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クリスマス・コンプレックス

恋人と過ごすロマンチックでスイートなクリスマス。アットホームで笑いのたえない賑やかなファミリークリスマス。どちらも縁遠い。街なかにあふれるイルミネーションやBGM、いささか肩身のせまい時期が今年もやってきた。

世の中に広く認知されている「クリスマス」というイメージ。その世界観に参加するには「愛する人」「愛する家族」など、「喜ばせたい身近で大切な人」がいることが条件のように煽られている気がする。その存在がいるかいないかが境目で、いる人は勝ちでいない人は寂しい、みたいなラベリング、もうやめてほしいなぁ。と小さい声で反論してみる。

クリスマスはいつも働いている。イベントは好きだけど人混みが苦手、どこに行っても混んでいる時期。裏方で働けば気分も味わえるしお金ももらえて楽しいじゃんと思い、恋人がいようがいまいが、喫茶店ホールやキャンギャル(ギャル…)、販売業務、クリスマス気分を提供する側として毎年過ごしてきた。享受より提供、いわばサンタクロース寄りの役回り。「良い日を過ごしてくださいね」と思いながらお客様を送り出すとき、なんともいえず幸せな気持ちになる。知らない人、知らなかった人、もう会う事ないかもしれない人、たち。

その役目を楽しいと思いつつも、じゃあどうして肩身がせまい気がするんだろう。きっと、実はどこかでベタなクリスマス体験を望んでいて、叶えられずにいることに寂しさを拭えない、愛されたくて俗っぽい自分がいるのだろうな。あまり経験がないからこそ憧れるもの。

最低のクリスマスなら覚えがある。20代、彼氏と一攫千金を夢見て挑んだパチンコで2人分の軍資金を全部スった。夕方、帰りのコンビニで立ち読みしたCookie(買えなかった)、連載「NANA」でノブがユリちゃんの誘惑に乗ってしまい、もう何を楽しみに新年を過ごせばいいかわからなくなった追い打ちの絶望感。我ながらしょうもない。忘れられない。

じゃあ、ベタなクリスマス体験とはどんなものだろう。
少しドレスアップして恋人と待ち合わせ、夜景かイルミネーションのきれいに見えるレストランでデート。楽しくディナータイムは進み、運ばれてきたデザートプレートにメッセージとシュワシュワ燃える花火。プレゼントは花束とアクセサリー。その後は普段と違うラグジュアリーなホテル、ベッドには赤いバラの花びらが敷き詰められている。

…わからない。でも大体こういうカタカナが多いイメージ。
1回で気が済みそうだけど、1回は体験してみたいクリスマス。

今年も相変わらずの仕事予定。サンタ気分を味わいながら勤しむことにしよう。

クリスマスを提供する側にも市民権を。



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