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「最近、何を読んでもおもしろくない」と思ったので。

「昔はよく映画を観に行ったのに最近は全然…」
「近頃のマンガはイマイチはまりきれなくて」
「流行ってるけど何がおもしろいのかサッパリわからん!」

こういった発言はSNS上でよく見かけるし、自分でもそう思っていた。

若い頃は、いろんなマンガを手当たり次第読んでいたし、どっぷりその世界にハマることができた。

「マンガを読んでいたらいつの間にか明け方だった!」みたいな。

ところが結婚や子育てを経て、すっかりその感覚も遠いものになってしまった。

最近は、何を読んでも「ふぅん…こんなもんか…」と冷めた目で見てしまう。
感覚が老いてしまったのか、と悲しく思っていた。


「若い頃はいろんなものが楽しめたのになぁ」


ところが最近、あることに気づいた。

「昔、読んだり観たりしたものってそんなに名作ばかりだっただろうか?」

大量にコンテンツを摂取していたということは、そのなかには、自分に合わないものや世間ではあまり評価されなかったものもあったはずだ。
それなのに昔の方が楽しめたと感じるのはどうしてだろう。

そこで、最近の私の心の動きや行動を振り返ってみた。

私の場合は、
「仕事・家事・育児などにより、映画を観る時間がとれなくなる」

「映画を観ることに対するハードルが上がる」(が、観に行きたい気持ちはある)

「たまに評判が良い映画『だけ』を観に行くことで、失敗を避けようとする」

「厳選した映画は観る前に期待値が高まりすぎて、『あ、こんなもんか』という気持ちになる」

そもそも作品をどう感じるかなんてそれぞれだし、何を見てもつまならく感じる人もいればおもしろがる人もいる。
自分にとってハズレでも、誰かにとってアタリだなんてよくある話だ。

だけど、世間からの評価を参考しすぎるとアタリへの期待は大きくなってしまう。

そうならないようにするには、そこそこの期待で留めておくことだと思った。
映画は予告だけを見て、観に行くことを「決めて」しまう。
マンガも、アマゾンや店頭で気になったものを「買って」しまう。

そういえば、若い頃の私はテキトーに本や映画を選んでいた。
新作コーナーにあるもの、本屋で目に入ったもの、親の本棚に入っていたもの、偶然テレビで放送していたもの。

こういう衝動的で打算のない行動こそが、こどもの頃の私にあって、大人の私が失ったものなのかもしれない。

「せっかくだから」
「もったいないから」
「損をするのが怖いから」
そんな思いはどこかに放り投げて、ふわふわといろんな寄り道をして生きていきたいな…と思った。

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