ガンダム外伝アーサー・ドーラン戦記 第壱参話「大人たち 前編」1/2 U.C.0083

U.C.0083 6月 回廊の追討戦 数時間前
地球近海 太陽光発電プラント近傍 サラミス級巡洋艦イリューギリ

 地球軌道艦隊の艦が三隻、暗礁宙域へ進んでいる。秘密を抱えたムサイ艦を拿捕すべく、追討部隊を掩護せよと指令が下った。移動距離やコストを考慮しても月軌道艦隊かどこかが動くべきだ。地球直上の防空網に穴が開くのもお構いなしの命令ときている。

 地球軌道艦隊の面々は、上から下まで自分たちこそ地球防衛の要と信じて疑わない。部隊によっては地球を指して「本星」などという向きもあり、信じ難いことだが自らを本星防衛艦隊と自称する輩までいる。それゆえ地球直上を離れる作戦には難色を示しがちな傾向があった。

 暗礁宙域から這い出るネズミを捕まえるなら、事情は知らぬがふらふらと落ち着きがない第一艦隊(司令官が大物でいけ好かない)でもよさそうなもの、我々が出向くまでもないではないか。マゼラン級戦艦イリューギリのトーマス・キタザワ艦長はそう反論しかけたが、参謀本部第四局からのご指名と聞いて手のひらを返した。その名を聞いて顔色を変えない輩は、僻地送りかリストラの順番待ちだ。地球の真上にいるおかげで軍縮の煽りを免れているのに、参謀本部の不興を買って天下り先を手放したくない。戦後世界の行く末と自身の老後、どちらも大切だった。

 文字通り宙に浮いた実働部隊が、政治の世界に立ち入ることはない。しかし何事にも裏口はあるものだ。舞台裏に立ち入る資格は実力だけでは手に入らない。運が必要だった。直感が告げる、この任務には運を引き寄せる何かがあると。

 地球のお膝元(下にいるのは地球の方だが)かつ派閥軍人の末端に名を連ねる立場は、さまざまな、実に様々な情報に触れるものだ。壁に耳あり障子に目あり。艦内カメラにキタザワ艦長あり。情報一つ一つはさしたる意味を持たないが、断片を丁寧に、発想を飛躍させながら繋げていくと、彼をある仮説へと導いた。
 異口同音に政変の可能性、地球連邦軍大変革の胎動を告げていた。具体的なところは闇の中だ。だがあり得ない話ではない。戦後世界は戦前の常識が通用しなくなった。生き残った軍人は多かれ少なかれ戦後ギャップに苦しめられている。いつ何が起きても不思議ではない。
 既に種は蒔かれ、どうやら芽吹いているらしい。震源地は少なくとも二つ。一つは総司令部ジャブロー。首都ダカールから遠い、民主主義の力及ばぬ地下深くだ。もう一つは月のどこか。この一年で月に上がる政府高官の数が飛躍的に増えた件と露骨に関係がありそうで、本作戦が新設第四局主導とくれば……噂の主が尻尾を出した初めてのケースやもしれぬ。千載一遇のチャンスをものにできれば、派閥内の新顔にも出世街道を歩む未来がある。キタザワ艦長は燃え上がった。

 上官の戦死で繰り上げ繰り上げ、一士官が今では巡洋艦の艦長、臨時編成とはいえ分遣艦隊司令官だ。たまたま星一号作戦で大手柄を上げた艦隊にいただけでここまで来た男は、椅子が一つ空く毎に、時に大きく、時に殊勝にも手柄を譲り着々と上り詰めた。僻地勤務の癖にエリート面を崩さないルナツー艦隊、残党狩りで消耗する月軌道艦隊や宇宙要塞の連中と違い、演習と高官護衛の合間、稀に、ごく稀にだが地球で休暇が取れる最高の部署だ。手放すわけにはいかない。地球連邦軍への忠誠心が試されていた。

