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また会いたいと、おもうひと。いつか会いたいと、おもうひと。

 この春は、新しいことを試みたくて、ぶらりと散歩に出掛けた。

 電車を乗り継いで、一時間半ほど掛けて神戸三宮駅に降り立つ。人の多さとJR線・阪神電車・阪急電車・神戸地下鉄の路線が集結している複雑さに、軽く慄いた。
 私はおそらく道に迷う。確信に近くそう思う。方向感覚が怪しいし、地図も上手く読めない。誰かとどこかへ行く時には、前日までにルートを入念に下調べして、私にしか読めない細かい文字で、細かくメモを取る。しかし今回の目的は散歩である。道に迷っても困るのは私だけなのが、ひとり散歩の良いところだ。

 行き先は割とどうでも良かった。ともかく、帰る時刻は厳守だ。帰りは京とれいん『雅洛』に是非乗りたい。『雅洛』は土日祝限定の車両で、本数がとても少ないのだ。
 れっきとした観光地である神戸へ観光をしに来たわけではない、というのは中々に素っ頓狂だが、元気な時分は無闇な散歩をそこそこしていた。ひとり散歩の時もあれば、ふたり旅の時もあった。振り返ると、中国地方へ何時間も掛けて電車を乗り継いで赴き、旧餘部鉄橋と木次線の三段スイッチバックを見に行った旅が一番無計画だった。砂丘も見ずに帰ったので、あの時乗れなかったラクダに、いつか乗りたい。

 今回のひとり散歩には『雅洛』に加えて、もう一つ、目的があった。三宮で人と会うのだ。お互いにどんな考え方をするのか、何を創っているのかはざっくりと知っている。けれど、姿を知らない。
 この人を知った時、割と早い段階から、いつか会いに行こうと決めていた。そんな風に思い入れを持つのは自分でも珍しく、いましかないと思い、この春に約束を取り付けた。
 会った際、緊張しいの私は、照れと恥ずかしさで心が風船のようにふわふわしてしまい、ちょっと割と結構、空回りした。小動物のように慌てふためいていなかっただろうか。とても気がかりである。
 一時間ほど時間を頂戴して、挨拶を交わして別れた。礼儀正しく、気持ちの良い人であった。


 さて、のんびり散歩である。 
 混雑するルートは是非とも避けたかった。便利でオトクな神戸街巡り1dayクーポンと地図を片手に駅構内をうろつく私は、どこからどう見てもおのぼりさんだ。周りからそのように見えてしまうことすら愉快である。
 利便性から察するにJRと阪急はおそらく混むだろう。地下鉄ルートを取るのは地元の人くらいと予想して、海岸線三宮花時計前駅へ向かった。同じ三宮なのですぐ着くだろうと見込んだが、割と離れていて、地下道で迷子になったのではと不安を抱く程度に歩いた。驚いたことに、駅に着く頃には人が殆どいなかった。神戸三宮の賑わいが嘘のようである。

 さらに驚いたことに、構内の壁の一角には横山光輝先生の三国志の武将たちが大きく描かれていた。だいすきである。人影がまったくなかったので、誰にもはばかることなく写真を撮った。フレームに収まらなくて、後ずさりしたり体を傾げたりした。改札を守る駅員さんには、私を遠巻きに眺めて、楽しそうにしている奴がいるなあ、と微笑んで頂ければ幸いである。くれぐれも不審者だと思わないでいただきたい。


 地下鉄の車両に揺られながら地図を眺めた。出発前は、元町で想い出を辿りながら散歩するのを目的としていた。しかし、昔に比べて食が随分と細くなっている。美味しい中華を眺めるだけでも目に愉しいが、はてさて、どうしたものか。
 私は地図上の終点、新長田駅に視線を落とした。

「……鉄人28号か…」

 行きあたりばったりも良いところだった。新長田に行って鉄人28号のモニュメントを見るつもりなら、西神山手線の三宮から行ったほうが絶対早かった。
 新長田駅から地上に出ると、雨がひっそりと降っていた。駅から徒歩数分の商店街のそばで、鉄人28号が空に拳を突き上げている。丁度、親子連れが一組、鉄人28号の足元でシャッターを切っていた。私も遠巻きにしつつ、5枚ほど写真を撮った。すぐそばのベンチに鳩が5羽ほど止まっていたので、それも写真に収めた。
 特に用事もないのですぐに駅ビルに入った。我ながらひどいものである。
 入った先には西友があり、かごもカートも赤かった。今まで行った西友はどこもグレーのかごだったので、カラーリングの可愛さにテンションが上がる。神戸限定カラーであろうか。あがったついでに、売り子さんがいる売り場で、美味しそうなせんべいとプリンを土産に買った。

