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よそゆきの日記帳

こんばんは。いつも眺めてくださっている方も、たまたま目にしてくださった初めましての方も、ありがとうございます。普段はひとりごとばかり淡々と書いていますが、今日は、この文章の向こう側にいる皆さまに勝手に話しかけてみようと思い、書き始めました(どきどき…)

本を読むにはちょっと重いし時間がない、だけどちょっと何か読みたいときにnoteってすごく良いなと改めて思います。タイムラインをのぞくたび、いつも面白そうなことが並んでる。いまは全然追いきれてないけど、タイトルや写真をながめているだけでわくわく。

なぜ書くのか、という問いに対して、いろんな答えが集まっているのがnoteだと思っています。

私に限っていえば、最近は“よそゆきの日記帳”。生活があって、人間関係があって、なにか出来事があって、そこから感じ取ったことを飲み込んだあとに整理して書き出す場所。まんまではないのでちょっと“よそゆき”。
書くことを通して、冷え切ったり煮えたぎったりした温度を平熱レベルまで落ち着かせつつ、理屈や言い訳をこねくり回す頭でっかちを客観的に見つめるための訓練が半分。半分は面白いからやってるただの一人遊び。

じゃあひとりで日記帳つければいいんじゃね?煮えたぎった感情のまま、誰にもみせないノートとかに書きなぐればいんじゃね?その方がすっきりすると思うんだけど?
…ごもっともなんです。でも、何度もやったことあるけど続かなかった。

なんでだろう?と思ったとき、やっぱり「誰かに聞いてほしい」んだなと思いました。むりに共感してくれなくていいし、慰めもアドバイスもくれなくていいから、ただ「うんうん」って聞いててほしい。ばかだねぇとか、だめだねぇとか、私のこと笑ってくれていいから、ただ聞いてほしいんだなって。

自分、思ってたより甘えたがりでした。強がりが強くなりすぎて、立派な壁築き上げすぎて、自分で自分を隠してた。それ私じゃないよって、認めまいとしていた。
あっはーーー!
けっこー甘ちゃんだったわ!
でもきらいじゃないぜ!うふふ〜〜!

こんなかんじで、毎日続けることで気づいてなかった姿が見えてきた。自分のいいところも悪いところも見えてきた。続けてきてみてよかったな、と思うようになりました。見えてきただけ、なので、まだまだなんだけど…

ひとえに、いつも優しく「うんうん」って聞いてくださる皆さまのおかげです。読む人にとっては、何の役にも立たなければ教訓も癒しも得られない、超個人的な内面観察ばかりなのに、いつものぞきにきてくださる方々がいて、その「うんうん」があるから書いていられます。
ありがとうございます。

毎日投稿を続けてまだ4ヶ月めですが、書く内容も、自分も、これからどう変化していくのか、未知すぎて楽しみ。noteで、誰かの日常に遊びにいって「うんうん」ってうなずくのも好きなので、もっとお邪魔していきたいなと思いつつ。

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余談ですが、日記帳になんでもかんでも書いていた時期、ありました。
学生時代の恋がピークで、“今日は目が合った“レベルに始まり、ポエムとか妄想が書きなぐられてて目も当てられないやつ。好きな人の実名だけはどうしても文字に出来ず「あの人」って書いてて、「あの人」が多すぎてどのときのあの人なのかわからないくらい恋ばかりしてた。実家に帰った際、それらが大量に出土して、夜通しシュレッダーをかけた思い出があります。手書きの日記帳は概ね処分したので、早くも実家側の終活は済みました。そういうのを残したくないから、日記帳やめたのかも。



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