 作戦には太陽光発電プラントへの立ち寄りが含まれている。電子指令書は発電プラントから入港許可を受けたのち開くよう厳命されていた。開封した途端、参謀本部謹製のセキュリティによって宙域図に位置がマークされてしまうので言い逃れ出来ない。臭う。秘密の臭いがプンプンと鼻を衝く。果たして当たりくじか、死地への片道切符か。派閥重鎮とコネクションを持たない凡庸な男がサラミス級巡洋艦二隻、コロンブス級補給艦一隻を率いる分遣艦隊司令を仰せつかったのだ。ハイリスクローリターンであってはならない。キタザワ艦長は成功への道を幻視し、年甲斐もなく頬を染めた。


暗礁宙域 岩礁回廊

「肩部スラスターは死にましたか……動かず吹かせずでは、デッドウェイトとかわりませんね」

 クェイカー・モウィン大尉が駆るゲルググ・ペルートは小破した。ケンプファーから移植した右腕が息をしていない。シールドは砕け、背中の増速パックは排熱が遅れはじめている。スカートアーマー内側の主推進機が無事なため飛行に問題はないが、自慢の高速戦闘は主推進機とバックパックどちらが欠けても成り立たない。推進剤があっても排熱が追いつかなければお陀仏だ。稼働時間は短いと知れた。

 二機の量産型アクト・ザクが張る防衛線まで下がって戦闘継続は厳しい。ひとまずジムの一団を少年達に押し付け岩礁帯へ下がる。ジムは追ってこず、何発か飛来したビームも命の危機を感じた精度はどこへやら、易々と岩陰へ潜り込めた。

 幾度も連邦軍を引き込んだ岩礁回廊なれば、宙域図なしに飛ぶ自信がある。生きるだけなら連邦の目を出し抜いて脱出がかなう位置。しかしコムサイを連れて地球へ降りるのだ、追討部隊の足を止めなければならなかった。手持ちの武器はビームナギナタと、連射間隔が長くジェネレーターに負荷をかける欠陥品ビームライフル。少年兵からザクマシンガンを受け取る手もあるが、改良型ジムを相手取るのは少々つらい。奥の手が無い訳でもなかったが……。
 センサーが友軍の信号を拾いモニターに拡大表示する。ゲルググ・ペルートと沈没寸前のジャスルイズを結んだ延長線上、後方より近づくMSが目に入った。サイコミュ誘導砲 “フュアゲルト” 設置の際に見つけた、移動砲台スキウレとそれに跨る旧式のザク。クェイカー大尉の悪意は決して選択を間違えなかった。

「ご無事ですか?私はクェイカー・モウィン大尉です。貴方はジャスルイズのパイロットでしょう?ローズウッド艦長は脱出なさいましたか?」

 クェイカー大尉は何食わぬ顔でザクⅠと交信する。クェイカー抹殺が作戦の内だったザクⅠパイロットであるが、母艦大破を前にしては不忠者といえど助力を断れず、すがるような声音を返すほかなかった。ジャスルイズ撃沈が眼前の男の策略だとも知らず、若い男はゲルググに乗る士官の声に安心しきっていた。

「いえ、被弾を確認してから交信不能です……」

「貴方は脱出カプセルの援護を。後は私に任せてください」

 長距離ビーム砲フュアゲルトの存在を知る者は、ニュータイプインキュベーションユニットを除いて当時のグラナダ司令部のみ。可搬式の無人誘導ビーム兵器ともなればミノフスキー粒子環境下で最も強力な兵器と言え、それゆえサイコミュ・モデレートシステムは秘匿兵器群であった。デラーズフリートの一パイロットが知るはずはなかった。

