ガンダム外伝アーサー・ドーラン戦記 第八話「追走の回廊 前編」 U.C.0083

アーサー・ドーラン戦記 ~宇宙世紀パイロット列伝~

ジオンに代わる脅威

U.C.0083 6月
暗礁宙域 サラミス改級ケセンマ ブリッジ

 細面の官僚としばし見つめ合う。アーサーには、男の目に力が宿ったように見えた。意を決した表情で官僚が言葉を続けた。

「ジャブローへの攻撃はブラフかもしれん。しかしムサイ艦が与する組織が、核に匹敵する脅威を所持しているのは確度の高い情報だ。今すぐ攻撃するのか、どこかへ移送するのかまでは分らんがな」

“ムサイ艦が与する組織”--今までの会話から遊離した響きに強い胸騒ぎを覚えた。なぜかジオン残党を指す言葉と思えない。直感、ときに目を曇らせるそれを信じ、アーサーは疑問をそのまま口にした。

「ムサイ艦が与する組織とは? 我々が追っているのは新たに確認された残党組織ということですか?ジオンに何らかの変化があったと?」

 暗号通信は月の連邦軍基地とケセンマのブリッジモニターをリアルタイムで繋いでいる。映像音声とも随時補正がかけられており、通信にいささかの支障もない。連邦軍の軍事施設と通信しているから当然ではある。暗号通信のプロトコルが恐ろしい速さで書き換わり続ける。通信傍受対策は強固だ。連邦軍の最新機材を用いても解読には多大な労力と時間を要するはずである。
 それもそのはず、暗号通信が月軌道艦隊の作戦行動に用いられるプロトコルとは大きく異なるからだ。即ち、情報部の暗号を用いた異例の通信であった。
 この事実こそが本作戦の異質さを端的に物語っている。本作戦の立案主体が情報部であり、彼らに牛耳られているのだろうことを。月軌道艦隊が直接援軍をよこさない理由は、グラナダ司令部へ横槍が入ったためか。

 そうした事情もあって、アソーカ・エンライト艦長はアーサー・ドーラン少尉の発言を遮らなかった。細面の官僚の言葉に強い不信感を抱いていたのは、エンライト艦長とて同様だ。言い換えれば参謀本部への不信感を拭えないという、戦闘艦の責任者としては許容しがたく、そして悲しいかな常なる感情であるのだが。


「キシリア機関と呼ばれたジオン公国諜報機関のことは諸君も知っていよう。
「ジオン残党主流派はアステロイドベルトへ落ち延びたため、諜報活動は専ら地球周辺の残党組織によって行われている。これはキシリア機関のような規模も実働力もない、というのが情報部の見解だ」

 アーサーは官僚が核心を話すつもりがあるか疑わしかった。この話は作戦の成否に関わるだろうか。目前の細面が煙に巻くつもりなら……軍法会議を覚悟しなければならないやもしれぬ。

「だが、キシリア機関は生きている。
「奴らがアクシズと呼ぶ主流派と別れ、地球圏に居残る道を選んだ理由は分かっていない。しかしキシリア機関の流れを汲む地下組織の存在を掴んでいる。その上奴らは既存の残党どもから隠れているような節がある」

 アーサーは驚愕した。開示された情報にではなく、細面の官僚が重大な情報をあっさり口にした事実の方に。

「つまり、ジオンの内部分裂だと?」

 久しぶりにエンライト艦長の声を聞いた気がした。モニターの向こうで細面が片手を上げて言葉を遮る。

「当たらずとも遠からずだな。
「奴らは残党勢力を同類とは見ていないようだ。新たな武装蜂起を企てているのか、次なるジオンを立ち上げるつもりかは知らんが、問題はジオン残党を当てにしていない所にある」

「それでは……」

 官僚が結論を口にしたくてうずうずしているのが見て取れた。

「ジオンではない何者か。 新たな脅威が生まれようとしている。恐らくニュータイプを従えた、サイコミュ兵器を擁する組織がな」

 アーサーの想像を超えた話だった。ジオンではない脅威、そんなものが地球圏に存在するのか。連邦からの分離独立を叫ぶ勢力はジオンほどの組織力を持たず、彼らの方がジオンに参画していったようなものだ。それらとて大戦終結とともにほとんど消えていった。
 ジオンに比肩するほどの脅威など最早存在しようがない。連邦かジオンか、それが現在の地球圏でありそれ以外の勢力など地方ヤクザの域をでないというのが連邦軍の認識である。その常識が覆ろうとしている。

