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いつか会えたら

https://note.mu/storyofmylife/n/nc70f61186de8
こちらの課題のお誘いにトライです。
力を込めて書きましたが、この話はなんかイゴイゴしてるというかなんというか…。文字数、ギリギリ…(しおしお)。


 春にそそのかされた白梅が神社の傍で咲き誇っていた。
 人々が行き交うけれど参拝が目的ではない。祀られているのは馬頭観音菩薩で、僕らは競馬場の敷地内にいた。僕は祠を眺めながら傍らの女性に話し掛けた。
「面白いな、競馬場の中に神社があるのか」
「レースの事故なんかで死んだ馬を供養するんです。それと騎手の安全祈願」
 彼女は硬い横顔で答えた。僕らはほんの10分前に会ったばかりだった。僕は沈黙を埋めるように腕時計を見る。
「ナツの奴、珍しいな。待ち合わせに遅れるなんて」
「道が混んでるんですよ。ナツは途中までバスでしょ」
 素っ気なく言うと妙に艷めいた眸で僕を見つめた。
「私ね、前々からあなたに会ってみたかったんです。だってナツったらあなたの事をあんまり嬉しそうに話すんだもの」
「いやあ。期待されるほどのものでは。がっかりさせてたらごめん」
 僕が頭を掻くと、可笑しそうに笑った。僕もやや気持ちがほぐれて笑顔を返す。
「競馬場で待ち合わせとは、ちょっと驚いた」
「ここにはよく来るんです。馬を見に。競馬場に通うって言うと賭け事が好きって受け取られがちですけど、そんなの思い込みです」
 見透かされたように言われて、僕は曖昧に笑った。
「パドックへ行きましょう。馬を間近で見れます」
「ナツと行き違いにならないかい」
「大丈夫。駅から競馬場までは歩道で繋がってます。途中でパドックを通って神社に向かうから、あっちで待ってたって会えます」
 ほどなくして円形のトラックが見えた。人の隙間から覗くと騎手を乗せた馬たちが周回していた。雲の陰から気まぐれな太陽が顔を出して珈琲色の肌を艷やかに光らせる。彼女は無言で馬を眺めていたが、不意に僕を見た。
「ナツはあなたを信用してるんですね。今まで彼氏に会わせてくれたことなかったのに」
 意味深長な目つきだった。戸惑う僕をよそに、唐突に顔をぱっと輝かせて駆け出す。
「ナツ!」
 彼女の声に振り返ると、少し離れた所でナツが手を振っていた。白のロングスカートがふわりと風を孕む。彼女はナツの腕に両腕を絡めて「おそいよ」と無邪気に笑った。嬉しそうにナツの腕に体ごと寄り掛かり、まるで子供のようだった。僕らはその足で競技場へ向かった。芝生の観戦エリアからレースを眺めた。彼女はナツにしがみついたまま、駆けていく馬にじっと目を凝らして言った。
「馬って綺麗ですけど、ちょっと儚いと思いませんか。『早さを競う』っていう誰かが決めたルールの中で優劣をつけられて、そこから逸脱したら終わりなんです。ルールからはみ出た子達自身はなんにも悪くないのに」
 最後尾の馬がゴールして馬場内から馬の姿がなくなっても、彼女はじっと動かなかった。ナツが声を掛けると我に返ったように笑みを零して歩き出した。駅に向かう途中で彼女は「何か温かい飲み物を買ってくる」と言って、人混みへと駆け出した。僕とナツはようやく落ち着いて目を合わせた。
「今日はナツを取られっぱなしだな」
「昔からああなの。女の子ってよくくっつくでしょう。私、そういうの出来なくて。嫌なんじゃなくて、なんか気後れしちゃって。だからあの子が屈託なくくっついてくれて嬉しいの。それに懐いてくれるから可愛くて」
「妹みたいな?」
「同い年なんだけどね」
「なんかわかる」
「あ、今日、ごめんね。あの子が急に待ち合わせの時間を遅らせちゃって。三〇分後にって連絡きたでしょ?」
 僕が怪訝な顔をすると申し訳無さそうに両手を合わせた。
「ごめん。やっぱり連絡先を勝手に教えたの、嫌だった?あの子が直接謝りたいって言うから、つい」
「いや、それは別に…」
 二の句を継ぐ前に彼女が缶コーヒーを抱えて戻ってきた。おまたせと笑顔で僕らに手渡す。ナツがしげしげと缶を眺めた。
「これ三本とも無糖だよ。苦いの苦手じゃなくなったんだ?」
「あれ?ホントだ、間違えた」
「あわてん坊ね。待ってて、買ってくる」
 ナツは彼女に微笑み掛けるとゆったりとした足取りで人混みに消えた。
「ナツって、いつもああなんです」
 彼女は呟くと、不意に僕の腕に両手を絡めた。吐息が頬に触れる。
「あの子の家によく泊まりに行くんですけど、一緒に眠る時、時々思うんです。多分キスくらいなら出来るなあって。まだ経験したことないですけど。キスってどんな感じなのかなあって想像して、どきどきしたりします」
 二人だけに聞こえる声で甘く囁いて、体を預けるように身を寄せた。
「また会ってくれますか。会いたいです」
 彼女は眸に強い光を宿して呟くと、背を向けて駆け出した。