「そのスキウレはグラナダから持ち出したままの姿とお見受けしますが、間違いありませんか」

「はい、ジャンク混じりではありません。ですがビームライフルと勝手が違い、タイムラグと照射時間に癖が……」

「私を誰だと思っているのですか?元グラナダ守備隊のエースです、グラナダ基地の兵器なら一通り扱えます」

 スピーカーから息をのむ音が聞こえた。若い男の泣きそうな顔が目に浮かぶ。

「大尉、感謝します!ご武運を」

 無邪気に背を向けて岩礁帯へ潜っていく背中がまぶしい。戦時中、クェイカー大尉が遂に抱くことのなかった忠義に殉じる生き方。だが、今なら分かる気がする。定められた命の形、運命を知った今なら。
 ニュータイプ世界の創生。ジオン公国から引き継いだ、いや、もぎ取った自らの使命とて殉じることなど出来そうにない。どんなお題目を掲げようと所詮戦争の理由に過ぎぬ。嘘も方便。ジオン公国の成り立ち、遡れば地球連邦政府の成立から、人類は宇宙に進出しても絶えず争いを続けていた。戦いこそが時代を作るのだ。たとえ戦いそのものに意味はなくとも。それが人類の進み方だというのなら、戦場で輝く命は個人の在り方として正しいはずだ。種のルールに則って歴史を進める力となるのだから。運命を知ったクェイカー大尉は、自らを肯定する術をも得た。戦うのだ、新たな人類の有り様を世に知らしめるため。

 ゲルググ・ペルートが移動砲台スキウレに騎乗する。MS側のコンピュータで高度な射撃管制を行うスキウレは、MAクラスのジェネレーターとメガ粒子砲にスラスターをつけて飛ばすだけの単純な代物だ。単独で運用できないこともないが、MS側で照準から発射まで行う前提で設計されている。マニュピュレーター(手部)でグリップし接触回線を通じて操作する姿は、大砲を担いだ巨人のようだ。
 クェイカー大尉はグラナダ駐留軍時代と変わらぬ手つきで、砲台出力と火器管制をマニュアルに切り替える。昔取った杵柄である。ゲルググ・ペルート用に微調整を施しながら、右腕不調でも発射できるよう手部を迂回した発射プログラムを呼び出した。

「参謀本部の横槍で送り込まれた特務隊が、手柄無しでは……立つ瀬がないでしょう」

 頭部をザクⅠへ向けると、遅延信管の信号弾を発射する。カプセルを曳航するザクⅠと脱出艇を追い越した裏切りの光は、連邦軍MS隊の目にも映っていた。


回廊内

 アーサー機はゲルググのビームライフルを喰らい右腕を失いながら、被弾したマモル・ナリダ曹長を連れ帰るべく、ホス・シャークス少尉と共に母艦ケセンマへ向かっている。当のケセンマは前方に現れたムサイ艦めがけてまっしぐらだ。恐らく参謀本部の狙うサイコミュ兵器を抱えた本命だろう。ムサイ艦との間にビーム攪乱幕を展開しており、攻撃は実弾射撃が頼り。相手は手詰まり、こちらは撃ち放題の恰好だ。

「艦長はムサイを追い越す気だ……正気が残ってれば」

「肝が座ってるってこった!フランチェスカのバースデーパーティーより派手だな」

 リゾートコロニーの名物に例えて、ホス少尉がマモル機を抱えたまま軽口を叩いた。
 ケセンマは月から積んできたミサイルを全て打ち尽くす勢いで撃ちまくっている。岩礁回廊という戦場を考えれば理にかなった戦法ではあるが、傍目には頭のネジがふっとんだような戦いだ。銃撃狂いを巡洋艦でやればこうなろう。しかし戦闘艦の乗組員が見れば繊細な撃ち方をしていると気づく。一口にミサイルといっても弾頭は複数あり、距離や角度、岩礁帯の存在など状況を鑑みて使い分けている。
 まもなくビーム攪乱幕の効果が切れるのだろう、MS着艦に合わせて足を止める余裕がない。短い並走で無理やり飛び乗るはめになったが、降りられればどこだって構わなかった。艦前方を覆うように上下左右四か所もMSデッキがある、這ってでも潜り込んでみせよう。

 マリアンナ・ジーノ曹長とヤスコ・キッシンジャー曹長が着艦を援護してくれている。ゲルググが下がった今なら上手くいきそうだ。回廊出口のムサイ艦はビーム攪乱幕展開直後は打つ手に乏しく、砲戦の間合いにもかかわらず機銃で応戦するという涙ぐましい奮闘ぶりであった。少ないといえどミサイルはあり、大慌てで撃ち始めた。被弾したアーサー機とマモル機、援護のホス機が着艦しようというのは正にそんな撃ち合いの中なのだ。