 地下鉄に揺られながら、さて次はどこへ行こうかと、地図を見る。
 日々、体調が不安定なので、来年もぶらり散歩ができるとは限らない。ならば想い出のある場所が良い。そうだ、海を見に行こう。
 ハーハーランドで下車して、モザイクを目指した。雨天なので道行く人はそれほど多くなく、傘を片手にゆったりと歩いた。モザイクの入口付近でドラえもんの石像が笑顔で出迎えてくれたが、雨が頭の上半分に染み込んでいて微妙に見た目が怖い。面白かったのでこれも写真に撮ったが、画像が入っていたスマートフォンが最近昇天したため、散歩中に撮った写真が全て取り出せなくなってしまい、やや残念である。

 ベンチが並ぶ一角から雨に霞む海を眺めていると、すぐ脇の店舗から美味しいお肉の焼ける匂いが漂ってきた。その濃厚な匂いをかぎながら海を眺めていると、なんだか急にお腹が空いてきた。そういえば目眩がするような……? 
 しばらく海を目で愉しんでから、建物の中に入った。通りすがりに雑貨屋を覗くと、木製の棚に落ち着きのある藍と唐紅の茶碗が並んでいた。何年も雑貨屋でゆっくりと買い物をしたことがなかったもので、はからずも良い器に出会えたと嬉しくなって手に取った。途端に目眩がして力が抜ける。

 …しまった!これ、糖が足りない状態だ!

 手にした器を落とさないように、細心の注意を払いつつ、へっぴり腰でレジへ向かった。平静を装ってレジを済ませ、店から出てすぐ、こんぺいとうを口に含んだ。つい「オラ腹減って力が入らねぇ」とその場にへたり込む孫悟空の姿が頭に浮かぶ。
 私は食べることに無頓着な上に、空腹のほうが体が動くので、たまに食事を忘れて目眩を起こす。そのため、外出時には糖分補給用にこんぺいとうを持ち歩いている。血圧が低く、起立性低血圧でもあるので、目眩には慣れっこだが、糖が足りないと手足の力が抜けるので、ちょっと困る。

 エネルギーを素早く補給するために、ゴディバでチョコの飲み物を飲んだ。オシャレな名前がついていたが申し訳ない。覚えられない。
 当店限定とやらのチョコも買って、店を出る。ビルの前では新天皇陛下の即位の号外を配っていた。号外を貰うのは生まれて初めてだ。この日は令和の初日。ちいさな新しい経験がいくつもあった。良き日である。

 時計を見ると、時間が差し迫っていた。地下鉄の駅へ足早に向かい、なんとかぎりぎりで、『雅洛』と連絡できた。車両ごとに内装が異なる『雅洛』は、目にも愉しい。上品な丸窓に、ちいさな枯山水の庭や御手水など、雅なものがあちこちに配されている。私は京町家のような車窓から、流れる景色を眺めながら、目的のない散歩の足跡をほんわかと振り返って、充足した気分で帰途に着いた。

 その数日後、しばらく動けなくなったが、以前に比べると随分、体力が付いた。しみじみとありがたく思う。
 『体を壊す』を骨身に染みて知ったので、いま動けるのが当たり前ではないのも、もう知っている。同じ痛みがふたたび降り掛かったら、いまの私にはそれを乗り越えられる力は、まだない。
 だからいま、そしてこの先、もしも叶うなら、会いたい人に会いにゆき、見たい景色を見に行きたい。
 叶わないかもしれないが、叶うかもしれない。なにが起こるかわからないなら、せっかくなので期待して、未来を待つ。

 この春、初めて会う人に会いに行った。特別な話をしたわけではない。私はただテンパっていただけである。お恥ずかしい限りである。
 けれど、その瞬間自体が特別で、勇気になった。ものごとに出会うことと、ひとと出会うことを、この先も少しずつ丁寧に積み重ねていけると、とても嬉しい。

 余談だが、帰りしなに阪急で見掛けた雲雀丘花屋敷方面の電車には、ベルサイユのばらのオスカルとアンドレが描かれていた。まことに豪奢である。

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