「もういちど確認する、エンライト艦長。 そしてドーラン少尉」

 この男に名前を呼ばれると思っていなかったアーサーは、馬鹿みたいに目を丸く剥いてしまった。

「ケセンマはムサイ艦を追跡、地球軌道艦隊と共同で拿捕してほしい。
「待ち伏せしている地球軌道艦隊だが、動かせるよう手配する。彼らが上がってくるまでムサイ艦を見失うな。
「……君たちへの情報開示に制限を設けたが、これは私の判断ミスだ。  すまなかった。
「健闘を祈る。以上だ」


 暗号通信は終了した。アーサーは、彼の言葉に使命感だけではない、ケセンマ乗組員への敬意を感じ取った気がして少し戸惑いを覚えた。それはブリッジにいた他のクルーも同様だったようだ。
 それ以上に衝撃的な通信の内容を、皆が反芻し困惑しているのが分かる。重苦しい静寂がブリッジを満たした。

「……ふむ。 そうか」

 しばしの沈黙を破って、エンライト艦長が誰に言うともなく呟いた。

「戻ったら一発殴ってやる」

 ブリッジクルー皆の耳に届いていたが、誰も口を開こうとしない。
 アーサーは横目で艦長の横顔を伺う。艦長も首を動かさず、同じく視線だけアーサーに向けていた。お前もそう思うだろう?鈍感少尉も同意を求められているのは理解できる。なぜだか同意してはいけない気がして返答に窮した。

「……と言いたいわけだな? ドーラン少尉」

「あっずるい!! 俺は言ってませんよ!  あ……」

 弁明は遅きに失した。ブリッジクルーの微かな笑い声が耳に届く。皆頬を緩めたり、白い歯を見せたりしている。まんまとだしに使われてしまったが、幾分空気が軽くなる。
 明かされた情報に不安を抱いていたクルーが、ひととき笑みを取り戻したのだ。良しとしなければ。同時に、指揮官に必要なユーモア、人心掌握術を見せつけられ内心グサッときてもいた。

 再び静まり返るブリッジからブリーフィングルームへ移動するエンライト艦長とアーサー。パイロットが集められ月からの指令を伝達する。地球軌道艦隊が上がってくると断言できない辛さはあるが、良いニュースには違いない。
 追跡が主任務なら戦闘を避けられるかもしれない。実のところ、アーサーにとってはそちらの方が良い報せだった。


四時間後
暗礁宙域 岩礁回廊

 視界を遮る巨大な岩石がそこかしこに浮遊している。一方で、遥か上方には通ってくださいと言わんばかりにデブリ密度の低い空間が広がっていた。浮遊岩礁の密度は場所によって大きく偏っている。
 俗に回廊と呼ばれる、比較的通りやすい空間の存在は知られていた。だからといって回廊を通るわけにはいかない。民間の利用はおろか、連邦軍艦船であろうと滅多に近寄らない理由は単純だ。見晴らしの良い回廊の目と鼻の先、隠れるにはうってつけの高密度デブリ群。ジオン残党の罠が張り巡らされている。民間へは公表されていないが、数隻のサラミス級がこの宙域で甚大な被害を被っていた。

 先ほどから幾度も鳴り響く高速接近警報が、再びジム・ピオニアのコクピットを満たす。連動してヘルメットが警戒音を拾い軽く振動した。今さっき通り過ぎた後方岩礁から、急加速で近づく岩塊を報せていた。

 ジオンのモビルポッド “MP-02A オッゴ” 他に類を見ない異形の機動兵器である。一年戦争末期、ジオン軍がモビルスーツの絶対数不足を補うために急造した戦闘用モビルポッドだ。
 まるでドラム缶を横倒しにしたようなシルエットだが、以外にもパワーウェイトレシオ、つまりは重量出力比で連邦の “RB-79 ボール” を上回り、良好な機動性も相まって戦闘力で勝っていた。機体両端に汎用装備用ハードポイントを備えるため、ザクマシンガンやロケット弾など作戦に応じた装備選択の幅が広いことも特徴である。
 しかしながらこれはお世辞にも取り回しが良いとは言えず、あげく急造の転用兵器である証、コロニー建設用スペースポッドのそれと酷似した二本のアームが突き出ていた。

 本来は陸戦用J型ザクからジェネレーターを流用していたため、宇宙で使用する際はエンジンを常にアイドリングさせ冷却装置を稼働させる必要がある。だが目の前の機体は、破損した宇宙用MSのジェネレーターの内、状態が悪く規定出力に届かないジェネレーターを組み込んで再利用している。アイドリング無しに息を潜めていたのだ。
 機体下部より生えた貧相なアームで岩塊を掴み、盾にしながら突っ込んできた。

「死にてえのかっ!! ポンコツ!」

 ホス・シャークス少尉の叫びがヘルメットに反響する。自らの叫びで鼓膜を痛めながら、ホス少尉はオートの射撃モーション中にジムの右脚を振り上げ、逆に左脚を引いて見せる。ビームライフルの照準環が迫りくるオッゴに重なり切る直前、少尉はトリガーを引いた。

