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酒と泪と涙の女

お酒というガソリンで勢いよく発進した人間は、時として暴走したまま帰ってこなくなる。溢れて止まない行先知らずのエネルギーと目が合ったとき、こちらは素面の丸腰であったことを思い出す。

お店で、お客さんやママからの気遣いに触れ、感動してうっかり涙ぐんでしまい、それがなぜか引き金になった。ほどよく出来上がっていたママとお客さんが「こんなことくらいで泣くなんて」「今までどんなひどい環境で働かされてきたのか」と盛り上がってしまったのだ。
ひどい環境で働いた経験はなくはないが今の事ではないし、不意打ちの親切が嬉しくありがたかっただけの事である。

そこから先、弁解すればするほど、彼らのあいだで「優等生でいい子、嫌なことは嫌と言えず、人に利用され、男に甘えることが出来ない不器用な人間」という私が形づくられていった。ものすごい勢いだった。正直、控えめにみても的外れである。そして余計なお世話だ。けれど、お店の中で働く私を見ていれば、そう思われるふしはあるのだろう。楽しく働いてはいるが、よくも悪くも浮いている。シフトを守り、約束を守り、誰かが困っていれば手伝い、その働きに見合った収入が得られればそれでいい、という感覚は、私にとっては普通だが、夜の世界では綺麗事に映るらしい。

何を言っても、勢いづいた彼らの見当違いの優しさは止まらず、ベースが私への気遣いであることはわかっているので無下には出来ず、ただもう何を話しても伝わらないのが面倒くさくなり、余計に泣けてきた。泣いている私を見て、ママとお客さんまでもらい泣きをしていた。なんだこの絵面。

終電を逃し、タクシーで帰宅する最中、酔っ払いの話は半分は受け流そう、と心に誓った。ただ、正直に言えば言うほど誤解されていき伝わらない、という感覚が悪夢のようで、少しひやりとしたのは忘れずにいよう、と思った。


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