副業のこと(1)

今日は副業の話。

31年間のOL人生を遡ればこの言葉を語らないことなんてまあ半分以下
新卒で採用された某リース会社に入社して初めてのGWが終わるころには
もう副業していた気がする…
学生時代のバイト先で引き続き雇ってくれるというので
19時から閉店22時まで。閉店業務がメインだったが賄いもあるし結構助かった。
その年の秋に実家が父の故郷(というほどでもないが同じ郡内の北部)に新築を建てるというので千葉市内で一人暮らしを始めることにした。
ますます副業がやりやすくなる。閉店後はお店の人と飲んだりカラオケに行ったり楽しかったなぁ……
そのあと店が閉店となり次の副業はファミレス。
体力に任せて深夜バイトを始めたが途中で睡魔に襲われたり
週末が昼夜逆転になってしまってフラフラになってしまい半年持たず。
週4日のディナー帯の勤務になる。
若い子たちが多かったので終電まで話したりちょっとだけ飲みに行ったり
某リース会社にいた10年はずっと副業もしていてなんだかんだ楽しくやっていた。最後の1年はついに居酒屋のバイトに鞍替えする。
時給は圧倒的によかったからだ今から20年ほど前の話。

辛かったのは某リース会社を辞めて飲食店の会社に転職したころ
親に自己破産をすすめなければ二進も三進もいかなくなったころだった。
一人では破産手続きができないので司法書士さんにお願いしたのだがその費用を肩代わりしたためさらなる副業をしなければならなくなったのだ。
飲食店の会社+副業だけだと返済もできないし会社の残業が多すぎたので
派遣社員+副業+副業っていう生活に変えた。
特に 派遣会社+居酒屋+居酒屋の時は精神的にきつかった
そのあと 派遣+居酒屋+ファミレスにシフトして精神的に楽になった。
これが結婚前後まで続く。
結婚後司法書士の費用を返し終わり、正社員の就職が決まった時点で
副業生活を一度終了させた。

小売業の会社に経理職として入社して5年ほどして会社の買収があり
鉄道系の小売りとの将来的な合併が発表される。
仕事はどんどん忙しくなり忙しくてもさほどの昇給はなく4年が過ぎる。
その間に自分で理解できない借金が少しずつ増えていく
昔だったら副業すればよかったが夫がいる状況では理由もなく副業はできなかった。
その間も小売業の会社を退職、ホテルでの派遣勤務を経てゲーム開発会社に就職したが2年で退職し現職に至る。
この間本格的な副業はしていない。一度だけ登録し試みてみたが体力がなさ過ぎて断念。
現職に就いてから程なく借金で今度は自分が二進も三進もいかなくなり
弁護士を介して任意整理の手続きをとる。
何とか現職の給料で返済をしていた。自分以外で何事もなければあと3年返済をして何事もなかったかのように過ごせる、そんな風に思っていた。

一昨年の秋 母親が踏み台代わりにしていた椅子から落ちて鎖骨を骨折。
働けなくなる。その際に判ったことは公的に支払うものをほとんど払っておらずまあ踏み倒していたわけです。
妹に子供が生まれてから5年程ずっとです。あきれました。
公的なものを私が肩代わりして支払うのはどうなんだろうと考えました。
母も77歳なのでそんなに多く働けない。
生活保護を勧めました。妹は最初は反対しましたが車を持てるならいいということで了承しました。
色々ありましたがなんとか受給できました。
連絡が行った親戚にはクレームを言ってきたやつもいましたが無視。
鎖骨の骨折は手術しないで済みましたがこの後何が起こるかわかりませんので手術代で夫が出してくれたお金は手を付けず取っておくことにしました。
ただこの先何が起こるか分からないので先立つものが欲しいと考えました。

いよいよ副業を再開するときが来たと感じました。
ただ50も過ぎて体力任せの仕事は無理だなと感じておりましたので
家でできそうな仕事を探していました。
テープ起こしのお仕事を応募したのですが選考に落ちました。
自分くらいの実力の人間は腐るほどいるんだということを思い知りました。
外で仕事をするなら1日で完結する仕事をと考え選挙関係のお仕事などを物色していると試験監督のお仕事の募集がありました。

1社目は短期のお仕事専門の会社でちょこちょこ試験監督のお仕事に応募すると登録会の案内がありました。
その会社は社会人向けと学生向けと登録会を分けられてるようでした。
必要な書類を提出し本部で登録が終わって初めて仕事を選ぶという手順
10日ほどで登録完了のメールが来ていよいよ仕事を探すところまで来ました。こうして新たな副業生活が始まりました。続く

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