 銃口を向けるまでのコンマ数秒を、MS特有の四肢を動かすAMBAC機動で短縮し、ジム改の射撃挙動より一拍早く放たれたビームは自機へ向け放り投げられた岩塊を貫きオッゴへ直進する。
 AMBACを作動させた途端にピオニアのAIが照準システムを予測追従させ、モニター表示よりもコンマ数秒早くロックオンを完了させていた事実に、少尉は気が付いていなかったが。

 岩塊をぶつけてジムの足を止め、その隙にスラスター機動で上昇なり回り込むなりを企図した攻撃。その初動を射抜かれ、オッゴは火を噴きながら錐揉みしだした。
 溶解しながら弾け飛ぶ岩の裂け目に、制御不能に陥ったと思しき哀れなモビルポッドが顔を覗かせる。エンジンが死んだか、操縦系がいかれたか。元々チープな急造兵器、使う方が悪いのだ。

 パイロットは消耗品と言わんばかりのその姿が許せなくなり、ホス少尉は瞬間湯沸かし器の如く激昂した。止めを刺す。二射目のビームがオッゴを貫いた直後、みじめなモビルポッドは中央のエンジンではなく両端から爆発したように見えた。
 眩しい光の尾を引きながら飛び散る様は、さながら花火のようである。


 オッゴは機体両端のハードポイントに対艦ミサイルとシュツルムファウストを装備していた。錐揉み回転しながら撃ちだされた--撃ちだされてしまった対艦ミサイルは、近場の岩やコロニーの外壁に次々と命中し、連鎖的に爆発を引き起こしている。
 シュツルムファウスト、ジオン軍が多用した単発式のロケット弾発射装置。あろうことかその内一発は、誘導装置などないのにお行儀よく真っすぐ向かってくる。
 直撃コースだった。上下左右、コロニーデブリでまともな回避スペースが塞がれている。敵の思う壺だった。ホス少尉はシールドでコクピットとヘッドユニットが隠れるような姿勢を取り、即座にライフルを放り投げ右腕をコクピットの前に潜り込ませた。


 連邦軍のシールドはザクマシンガンの直撃に耐えられるよう作られているが、迫りくるのはロケット弾頭だ。破壊力はマシンガンの比ではない。戦時中からMS技術開発は機動性を生かした回避力向上に舵を切っていた。それこそが戦闘機とMSの明確な違いであり利点だったからだ。
 だが「戦技」開発は違う。多様な攻撃に対する防御姿勢を考案しなければならなかった。
 MSの能力向上は大事業だ。設計・開発・製造・配備には途方もない月日が掛かる。戦技開発はそれ自体がMS能力向上に繋がるうえ、機体開発までの時間を稼いでくれる。現行機種のまま能力向上が見込めるため、各戦管区で用いられた戦技の収集・統括・編集が行われている。
 その成果が、シールド保持アームとコクピットブロックの間に逆アームを潜り込ませるモーションだった。発想は地上の近接特化型ジムによるものと思われるが、見た目はボクサーのディフェンス「クロスアームスタイル」とか空手の「十字受け」等と呼ばれる構えに似ていた。

「念仏の一つも習っておきゃよかったぜ……」

 できることはもうない。防御姿勢を取りつつ回避機動に入るが、下手に動けばシールドからはみ出してしまうため、サブスラスターで直撃角度を僅かに逸らせる。焼け石に水かもしれないが、正面からぶつかるよりはいい。
 ホス少尉は極東でジオンと密林戦を繰り広げていた頃を思い出していた。占領地に寺院があって、毎日死者を弔っていた。窮地に陥った今脳裏をよぎるのがそんな情景だなどと、あの頃は想像もできなかった。


 ホス少尉のジムが爆発光に照らされた姿を、マモル曹長はコクピットモニターで観測した。燃焼光はロケット弾であろうとAIが解析結果を表示する。すぐさま救援に向かう。
 ホス少尉の無事を確かめるべく回線を開いて呼びかけた。オープンチャンネルから複数の男の声が飛び込んできたのは、その最中のことだった。

「惰弱な連邦に死を!」
「スペースノイドの未来のために!」

 ザクが二機、マモル曹長のジム・ピオニアを挟み撃ちにしようと接近してきた。今しがたの爆発で大中小のデブリが乱れ飛んでいる。コロニーの内壁デブリが崩壊したのだろう、土砂が舞い上がりモニターは死にかけている。

