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わざわざ言うほどでもないささいなことなんだけど

ドアの隙間から見えたきみのくろい後ろ頭が
思っていたよりずっと上のほうにあって思わず笑った

そういえばもうそんなにおおきくなってたっけね
わたしの中のきみはいつまで経ってもちっこい姿のままなんだけど
冷蔵庫の上にも手が届くんだよと誇らしげにきみはいう


ハタチになっても
塩で日本酒が飲める程度の酒飲みになっても
二輪バイクで県を跨いで遠出できるようになっても
趣味が増えただけで大人になった実感なんてなかった

仕事を成し遂げても
三十路になっても
きみを産んだ瞬間も
きっとどこか大人じゃなかった

昼寝を全身で拒否するきみに苦悩して
それでも寝かしつけようと腕の中で揺らし続けていたあの時も
きっとどこか大人じゃなかった

そんな大人じゃないわたしが
きみのためにとひとつ決めたこと

それはささいな
とてもささいな
わざわざ言うほどでもないささいなことなんだけど

きみが自分で「すきかきらいか」を決められるようになるまでは
おかあさんが虫が苦手ってことはナイショにしとこうって決めたんだ

だからきみのとなりにいるわたしは
道の真ん中におっこちてる手のひらより大きな蛾を
だれかに踏まれないようにしてあげようねって道の端に寄せられるし
チョウチョが目の前を横切ったっておののかないし
きみのロディのヘルメットに止まったバッタにも驚かないで手を伸ばせる

あの日
高く飛んでったバッタに残念がるきみのとなりで一緒に残念がりながら
捕まえずに済んでほっとしていた
だってあの黄緑色のやわらかいお腹をつまむ力加減がわからない


下校時刻にピンポンが鳴って
ドアを開ければ
ランドセルを背負ったきみの手の中にはシジミチョウ
ティッシュでゴキブリを掴んで教室の外に逃がした武勇伝は
ちょっと予想外だったけど
おかあさんの苦手は伝わらなかったみたいで安心している


自分の苦手をナイショにできたあの日のわたしは
きっとすこしおとなだった

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