月のウサギに罪はない(3)

恋の話です。八回に分けて投稿します。
一つの記事につき1500〜1800文字です。一部の記事が2400〜2800文字になります。読んで頂けたら嬉しいです。

前のページ) (初めから読む

 木曜、深夜〇時。僕だけが居残るフロアにチャイムが鳴り響いた。
 終わらない仕事を半端に切り上げてカードキーを通す。喫煙室は空っぽで灯りも消えていた。
 埋め合わせの機会は中々訪れなかった。お互い納期に追われて忙殺されていたけれど、それを建前に多分何となく、霧島さんは僕を避けていた。
 駅前へ向かう道は日中と違って人影もまばらで、白いコートをまとった背筋の伸びた後ろ姿が目を引いた。
「お疲れさんです」
 近付いて声を掛けた。振り向いた瞬間、霧島さんは少し驚いた顔をした。
「佐々くんか。遅くまでよく働くな」
「お互いさまです」
 僕が肩を並べると調子はどうと型通りに尋ねてきたけど、妙に歯切れが悪い。
「一杯どうです?」
「今から?終電近いんだけど」
「この前の埋め合わせです。少しくらい良いでしょう」
「急いでんだけど」
「もしかして避けてます?」
「いや、別に、そんなことは」
 とは言うものの先程から視線を合わさない。
「霧島さんて意外に嘘が下手ですね。仕事の時はしれっとしてるのに。まあいいですけど」
 僕はそのまま「じゃあ」と片手を上げて駅を通り過ぎた。家の方向へしばらく歩いてふと振り返る。霧島さんがコートのポケットに手を突っ込んだまま駅の出口に佇んでいた。改札をくぐらずに歩道へ出る。街灯に照らされていた白い後ろ姿がそのうちに薄暗く霞んだ。
 そっちは川だけど?
 もしかして、と邪推が頭を過る。霧島さんに限ってそんな事はないだろうけど、最近様子がおかしかったのはいつもと違う振る舞いをして構って欲しいとか優しくされたいとかだったら面倒くさい。もしそうならちょっと幻滅だ。でも放っとくわけにいかない。なにせ川縁には街灯が数えるほどしかなくて暗くて危ない。
 僕は踵を返した。霧島さんは土手で立ち止まってぼうっと川を眺めていた。
「霧島さん」
 声を掛けるとびくっと肩を震わせて振り返った。
「なに」
「付き添い。男の子だから」
「なにそれ」
「だって暗いし。まあ平気だとは思うけど、なんかあったら寝覚め悪いし」
「変なところで紳士ぶるなあ」
 表情はいつもと同じだったけど、想像していたよりもずっと迷惑そうな声で言った。
「心配には及ばないよ。そこからタクシーで帰るから。お疲れ」
 口を挟む余地もなくぴしゃりと会話を閉じた。背筋の伸びた小さな背中が、着いてくるなと怒っているように見えた。
 その場から街灯のある通りに出るまで見送った。踵を返すと視界の端でなにか光った。丁度霧島さんが立っていた辺り。屈んで茂みを探るとリング状の硬い物が触れた。月明かりにかざすと台座の石は自らキラキラと輝くように多面的に光を跳ね返した。色は透明。これは所謂、給料に換算しておよそ三ヶ月分とかいう例のあれじゃないのか。
 こんな大事な物を落とすなんて霧島さんは意外とうっかり者だな。

 たまに顔を合わせても霧島さんは取ってつけたように忙しいと言ってすぐに会話を切り上げた。
 本当に嘘のつけない人だった。普段の霧島さんはハッタリをかまして火の車の先陣切って皆を引っ張っていくタイプだ。大変な時こそ涼しい顔で腕を組み、でんと構えている。そんな霧島さんの顔には僕と出交す度に気まずくて仕方がないと書いてある。だけど理由がわからない。指輪のことも訊かれない。落としたんだけど見掛けなかったかとすぐに訊いてくるものとばかり思っていたのに、どうしてだか尋ねてこない。
 週末に霧島さんが忙しいと僕は対比的に暇だった。少なくとも月イチで夜通しはしご酒をして翌日は半日寝ている。だから最近土曜の午前中は暇で死にそうだった
 部屋で寝転がってスマートフォンを弄っていたら着信があった。大学時代の友達からだった。
「映画あ?いまから?急だなあ。まあ暇だけど。…え?前売り券買ったのに余って困ってんの。そりゃ勿体ないね」
 映画館が入った複合商業施設のビルの入口で待ち合わせた。まだ少し早くて雑踏を見るともなく眺めていたら、不意に声を掛けられた。
 ──彼女だ。
 刹那に周囲の雑音が消し飛ぶ。雑踏が止まる。短い髪が肩まで伸びて少し大人びたけれど見間違えるはずがなかった。だけど男連れで、とっさに胸が澱む。
「久し振り。元気?」
「まあね。そっちも元気そう。あっちにいるのは、彼氏?」
 彼女は嬉しさが零れるように、でもちょっと恥ずかしそうに笑った。目眩がした。付き合い始めた頃、控えめだけど照れた風によく笑った。その笑顔が大好きだった。
「佐々くん」
 雑踏から女性がこちらに手を振った。そっと彼女の顔を盗み見る。見るんじゃなかったとすぐ後悔した。その顔はないんじゃない。ほっとした顔したよね。俺がひとりじゃなくて安心した?
「じゃ、行くわ。待たしてるから」
 彼女に背を向けて、ビルの入口に佇む女性に奥歯を噛み締めて笑い掛けた。
「ダンナは?」
「今日も元気に休日出勤」
「大変だねえ」
「前々から約束してたのに、ホント腹立つわー」
「いまの仕事が落ち着いたら俺とも遊んでっつっといて」
 映画館は満員御礼だった。どこかで聞いたタイトルだと思ったら霧島さんに借りている本のリストに同名のノベライズがあった。仲間と喧嘩して冒険の末の心の交流とかそういう真っ直ぐで抑揚のはっきりした泣ける映画だった。あのひとらしい。
 映画館を出て飯を食ってカラオケで三時間歌って、日が暮れる頃に解散した。そういえば霧島さんとはこういう遊び方をしたことがない。もっぱら夜、はしご酒のあとで始発電車を待つ間、ダーツやボーリングをしたりした。
 無性に霧島さんの顔が見たかった。
 どうしてだ。慰めて欲しいのか。身勝手で嫌になる。霧島さんが構って欲しいとか優しくされたいとかって素振りを見せたら絶対幻滅するくせに。
 雑踏の中で今日見たばかりの懐かしい笑顔を思い出す。その笑顔に安心して、想いが通じ合ったことに安心して、僕が何もしなかったからきみは素っ気なくなってった。そいつはちゃんときみを困らせて振り回してる?

2431文字 7枚と12行

前のページ)  (3)  (次のページ

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

note.user.nickname || note.user.urlname

読んでくださってありがとうございます! スキやフォロー、励みになります!頂いたお気持ちを、前に進む力に変えて、創作活動に取り組んでゆきます〜 サポート頂けたら、遠近両用メガネを買いたいです^^

今日も明日も良い一日でありますように
14

もちだみわ

創作テキストまとめ

ものがたりのテキスト記事などまとめ。

コメント2件

色々切なくて、霧島さん気になります〜〜!次号、待てない〜〜っ!
いとこさん いつもありがとうございます!次回はこんなかんじです(^^)→ https://note.mu/hiyokodou/n/n3149ad4a1e75
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。