「隊長さんよ、パーティーホールの入場マナーも頭から真っすぐってか?」

 ホス少尉はアーサーの指揮下に入って以後、アーサーを隊長さんと呼ぶようになった。ホス少尉は元々オイカワ少尉の部下だ。オイカワ少尉の負傷離脱により、暫定処置でアーサー隊に編入された。以前から戦闘指揮はオイカワ少尉が取っていたため、彼はアーサーを同格と見做しリーダーとは認めていないようでもあった。言葉にこそ出さないが、態度の端々に現れていた。大人同士衝突は避けていても、未だアーサーに命を預けることを了承しかねているように感じられた。今のも棘のある言い回しに聞こえる。オイカワ少尉は自ら血路を開き、他の隊を巻き込みながら仲間を率いてきた男だ。普段の態度にもそれは滲み出ていた。対してアーサーは戦闘時こそ頼もしいが小隊を率いていくのが精一杯で、生活態度に隊長の威厳なんてものは滲み出ない。無いものが滲み出ようはずもなく、安直に言えばなめられていた。

 だが仕方ないとも思う。ゲルググとザクを相手にして生き残れたのは仲間のおかげであった。一人で突っ走り死にかけ、仲間にゲルググを抑えてもらってようやくザク一機仕留めるありさまだ。四人がかりで尻拭いをしてもらった、と言ってしまうと不甲斐ないが、言い過ぎとも思えない。背伸びしてカリスマぶる中年をありがたがるほど、ケセンマ乗組員は子供じみていないのだから。格好つけて強がるのも違う気がして、結局考えなしの言葉が口を突いて出てしまった。

「頭空っぽで突っ込んでも、やることは浮かぶもんさ。スラスターを吹かせるだけ吹かして艦に追いつく。飛んでいれば自然と道が見えるはずだ」

「まあ、そんなもんだろうな。隊長さんは」

 ホス少尉が期待していた返答ではなかったようだ。落胆させてしまっただろうか。そういえばゲルググが現れる直前、一対一のMS戦で勝利した時、自然とオイカワ少尉のような口ぶりになっていた。売り言葉に買い言葉の大人げないやり取りだと恥じていたが、案外やれば出来るのだろうか。アーサー自身、正面切って敵艦と撃ち合う艦に着艦するシチュエーションなど経験がなく、今頃になって恐怖を覚えている。恥をかくだけかもしれない。しかし恐ろしさを自覚した途端、ホス少尉を落胆させたまま死ぬことへの後悔が湧いて来た。

――でもなぁ。柄じゃないんだ、こういうのは。

 意図せず鼻息が漏れ聞こえて、マイクが拾わなかったか気になった。そんなことを気にする場合じゃないのだが、いざ格好つけようと身構えた途端、些細なことが気になってしまう。母艦との距離は大分縮まったがあと一分といったところか。すれ違う敵ミサイルが目の端を飛び去って行く。運が悪ければそろそろ被弾する頃合いだ。
 腹をくくるともう一度鼻から息を吸い、努めて落ち着いたトーンで、声が上ずらないよう慎重に言葉を発した。

「かなり運を減らしたからな、貧乏くじは俺だろう。それに……」

「……どうした?」

「仲間の弾避けなら美談だろ? また番組が撮れる」

「吹かすんじゃねえ、有名人気取りも大概にしろ」

 ホス少尉は語気を荒げた。無線の向こうでどんな顔をしているか分からない。ジョークセンスは戦場で磨かれるというが、果たしてこれでよかったのだろうか。
 アーサーは、彼が打てば響く相手を欲していると考えていた。強気な言葉の応酬、遠慮なし剛速球のキャッチボール。あるいは意表を突いた指摘、揶揄も皮肉もどこ吹く風、余裕の構えといったような。そういう類のコミュニケーション。
 オイカワ少尉が抜けた後、男は優等生のマモル・ナリダ曹長と、うろんな凡人のアーサーだ。さぞ噛みつきがいがなかっただろう。彼のようなタイプを引っ張っていく術も身につけなければいけなかった。しかし、それも着艦できなければかなわぬ話。ケセンマを斜め後ろから追いかけていた三機は、艦を追い越しほぼ直角に交わるコースで着艦姿勢に入った。

