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保育園大好き人間が講座をやるようになった顛末

親子カフェの店長のnoteなのに、
ちっともそれらしいことを書いていないことはおいておいて。

今日、3/31はとても感慨深い日だと思ったらすっかり目が冴えてしまった。

今日、次女さんが保育園に登園する最終日である。
次女さんはうちの末っ子なので、つまり、もう保育園に通うことはない。
卒園する本人より、よほど自分の方が節目をびしびし感じている。

長女さんが0歳児で保育園に入園したのが2010年4月。
そこから、11年間、ずっと「保育園」という施設に接してきた。
そのことは私のこの約10年の歴史そのものだったりする。

なぜなら、
その2010年4月に入園した保育園こそが、
私が今「ひよこのカフェハウス」を運営するきっかけになった保育園だったから。


「ひよこのカフェハウス」のような”親子の居場所”を作りたいと思うようになるまでの私は、全方位的に閉じた人間だった。

生まれ育った家族とは価値観が合わず。
社会に出たらなじめず。
友達もほとんどおらず。
自尊心だけは高くなじめないことを社会のせいにして大学を辞め。
価値に納得のできる仕事に出会い。
ちょっと変わった水瓶座の夫に救われ。
うっかり子どもを産んでしまった。

そうなって初めて、ひとりではどうにもならない育児にぶつかり、
せめて自分の子どもは自分のようにならないようにと、
社会に向き会うようになった、
そのきっかけが「保育園」だった。

長女さんが通うようになった、今ひよこのカフェがあるその場所にあった保育園が、ほんとーに大好きだった。
(ひよこのカフェはその保育園閉園後の跡地を改装したお店です)


家じゃないのに、家みたいなにおいがするところ。
(赤ちゃんのにおい、おかずのにおい、ちょっとおしっこみたいなにおい)

子どもが100%そのままでいいよ、という保育士さんたちの姿勢やあり方。

子どもを明るい場所で育てよう、という気持ちのこもった笑顔と雰囲気。
(例え親に問題があっても、日中子どもがそういう場所で生活しているという安心感)

丁寧に作られた食事。

おしり拭きの布が、炊飯器で保温されていること。(温度がちょうどいいんだって!)

乳幼児なのに恐れずに遠くの公園まで散歩に行ってくれること。

午前中散歩したのに、夕方も必ず散歩に行ってくれること。

手作りのおもちゃや、ペープサート、エプロンシアター。

若い保育士さんはかわいくて元気で、おばあちゃん保育士さんはいつもとにかくにこにこしてくれる。


ひとりでいたときは、「自分のことを自分で何とかしなきゃ」、と思っていて。
子どもが生まれたら、「今度は二人分自分で何とかしなきゃ」、と思っていて。

だけど、保育園という場所はどうやらこの私の持ってる二人分、の半分を手伝ってくれるらしい。
生活の中に入ってきてくれるらしい。
これだったら大丈夫。
これがあれば、なんとか、人並みに子どもを社会に馴染ませることができるかもしれない。私のようなコミュ障人間の子どもでも何とか。

保育園すごい。

この衝撃から、ひとりでも多くの母親に、「保育園的場所」をあてがうことが、急増していた虐待件数を減らすことにつながるんじゃないか、という発想になり、今の「ひよこのカフェハウス」を作ることを目指すことになった。

その保育園以外、明日でさよならの園、長女さんが後半3年通った園、
そして自分がパート保育士をしてきたいくつかの園。
いろいろな保育園を知っている。
コロナ禍で残念な面を知ってしまった園もある。
でも、この社会で、「基本的に人間をありのままで受け入れよう」としてくれるのは、保育園だけであって、そしてどんなに残念な園でも、その「建前」だけは持っている。
「子どもを主体として思いや願いを受け止めること」「ひとりひとりの発達に応じ、個人差に配慮すること」「子どもの生命の保持、情緒の安定を図ること」と、保育所保育指針に書かれており、それを守ることが当然となっているから。
そんな場所は、実は他にはない。
基本ありのままを受け入れてくれていた保育園を卒園すると、ありのままではいられない小学校に入学して、ありのままじゃダメだとこれもあれもできないと食いっぱぐれるぞと、急に「ありのまま全否定」の世界へ突き落とされ、おろおろしているうちに、自己効力感もなく気づくと集団面接でリクルートスーツを着ている。
保育園時代というのは、天国の時代なんじゃなかろうか。
(個人差はあるだろうけど)


さて、その大好きな「保育園」とお別れする私はなぜか、親子カフェの運営だけでなく、最近「ワクチンセミナー」なんかやっている。
というか、ここ数ヶ月、その準備や勉強ばかりしていた。
飲食店厳しくて経営がまずいんでないかい、というカフェの運営を多少疎かにしつつ。


今私は、親子には「居場所」があるだけでは楽になれないな、と思っている。
保育園に通って、仕事と育児を両立して…
もしくは、育児に専念して、幼稚園に入ったら少し時間ができて、ママ友もいて自分の場所もあって、自分のペースでできる仕事ややりたいことをして…
忙しくも楽しいママライフ、に見えるかもしれない。
でもね、今の社会はあまりに複雑で、いつでも足を踏み外しそうな穴がぼこぼこ空いていて、そして私たちは思考する時間と根拠を奪われている。
何しろ天国の保育園時代以外は、基本ありのままでいることを全否定されて、思考する勇気と可能性を忘れるようにしむけられてきたのだから。
そしてそれは去年からの世界の物語で、さらに複雑化している。

その穴は
「自分や夫や子どもの心やからだ」「人との関係性」「お金の問題」
どこで空いているか分からず、そしてその穴に落ちてからしか気づかないこともある。

思考せず、抵抗せず、自らを社会に捧げる人間を育てるシステムのできあがっている社会。
そこをかしこく、思考する人間であることを保ち、生きていく方法を、
私はひよこのカフェを運営するうちに気づいてしまった。
自分の軸を作る方法。
あらゆることの受け止め方。
そして軸があると、そこに居場所が作れる!
それをシェアしたい、その方法がたまたま「ワクチンセミナー」だったというわけです。
参加者募集中の講座はこちら♡(>◡<)♡

そんなわけで、今日で「保育園」とさよならしたら、
「場所を提供」から次のステージ「居場所をつくる軸を作る方法をシェア」に行くんだなー。

さんきゅー、保育園!
大好きだよー!
保育園みたいな社会にしたいよ。
大人も子どももオールオッケーで寄り添う(ことがちゃんと建前)な社会にね。

※写真は子どもたちの宝物遊び。最高。ゴミだらけの公園も遊び。

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