過労の毒吐き

昨日は文学フリマにお出かけ。
開場早々を狙って行ったら入場待ちの行列がすごい。
文学フリマってこんなに動員あるもんなのー!?この調子なら1年後には大阪城ホール、3年後にはインテックスまでいくんじゃないの?と思うくらいの賑わしさ。

SHIGE姐さんに会って(ようやくのリアル対面だ)、会場全体をさらっと冷やかしたら、サクッと祇園四条でやってる辻笙くんの個展へ移動するつもりだったが、人混みに負けて京都ハシゴは断念。

お出かけそのものは楽しかった。

しかし久しぶりのひとりお出かけをめいっぱい楽しんで、元気を回復するつもりが回復は叶わなかった。

自覚している以上に今は精神的に疲労困憊状態…つまりウツ状態なのだと認めざるを得なくなった。

この夏は体力よりも気力の減退を感じていて、ある程度の自覚はしていたが通院や内服が必要な状態ではなく、少なくとも自宅内と自転車半径での日常生活に支障は出してなかったから「ちょっとウツッ気出てるなー」くらいの自覚で「無理はせんとこー」でやり過ごしていた。

ちがう。「無理せんとこ」では充分ではない。もっと積極的な休息…特にひとり遊びに軸を置いた【解放のための長期休養】が必要だとハッキリ自覚した。

そりゃそうだよな。息子の出産から幼児期の育児を終えて、ようやく就学して、これで少しは自分の時間も持てると安堵したのも束の間、

入学早々、右も左も分からないのにPTAのとある委員会の副委員長をさせられ、満期を終えて二年生。

二年生では北大阪地震。家の屋根をやられて、息子は地震のトラウマでひと夏寝室では眠れなくなり、台風被害も重なって、近所中なかなかえらいことになった。自然災害の被害をようやく片付けたころに息子は不登校へ。

三年生では公営フリースクールみたいなもんに送迎したりしてたら今度はコロナ禍。コロナ休校と集団登校班の委員が被ってしまい、前例はない事態のなか、委員の引継ぎも会議もできず、あれやこれや新体制作りにひとくち噛むしかなくなった。

四年生終わりには息子は別室登校をするようになって、やっと1人時間ができた、これで息をつけると思ったら

五年生時の夏には、今度は夫が転職すると言い出し、転職先が決まるまで3ヶ月ほど夫が家に居っぱなし。私の一人時間はいったいどこへ。保険・年金の庶務手続きの面倒臭さと言ったらない。なんのためのマイナンバーなんだ。社会保障はすべて一元化しやがれ。労働形態で社会保障費用や手続きをばらばらにするんじゃねえよ。

六年生ではPTA学級委員(在籍児童数が少なく6年間で最低2回は委員が当たる・それでもうちは一人っ子だから何年生で何委員をしたか覚えていられるが、子沢山家庭ではどの子の時にどの委員をしたのかみんな記憶がしっちゃかめっちゃか)

別室登校の子にとって卒業学年の気苦労は他学年よりも大きい。修学旅行も体育祭も卒業式も例年以上に一筋縄ではいかない。完全不登校に振り切っている子の場合は学校行事はすべて参加しない一択なので〈どうなるかわからない〉という振り回される気苦労は少ない。

登校・不登校に関わらず、〈どうなるかわからない気苦労〉はコロナ禍以来、全教育関係者に降りかかっており、その心身負担はぶっちゃけ計り知れないものがある。

ようやく中学に入学したら、息子は宿泊研修だけは参加したが、授業もテストもまるっきり不登校に戻った。ずっと家に居やがる。小学校二、三年生の頃とは違って留守番もさせやすくなったし、なんなら配達の受取やら、雨が降れば洗濯物を入れとけとか、使える部分も出てはきたが、小学校から中学校に移ることで学校側との人間関係がすべてリセットされるから、保護者として学校側との関係構築はゼロスタート。小学校では顔パス声パスで済んだ細々した部分をすべて再構築しなければならず、しかも中学校は小学校よりも融通が効かない(息子の小学校がフレンドリーすぎたとも言える)のでめっちゃしんどい。

これらと同時進行で、実家では母親が何度も入退院を繰り返し、今では入院しっぱなしのお迎え待ち状態が膠着している。

実家の母が膠着している間に、婚家の伯母・伯父が相次いで逝った。伯母・伯父の息子たちがしっかりしてれば私の負担なんぞ通夜と葬儀に参列すればそれだけで済むはずだが、いろいろと自立できてないので義理従兄弟に社会保障や税金年金のイロハから市役所・病院の手続き、果てはATMの使い方まで教えてやらなければならなかった。

この数年を振り返れば

予定外の心身負担が常に二つ三つ掛け持ちで、ひとつ片付けてはまた新たにひとつ出てきての繰り返しだった。

どれだけのアクシデントやトラブル、人生の岐路があったんだろう。

家族の中で常にリーダーと縁の下を掛け持ちして、引っ張り、支えてきた。すべて無償労働だ。役所絡みの手続きの中で政治差別から生じている余計で無駄な負担が市民にも公務員にもどれだけあるか、つくづく政治屋(政治家と呼ぶ気はない)には愛想が尽きる。

ついでを言えば、家族でも友人でも知人ですらない行きずりの人のために救急車を呼んだり、迷子を届けたり、なんてことも私にはなぜかちょこまか起こる。

専業主婦には生産性がないとか抜かした、あのバカ女政治屋をコンクリ詰めにして、原発処理汚水が放出される辺りに沈めたい。

家族は私が頼りになるのでずいぶん助かったはずだが、私の働きが大きすぎて、私がどれだけの仕事をこなしたのか、氷山の一角程度にしかわかってない。

欲を言えば、知らない人ばかりの離島か離村で、妻や母や子であることから派生する無償労働を完全に忘れ、友達付き合いもSNS程度に収めて、1ヶ月ほどのんびりしたいもんだ。

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