 敵ムサイ艦の戦闘は消極的に見える。回廊出口を塞いだくせに遠間からビームを撃つだけで芸がない。回廊内で優位に立てる砲戦距離を自ら縮め、MSの支援砲撃を当てにしすぎる様子さえあった。ムサイ級の火力が活かせていない。練度不足、人員不足、整備不良……原因は一つと限らない。終戦から三年半、ろくな補給は無いはずだ。しかしMSは高性能。旧ジオン公国軍の用兵思想におけるMS偏重主義は、残党組織の維持管理面においてさえMSが優先されているのかもしれない。
 敵ムサイ艦は艦首をこちらに向けるべく、荒っぽく艦体を捻りケセンマの真上に付こうと必死だ。距離が縮まりビーム攪乱幕の効果が切れたとき、敵の射角外にいなければメガ粒子砲の集中砲火を浴びる。そうなってはケセンマに勝ち目はない。下っ腹に潜り込んでハリネズミの火力を叩き込んですれ違い、今度はこちらが出口を塞ぐのだ。

 ケセンマの進路から外れてザクが二機、防衛線を張っていた。大型のガトリングガンを連射してミサイルを迎撃していたザクが、ここにきて前進した。ムサイ艦の対空防御を捨てケセンマを墜とすつもりらしい。ガトリングがエンジンや弾薬庫を貫通すればケセンマの足が止まってしまう。接近を許せばブリッジ被弾のリスクも増す。ヤスコ曹長とマリアンナ曹長はザクを抑えにかかった。


回廊内 量産型アクト・ザク vs ジム・ピオニア

 ヤスコ曹長とマリアンナ曹長のジム・ピオニアは推進剤に余裕がある。僚機着艦までの数分間、敵を抑えられた。ザクの移動を認めると、マリアンナ曹長はビームスナイパーライフルで先手を取る。敵の前進が僅かに鈍るのを見て取ると、集束率を下げたビームの雨で二機のザクを遠ざけた。
 巨大なガトリングは弾をばら撒く面攻撃に長けていても命中率が低い。ピオニアの分析を確かめるまでもなく、CG補正を受けてメインモニターに投影された射線は集弾性能の低さを露呈していた。
 それに、アーサー少尉がザクを倒した際、弱点が二つ判明している。一つは射角の制限、上下に隙があるのだ。もう一つは両腕で保持する都合、旋回に四肢を用いるMS特有の機動、AMBACが機能しないのである。撃ち終わるや片腕を放して回避機動に入るため、連射直後の動き出しがMSにしてはぎこちない。しかしひとたび動き出せば、身をよじる歪な回避機動と高い運動性で翻弄されてしまう。撃ち終わりを捉えるのが肝心だった。

 マリアンナ曹長のスナイパーライフルとピオニアの軌道予測をもってしても、MSとしては不自然なほど人間に近い、歪な動きを捉えられない。ニューアントワープで戦ったアクト・ザクのようだ。そのうえ踏み込みが早い。もはやガトリングがどうのという距離ではなく、一機は早くもヒートホークを構えていた。ガトリングと弾倉を担いだまま接近戦をやるつもりだ。ヤスコ曹長のビームライフルは岩礁のスナイパーを狙った単発モードのまま。まだ連射モードへ切り替えていない。
 息が詰まる。ザクと距離が縮まるごとに呼吸が早くなる。まさか、いや、ひょっとしたら……。

「マリアちゃん、奥のザクを任せたい。いいかしら」

「了解。さっきみたいな無茶はなしですよ!」

 マリアンナ曹長が奥のザクとヤスコ機の間に割って入る。上昇しながら手前のザクの動きに合わせてビームを一発、ヤスコ曹長の目前でザクの妙な動きが縮こまった。チャンスだ。ヤスコ機はシールドを突き出しながら一息で距離を詰める。無線通信が開いた、一般回線ではない。ピオニアが敵の無線を傍受している。二機のザクの通信だった。

「どうでもいい!二人でサラミスをやるんだ」
「俺に構わず行ってくれ!足手まといになりたくない」

――子供の声!

