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My profile(学生編)

ツイッターから来てもらった人へ改めて、ハンドパン界隈経由できた方ははじめまして。

この記事を書こうと思ったのは、他の人に知ってもらうこともそうですが、自分でも記憶の棚卸しとして残したかったからです。


幼少期~中学校

いじめられっ子
僕がいじめられても大人しかったからでしょう。
特に小学校前まではいじめと一人でプラレールしてたぐらいの記憶しかないです。
小学校に入ってからは友達ができたものの、一部の人から僕へのからかいは続いていました。
中学校は中1の途中から不登校です。少しからかいを受けた日に、幼少期のいじめの記憶がふと浮かび
次の日からお腹が痛く学校にいけなくなりました。
たくさん記憶というワードが出ましたが、僕は視覚的な記憶があまりなく、
いじめられたときの声やその時周りの物音など音の記憶はたくさんあるのです。
幼少期から聴覚に対しての敏感さや記憶が強かったのでしょう。

高校ー好転のきっかけ

やんちゃもバカもして充実した生活
片道2時間近くかかるところでしたが、地元の中学生に会いたくなかった僕はそれがちょうど良かったのです。
故に同じ境遇の人が多く、学校自体が一種の※自助会だったのかなと今では思います。
高校で自信をつけ、大学へ進学。カウンセラーになりたいという夢を持って心理学の道を選びました。
※自助会→共通の問題や悩みを抱えた人が集まって、自主的に運営している会。「当事者」が運営しているところがポイント。しんどいことをお互いに共有するところを重視している(書き手主観)

大学ーカウンセラーを諦め、留学へ

教授「カウンセラーはこの先食えない」→じゃあ嫌や
カウンセラーの夢は教授や実際のカウンセラーの厳しい現実を聞き、そこから徐々に消失していきました。
それからは友達の家でスマブラしたり、日本橋でカードショップのバイトしたり、高校でボランティアしたり、
何しに大学通ってんだ状態。
そしてあっという間に4年生前になり、働くのが嫌やった僕はちょうど親族がカナダに留学が行っていたということもあり、
ろくに調べもせず、カナダに留学することを決意しました。
いま思うととても衝動的な決断だったと思います。
ちなみ英語力はハロー、マイネームイズヨッシーのみ。
留学はたくさん書くことあるのでまた別記事にて
留学から帰ってきたあとは就活をして、ボランティア先であり、自分の高校だったところに縁あって就職しました。

そして、社会人編へ

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