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ひそやかな儀式

匂いは感じますか、とふいに聞かれた。少し前、悩んでいるのか疲れているのか自分でもよくわからない、と知人に漏らした途端そう切り返されて、思わず黙りこんでしまった。

そのとき、夏風邪がぐずぐずと長引いていたためあまり意識していなかったけれど、確かに深呼吸しても周りの匂いがよくわからなくなっていた。病み上がりであることを差し引いても呼吸がしづらい。身体が力んでかたまっていて、うまく機能してくれないような感覚。

1日の終わりに好きな香りを嗅いでみて、と知人は言った。良い香りと感じるか、香りが入ってくるかどうかが自分の状態をはかるバロメーターになるから、との事。

きらしていたお香を即取り寄せた。大好きな月桃のお香、夏の夜のような、植物の甘い香りがする。あまり売っていない上、沖縄からの送料が高いので、ついきらしたままになっていた。


以来、帰宅するとお香に火を点け、燻る煙に集中する。外でさんざん吸い込んだ重だるい匂いを洗い流すように。
ちゃんと香りを感じる。良い香りだと思える。大丈夫。落ち着く。
莫迦素直さと、儀式じみた行為。
滑稽だと思わなくもないけれど。



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