 叫ぶ少年たち。一人は声変わりが終わっていない。泣いている子供の気配を感じたとき、もしかしたらと思っていた。戦場にいる子供は、一人ではなかった。ヤスコ曹長はビームライフルを手放す。左腕シールドを僅かに逸らし、機体正面を開いて右腕をザクに伸ばした。本当ならビームサーベルを抜くべき間合いで、彼女はザクとの直接接触を選択した。素手で飛び込むジムを認めてザクが急制動をかける。息を合わせてきた。操縦が上手い。ジムの足は止まらずヒートホークの間合いに飛び込んでいく。
 ヤスコ曹長はビームサーベルなど使うつもりがなかった。彼女はスラスターを吹かしながら、無線周波数の調整と割り込みをピオニアに徹底させる。弾が飛び交い斬り結ぶ距離で、操縦桿から手を放し、ピオニアへ電子防護の一部解除とザク周波数へ向けた近距離通信の妨害緩和を指示していた。平たく言えば、鼓膜を塞いでいた手を緩め、敵の会話を邪魔しないようピオニアへ命じたのだ。非常識極まりない。正気を疑われても仕方ない奇行。しかし、少年たちを救うには必要な処置だった。

 ヒートホークは頭上からまっすぐ振り下ろされた。ヤスコ曹長は両目を強く見開いて、メインモニターの先、ザクを操る少年のイメージを見つめていた。少年の息遣いを感じる。ヒートホークの振りかぶりに合わせて、脚部と前面のカウンタースラスターを目いっぱい吹かして急制動をかけ返す。加速したジムがその程度で止まるはずはなく、伸ばした右腕はヒートホークに切り裂かれた。
 ヤスコ曹長の目論見通り、ガトリングもヒートホークも使えない間合い。振り下ろされたヒートホークをシールドで抑えつけながらザクに密着した。

「あなた男の子でしょ、教えて!あの艦には子供がいるの? どうして子供が戦うの!戦争は終わったのよ!」

「大人は僕たちを守らない!連邦もジオンも関係ない。戦争は終わってない。みんな嘘つきだ!」

 戦災孤児だろう。ジオン軍残党に匿われ、兵士にされた戦災孤児。地球では不法居住者と結託したジオン残党が、現地の若者を徴用してゲリラ化している。宇宙にもいたのだ。ずっとジオン軍の艦船から降りられなければ、こういう不幸とて起こりえた。

「お母さんが死んだ時も、月で捨てられたときだって、誰も助けてくれなかったじゃないか!」

「月で捨てられた……?」

 ジオンに囲われていたのではないのか。言葉の棘がヤスコ曹長に刺さったとき、装甲越しに子供特有の高い体温が伝わってきた。泣きじゃくる子供を前にしたあの感覚。この子は、この子たちは……。

「私が守ります! 約束します。あなたも、他の子も必ず守るから、もう戦わないで」

「嘘だ!」

「私はあなたを見捨てない。放り出さない。信じて」

 ヤスコ曹長が語り掛ける間、ザクは攻撃しなかった。後方の一機も二人の様子を伺っている。マリアンナ曹長はヤスコ曹長と少年兵の会話を聞いていた。心当たりがある。狙撃時に聞こえた声。女の子……ニュータイプの。そんな気がする。
 少年兵は攻撃の手を止めたが口も閉ざしてしまった。待っている時間が惜しく、マリアンナ曹長が口を開く。

