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がんばれない効用

「がんばる・努力する」という類のことが苦手で、何か課題があってもやり過ごしたりごまかしたり逃げきったり遠ざけたりしてきた自分が、努力の有無があからさまに現れる場所に身を置くことになってしまった、ということに未だに慣れない。

いますぐ放り投げて逃げたい自分と、燃え尽きるまでやってみたい自分とがきれいに分裂し、内面で全力拮抗するので表向きは何も変わらずただただ疲れるだけ。結局年季の入った怠け者に軍配があがる。開き直ってとことん怠けてみても残るのは自己嫌悪ばかり。

努力を怠らず結果を出し続けきらきら輝いていたい。常にばりばり動いてお金を稼ぎつつ人付き合いも不義理せずいたい。
本当はそう思ってるけれど現実の自分はそこまで頑張ることが出来ない。最初からあきらめて努力をしない。プライドだけは高くて頭でっかちだから、かっこわるいことはしたくないと思ってる。

プライドなんて捨てちまえよ、ってどっかできいたことがある言葉。そのとおりだよ、とわかりつつも、わざわざ記憶に残るほど繰り返されてるってことは、捨てたいけど捨てられない余計なプライドを持ってる人がたくさんいるってことなんじゃないのか。そしてもれなく自分も含まれる。

希望がないかといえば全く逆で、やり散らかしてきた物事、熱中しては失望しやっぱりだめだったかと思って手放したことたちが「こういうことだったのか」とつながる瞬間がある。何をしてても、どんなにかけ離れた物事でも、不義理の数々でも、経験してきた無数の点同士がふいに結びついて線になり立体になる。
その瞬間、無駄なことってないのかもしれないと思う。だめだと思っていたことを肯定できる気がする。

それってこういうことか、と感覚でわかるとようやく自分事になる。わかってるつもりだった頭の中の言葉がそこから命を持ち始める。その感覚は自分の自信になっていく。気がする。

失望と落胆の数が多いという事は、なにに結びつくかわからない種が多いということ。消してしまいたいことの数々は、これから先の自分に意外な景色を見せてくれる可能性を秘めている。気がする。


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