 ある雨の夜。彼女から何度目かの電話があった。いますぐ来てと囁く声はか細く、冷たい雨に凍えて震えていた。放って置けずに迎えに行くと、仄暗い高架下で傘も持たずに佇んでいた。濡れた眸に僕を映して囁いた。
「ナツが大事?」
「大事だよ」
「結婚するの?」
「…そうなれればいいね」
「ナツもあなたが大事なの」
 大粒の涙が頬を伝った。
「私って妹みたいですか?」
「…」
「知りたいの。一度だけでいい」
 なにを、と問う前に冷え切った腕を僕の首に回して引き寄せた。寂しい涙に引き込まれて、僕は彼女に最初で最後のキスをした。

 それからしばらくはナツとも会わなかった。週に何度か電話をして、眠る前におやすみとメッセージを交わすだけ。ナツはその事には特に触れなかったが、ある時、不意に言った。
「最近、あの子と連絡、取ってる?」
 胸の奥が風に波立つ水面のようにざわついた。僕は過剰なほど素っ気なく「いや」と一言返した。ナツは特に気に留めるでもなく、ただ釈然としない風にぶつぶつと言った。
「そう。こっちから連絡しても返事がなくて。こんなこと初めてなの」
 やがて季節が変わる頃、ナツは痺れを切らしたように、次の週末に家に料理を作りに行ってもいいかと訊いてきた。思いつく断り文句はどれも陳腐で嘘くさく、僕は流されるように承諾した。
 逡巡しているうちに週末が来て、ドアホンが鳴った。てっきりナツだと思い込み、確かめもせずに鍵を開けた。立っていたのは彼女だった。頭の奥がロウを浴びせられたみたいに固まって、しばらく言葉が出なかった。
「もうすぐナツが来る。誤解されたくない。帰ってくれ」
「誤解ってなに?私にキスして抱きしめたこと?」
 彼女が飛びかかるように僕の首に手を回した。すぐそばで、がさりと耳障りな音がした。地面にぐったりと崩れ落ちたスーパーの袋から中身が転がり出して、どうしようもなく散らばっている。ナツが怒りとも悲しみとも着かない険しい顔で彼女に詰め寄った。
「どういうつもり。まさか、好きなの?」
「ええ。大好き」
 彼女は春のように晴れやかな顔で続けた。
「優しくて暖かくて、私を満たしてくれるから。初めて会った時からずっと。ずっと好きだったの。夜中に想って眠れなくなるくらいに。あなたは知らなかったでしょ?私がそんな風に思ってたなんて」
 ナツの肩が震えた。奥歯の軋む音が聞こえそうなくらい歯を食いしばって、体の奥から絞り出すように低い声で言った。
「あなたはいつもそう。高校の時だって、やっとの想いで告白して実った恋を横恋慕して壊した。もうしないって言ったじゃない。だからこのひとと会わせたのに。あなたのことが大好きだから、大切だから、だから会わせたのに。私の何処がいけなかったの?いつから憎まれてたの?知らないうちにあなたを傷つけてたの?全部嘘?仲良い振りだった?ずっと一緒にいたかったのに、友達だと思ってたのに!」
 彼女はナツが血を吐くようにつまびらかにした怒りの一切を嘲笑うように薄く笑った。
「友達だと思ったことなんて一度も無いわ」
 ナツは声を押し殺して泣いていた。僕はナツの凍える肩に手を伸ばす事が出来なかった。
「さよなら。いつかどこかで偶然会えたら話しかけて」
 彼女はそう言って僕らに背を向けた。僕は一瞬逡巡し、あとを追った。引き寄せた肩は触れれば壊れそうなほど頼りなかった。彼女はあの雨の日と同じ涙で頬を濡らして、僕の首に腕を回した。
「いつかどこかで偶然会っても声を掛けないでね。もう二度と会いたくないの。だけど最後にもう一度だけ抱きしめてキスして。ナツを抱きしめたその腕で。ナツにキスしたその唇で」

 時折、思い出したようにふらりと馬を見に出掛けるけれど、僕はまだ彼女たちに出会えていない。
 
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あとがき

#絶対に告白してはいけない相手

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