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はじまりのキス、終わりのキス(6)

恋の話です。六回に分けて投稿します。読めるところまででも読んで頂けたら嬉しいです。一つの記事につき1500〜1800文字です。最終話だけ1900文字を越えてしまいました。後ほど別記事であとがきを投稿します。

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 床の上のスマートフォンが早く起きろと急かすように震えていた。
 寝転がったまま繰り寄せると昨夜と同じ発信元だった。うんざりしながら着信を拒否する。不意にドアの向こうから男の声がした。
「ご立腹なのはわかりましたから、少し話を聞いて貰えませんか」
 私は瞬く間にロウで塗り固められたみたいに動けなくなった。居るんでしょう、とノックが続く。
 恐る恐る覗き窓を確かめた。生真面目な目をした短髪の男が佇んでいた。私は置き忘れた言葉を探すみたいにおろおろと部屋を見回した。出しっ放しの青い缶ビールに抜け殻みたいな茶色のブランケット。髪はボサボサ。しかもパジャマだ。寝起きで処理落ちし切った頭を必死で動かし、ドア越しに尋ねた。
「一体、何の御用でしょう」
「昨日の電話の続きをしに来ました」
「何かの勘違いでは?うちに掛かって来たのはセールスの電話くらいです」
  彼は怪訝な顔で液晶画面に指を滑らせた。一拍置いて床の上のスマートフォンが震える。覗き込むと先程と同じ番号が明滅していて目眩がした。
「連絡先はとっくに消したのでは?」
「一年やそこらでは忘れません。あなたはもう忘れましたか」
「小馬鹿にして頂いてどうも。あなたは有能ですものね。家の場所もよくご存知で」
 彼はふと何かを問うような目をした。彼からは私が見える筈もないのに視線が合った気がした。
「家は以前酔っぱらいから訊きました。ところでご近所の目は気にされませんか。僕はこのまま話しても一向に構いませんが」
「‥地味に嫌な所を突きますね」
 私は渋々上着を羽織ってドアを開けた。彼は部屋に入ると揺らめく煙を追うように視線を泳がせた。
「一人酒でしたか。てっきり酔いに任せて誰かれ構わず抱きついてたのかと」
「口の減らない人ですね。わざわざそんな事を言いに?」
「いえ」
 彼は訝る私を注意深く見つめた。小さな変化も見逃すまいとする目だった。
「あれからあなたの言った通り戦々恐々としながら郵便受けを覗きました。正直、空だとほっとしました。誰かと生きていくつもりも、まして子供を持つ気もありませんでしたから。何せ僕は薄っぺらな優しさしか持ち合わせていません。人を唆して思い通りに動かす事にも何の呵責もない。僕が自分らしく振る舞えば振る舞う程、周りの人は僕の言葉が本当か嘘か判らなくなって疑念や不安に苛まれる。あなたを諦めさせようとしたのはその方が傷つけずに済むと思ったからです」
「本当に薄っぺらですね。思い遣ったつもりですか?」
「いえ。僕の都合を押し付けてるだけです。あの日もそうです。話しながらふと頭を掠めたんです。あなたが僕の考えてる通りの人なら男に二言はないと詰め寄ってくるのではないか、と」
 私は言われた事が飲み込めなくて口を噤んだ。言葉は鈍い鉛を飲み込むような重苦しさでゆっくりと頭の芯に届いた。
「それはつまり」
 つまり、私は刹那的な欲求を満たすための使い捨ての便利な何かって事ではないのか。
「あなた、どれだけ暇なんですか。どうでもいい人間にわざわざどうでもいいと言いに来るなんてどんな悪趣味ですか」
「あなたには俺がどうでもいい奴を抱く男に見えますか」
「そんなの知りませんよ。なんでいつも私に訊くんですか?あなたの気持ちでしょう!」
 私は手当たり次第にタオルやクッションを掴んで彼に投げつけた。本当は当たったら突き刺さるくらい角張った物をぶつけてやりたかった。
 不意に手首を取られて視界が陰った。間近に彼の生真面目な目があって身が竦んだ。暮れなずむ公孫樹並木で同じ目を見た事がある。彼は私をまっすぐ見据えていた。
「全部俺の都合です。あなたと距離を置こうと思いながら、離れがたくて抱きしめたんです」
 言葉が頭を上滑りしていた。疑わしくて受け入れるのを拒んでいた。私は身動きが取れないまま辛うじて言った。
「何かの企みですか。また私を振り回そうと」
「ええ。企んでます。粗悪品を売り付けに来ました」
 言うやいなや抱きすくめられた。
「お代はあなたの時間で結構です」
 耳元で彼がささめく。
「‥悪魔の契約か何かですか」
「似たようなものです。場合によっては寿命を全部持って行かれるかも知れません」
 よくよく考えてもそれが比喩なのか減らず口なのか分からなくて、私は一番知りたい事だけ尋ねた。
「そこに愛はあるんでしょうか」
「愛が何かはご存じでしょう。ちなみにPはプロトコルです」
「急に何の話です?」
「あなたの抜けたところが気に入ってるって話です」
 愛とは程遠い顔をして笑うと、背中に回した腕に力を込めた。痛くて息が苦しかった。
「もう酔って他の奴に気安く抱きつかないで下さい」
 彼はそっと目を伏せて、あの日と同じキスをした。

1913字5枚16行

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