱を引き絞って、嗜む程度に留めたが、同性がひとりでも居ようものならしめたとばかりに隣に陣取って心ゆくまで飲んだ。
 ある夏。太陽に容赦なく焼かれたアスファルトの熱が夜になっても冷めやらなくて、こんな日にはビールに限ると仕事仲間と連れ立って酒盛りをした。宴もたけなわ、私はカクテルに口を付けながら、はていつ頼んだかなと首を傾げた。程々に記憶が飛んでいる。怪しい呂律で追加のカクテルを注文して、隣に座る同僚の女性に上機嫌で抱きついた──つもりだった。
 違和感が甚だしい。ゴツゴツしていて岩みたいだ。女の子はもっとお布団みたいに柔らかい筈なのに。
 顔を上げると目つきの鋭い男が冷ややかに見下ろしていた。
 短髪に切れ長の生真面目な眸。彼は私の直属の上司でもあり、新人研修で散々しごいた後輩でもある。かつての上司らを顎で使い、小難しいクライアントをそつなくいなして、いまや稼ぎ頭になっていた。常から仏頂面というかふてぶてしいというか、笑った所をあまり見たことがない。
「失礼しました」
 私は愛想笑いで動揺を覆い隠した。彼は琥珀色を湛えたグラスを傾けると、
「そんな風に人のテリトリーに気安く踏み込むのは宜しくないですよ」
と、氷のように諌めた。

 打ち上げや飲み会に彼が居合わせると、私はなるべく離れた席に陣取った。冷水を浴びせられるのは御免だった。
 暮れに開かれた酒の席では差し向かいに飲み助が座った。こちらが「イケる口でしょう」とお銚子を差し出せば、水のようにあおって「そちらも一献」とつぎかえす。つがれたら空にしないととやおら笑うので、こちらもつい調子を合わせて矢継ぎ早に流し込んだ。
 ふと気付けば店の外だった。
 私は前を歩く人のコートの裾を右手で掴んで、覚束ない足取りで横断歩道を渡っていた。恐る恐る顔を上げると、短髪に生真面目な横顔。慌てて手を引っ込めた。
「あのう、‥なにか粗相をしませんでしたか」
「覚えてないんですか」
 彼は大袈裟にうなだれると、こいつは駄目だと言わんばかりに首を振った。こういう、人を小馬鹿にしたようなところが苛つく。
「みなさん、朝までカラオケだそうです。帰るなら送ってやれと押し付けられました」
 失礼なほど面倒くさそうに零された。申し訳無さが塵の如く吹き飛んで、私はあからさまに眉をひそめた。
「あなたも行けばよかったのに」
「明日も出勤ですから」
「働き者ですねえ。さすが出世頭」
 揶揄するように手を叩いていたら前方不注意で頭をぶつけた。咄嗟にすみませんと謝ると、彼がよろける私を支えながら「あれは電柱です」と呆れたようにため息を吐いた。
「絵に描いたような酔っぱらいですね。うっかり持ち帰られますよ」
「どういう意味ですか」
「自重したほうが良いって意味です」
「そこに愛はありますか」
 私がからかうようにけららと笑うと、彼は意図を掴みかねると言いたげに小首を傾げた。怪訝な顔でポケットからスマートフォンを取り出して、
「やはりタクシーを呼びましょう」
と、業務をこなすようにタクシーを手配した。通話を切ると私に自宅の住所を尋ねて液晶画面に指先を滑らせた。細長くてきれいな指だなとぼんやり眺めた。
「現在地からさほど遠くないですね。くれぐれも途中で降りないでください。電柱に謝るくらい粗忽になってるんですから」
 ほどなくして迎車表示のタクシーが現れると、彼は素っ気なく背を向けた。そこに愛はなさそうだった。
 後部座席の窓に頭を預けて微睡んだいたらスマートフォンが震えた。飲み助からのメールだった。添付画像を開けると、ご陽気な酔っぱらい女が目つきの鋭い短髪の男に抱きついていた。こっ恥ずかしさで悶え死ぬかと思った。

1540文字 4枚と10行

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