「ヤスコさん女の子がいます!MSに乗っていない子供がいるはずなんです。ねえ君たち、女の子がいるでしょ?あの子はムサイにはいないんじゃなくて?」

 少年達の沈黙は続いた。口を閉ざす理由の変化を感じ取り、マリアンナ曹長は言葉をつづけた。

「あの子は泣いてた。今もあなた達を、私たちを見てる。そうなんでしょ?」

 少年たちの無言は肯定の証だろう。大人相手の回りくどい駆け引きはかえって邪魔になる。戦災孤児を徴用する部隊ならば、アクト・ザクを運んでいた少女にも関りがあるのではないか。月面ニューアントワープ市郊外の遭遇戦、MS輸送艇のパイロットは幼い女の子だった。状況証拠が物語っている。あの子は彼らの仲間だ。
 輸送艇の少女は切り札だ。しかし話し方を誤れば神経を逆撫でしかねない。慎重を期したい場面だが、ミサイル飛び交う戦場で通用する配慮など誰も持ち合わせていない。

「私たち、ニューアントワープで女の子を保護したわ。モネちゃんっていうの」

「「!!」」

「マリアちゃん、どうして……」

 スピーカーの向こうで二人の少年の態度が変わった。やはり関係者、間違いない。ヤスコ曹長が少年達に配慮して言葉を遮ろうとしたが、マリアンナはスピーカー越しでも心が伝わるよう、努めて柔らかく言葉をつづけた。

「モネちゃんは今、グラナダの養護施設にいるわ。初めは尋問のために連れていかれるところだったの。でもね、私たちの艦長やグラナダ基地の大人が、みんなでモネちゃんを守ったの。
「モネちゃんは毎日温かいご飯を食べて、お風呂に入って、安全に過ごしている。そのうち学校へも通えるようになる。
「グラナダ行政府や連邦政府の大人たちがモネちゃんの家族を探しているわ。戦争で住民データの多くが消失しているからモネちゃんの戸籍は見つからないかもしれない。ひょっとしたら家族も……。
「でもモネちゃんはこの先ずっと安全よ。私たち連邦軍は連邦市民の生命と財産を守るのがお仕事。モネちゃんを、君たちを守るためにいるの。見捨てない。私たちを信じて」

「……地球に行くんだ」

「やめろ!言うな!」

「教えて!必ず守るから」

 胸の内を吐き出す少年をもう一人が遮る。割って入ったヤスコ曹長の叫びが、二人の耳に届く。スピーカーを震わす温もりは大人の、母親のそれに似ていた。

「…………コムサイが、いる。 もう回廊を抜けた……弟達が、乗ってる」

 様子を伺っていた少年が口を開いた。目的地が地球、参謀本部の読み通り。核兵器に匹敵する脅威がどうのと、のたまっていたが知った事か。子供がいるなら助けなくては。子供を戦争の道具にする。連邦軍も使った手口だ。だからこそヤスコ曹長は許せなかった。連邦ジオンの区別なく、守るべき子供を戦わせる大人が許せない。逃がしてなるものか。救い出す、そう決意を固めて、推進剤の残量を確認する。ムサイを追い越しさらに先にいるコムサイへ辿り着くには足りない。

「コムサイのことは後で聞かせて。今は私たちの艦へ行きましょう。マリアちゃんはその子をお願いします」

「了解。 君、私と行きましょう」

「いやだ! 不法居住者を差別して、また僕を売るんだろ!」

「売る? ……戦災孤児は保護する決まりよ。売るなんて……そんな、しないわそんなこと」

 唐突に胸をえぐられた。少年が吐き出した一言で彼らの境遇を知ったマリアンナ曹長は、自身の無力に怒りが湧いた。月で、いやきっと世界中でこんな悲劇が起きているのだ。グラナダ地下スラム街の噂は耳に入っていた。彼らは氷山の一角だろう。守るべき子供を売り払う輩が月にいる。叫び出したい衝動を抑え、スナイパーライフルを手放しザクの手を取った。右腕を伸ばすと、少年はガトリングガンと巨大な弾倉を脱ぎ捨てて応える。手を繋いだジムとザクが二組、ケセンマへ向かって飛んでいく。

 岩礁が光ったのはその時だった。爆発と見紛う強烈な閃光。マリアンナ曹長の背筋に電流が走り、口より先に体が動いた。進路反転、スラスターを吹かしてケセンマから離れる。ザクが慌てて追従するが手が離れてしまう。反転した勢いでつんのめったザクが体を起こし、不思議そうな顔でマリアンナ曹長のジム・ピオニアを見つめている。

「逃げて!」

 モニターは信号弾である旨を告げている。アラートは鳴らなかった。信号弾とは別方向からビームが飛び込んで、マリアンナ曹長が去った空間を射抜いた。彼女を追いかけて起き上がったザクが今、そこにいた。

「嘘よ……うぅっ……」

 ザクが爆発した。マリアンナ曹長の目の前で。
 自分が下がってしまったから、繋いだ手がほどけなければ、肩を抱いていたなら……。マリアンナ曹長の目は爆発に釘付けになる。ザクだった光球に、顔も知らぬ少年の体温を感じている。まだそこにいるような気がした。
 永遠に感じる一瞬、ザクの光が消えてゆく。スピーカーはノイズしか鳴らさない。誰の声も聞こえない。彼はもういなかった。

 岩礁に新たに生じた光を感知して警戒音が鳴る。ぼわっとした淡い光が三秒と待たず強烈な閃光へ変じた。ザクを撃ちぬいた光線の根元から、光の柱が降り注ぐ。ヤスコ曹長は咄嗟に少年を庇うように前へ出た。手を繋いだ二機が息を合わせて回避するも、ほんの僅か間に合わなかった。ヤスコ機の頭部を消し飛ばしたビームはそのまま直進し、母艦ケセンマの装甲を撫でる。帰るべき母艦が、三人の前で火を噴いた。


ジム・ピオニア マリアンナ・ジーノ機 学習型コンピュータ “CHLOROS”

 機体の内外から精神感応波を受信した。手が届く近距離で発した感応波が重なり合う。息を合わせるように、隣り合って歩くように。足並みを揃えた波が重なっていく。途端、輻輳した感応波が閾値を超えた。更なる干渉を受けて荒れ狂う。息は乱れ足並みが揃わない。気が付けば足音が一つ消えていた。
 どこから来たのか、どこへ行ったのか。消えた感応波の正体すら分からぬまま、パイロットの感応波がCHLOROS(クロロス)の受信機を震わせる。コクピットから溢れ出る力にサイコミュ受信機が悲鳴を上げた。

 クロロス開発者たちは、精神感応波に指向性があるらしいことを掴んでいた。だが旧ジオン公国の技術者を動員してみても、感応波に指向性を与え制御する術は得られなかった。彼方から装甲を打ち付ける波は、マリアンナ機に向けられている。そのせいでピオニアのサイコミュ受信機は混線してしまった。月管区工廠の試作実験機であるジム・ピオニアは、サイコミュ受信機を停止できない設計だ。CHLOROSの封印は、学習型コンピュータに過度な負担が掛かっても解かれないはずだった。アーサー機、ヤスコ機が陥ったシステム保護の落とし穴は、精神感応波の“輻輳”による過剰な負荷が原因だが、マリアンナ機の現状は異なっている。学習型コンピュータの過剰負荷だけを見れば、同様と言えなくもない。

 明確な違いは “向き” と勢いだ。マリアンナ曹長の感応波が、機体を内側から押し広げていく。パイロットの力がピオニアを追い詰めていた。輻輳はきっかけに過ぎない。現在、マリアンナ機のサイコミュ受信機はパイロットから溢れ出る精神感応波で溺れていた。CHLOROSは目覚めたがっていない、しかし月管区工廠製のサイコミュ受信機が暴走し、学習型コンピュータは想定稼働の100倍近い数字をたたき出す。冷却が追いつかない。破損寸前だった。

 パイロットが自力で封印をこじ開けようとしている。マリアンナ曹長にその気はない。彼女は、CHLOROSはおろかサイコミュが搭載されている事実すら知らない。

 戦闘補助OS “CHLOROS” を叩き起こした声は慟哭だった。救えなかった己を許せず、怒りに震える、一人の“大人”の苦悶の叫びであった。


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