 これでは上方へ、回廊へ逃げるしかない。だが、その先に待つのは……


岩礁回廊の会敵五時間前
地球近海 太陽光発電プラント 近傍

 クエィカー大尉のムサイ艦が暗礁宙域を突っ切っている頃、茨の園近傍で別れたパプア級補給艦は、静かに地球への航路を進んでいた。

 宇宙の灯台。地球圏にはそう呼ばれる施設がいくつか存在する。太陽光発電施設も灯台の役割を担っており、船乗りたちの道標であった。
 「灯台下暗し」とは太古人類が帆船で航海した時代の言葉だそうだが、宇宙世紀においても灯台の足下は暗い。太陽光発電施設などほぼ固定軌道の管理衛星は、調査や監視の対象になりにくい。そこに浮かんでいると分かれば目的の半分は果たしているような施設なのだ。
 航路がトレースしやすい、資源局が情報を全て握っている、戦略的価値がないなど戦前から見逃されやすい条件が整っていた。交易船が立ち寄らなければ海賊行為の対象にもなりえず、閑職の検挙数稼ぎにも使えないありさまだ。
 以上の理由が却って灯台の下に船を集める原因となっており、知られたくない取引は足がつかない民間コロニーか灯台の下と相場が決まっていた。

 アナハイムエレクトロニクス社に限らず、スペースノイドが連邦の目を盗んで事を運ぶ際にしばしば使われる手だ。アナハイムと言えど、今はまだ急速に発言力を増しただけの私企業にすぎない。戦前から後ろ暗いことに手を染めてきた宇宙移民社会の習いともいえよう。
 この航路もまた、そうした後ろ暗い者達が軍の目を盗み地球へ近づきたい場合に用いられてきた。


 パプア級が目指すプラントは私企業が所有しており私有地の扱いである。主に食糧自給率の低下著しい地球へ出荷するための、食糧生産プラント兼発電施設として届け出済みであった。
 太陽光発電と食糧生産プラントは相性が良い。ミニマムなバイオスフィアを維持するだけなら居住スペースや有重力ブロックは小さくて済む。内径が小さな、遠心重力区画が狭く居住に適さない小型コロニーだ。

 自走ドック艦構想はラビアンローズという成功例を生み出しはした。例外的に一部のコロニー法を免除された移動研究施設と言えば聞こえはいいが、常に連邦の監視下に置かれる運命だ。
 結局のところ根回しなしには動かせないため使い勝手が悪い。今後も連邦軍と良好な関係を築くために用いられるであろう。なにより実験施設は多いほうが良い。


 一見して異様な外観は、新世代放射線遮断技術採用密閉型シリンダーという建て前である。もちろん生産プラントなどではない。内側をうかがい知ること叶わない密閉型シリンダーが縦列連結した形状は、まるで蛇のようであり、萎れた茎のようでもあった。
 先端はドッキングベイにしては大きすぎる開口部が穿たれている。まるで、元々あった何かを無理やりねじ切ったような、歪な剪定跡に見えた。

 パプア級補給艦が茎の中ほどに位置するドッキングベイへ入港する。途端に機関銃で武装した警備員に小型艇で横づけされ、無重量区画1ブロックを通り抜ける間中はりつかれた。カーゴベイへ着くや否や、警備艇と入れ替わるようにこれまた武装した作業員が、荷を下ろすため次々下りてくる。
 誰がどう見ても軍事施設である。しかし連邦軍の哨戒ルートから外れているばかりか、ジオン残党の海賊被害も受けていない。月と地球の間で、さながら盲点の如く公的ルートのことごとくから外れていた。


 その男は苦々しい面持ちで積み込み作業を見つめていた。無重量ブロックを漂う姿がどこか重々しい。でっぷりとした腹の肉がノーマルスーツを内側から押し上げている。顎に無精ひげを生やした中年男がバイザー越しに貨客船を睨みつけていると、管制室から無線で呼び出された。

「お客さんが直接確認したいとさ」

「そんなもんパッキング前の写真渡しておけば足りるだろ」

「目視で確認しろとの命令だそうだ」

「しるか! 今更荷を解くなんざごめんだね。ライブスキャンでもしてみせろ」

「いいのか。 俺は知らねえぞ」

 管制官は男の返答を半ば予想していたのか、大型のスキャナーバーを二組、作業員に操作させ始めた。作業中一瞬無線が混線して“お客さん”と管制官の押し問答が聞こえてしまった。鬱陶しいのでヘルメットスピーカーを切った。服務規程違反だ。いつものことだが。

「コムサイぶら下げといて何が貨物船だ。人を馬鹿にしやがって」

 パプア級の隣で積み込み作業が進む貨客船を睨みつけながら、男は握り拳で内壁を叩きカーゴベイから退出する。ノーマルスーツの中では両手の指が十本とも赤切れており、握った拍子に血が滲んでいた。


 ムサイ艦一隻につき一機装備されている大気圏突入用カプセル、コムサイ。機銃やミサイル発射管を取り払い非武装化したコムサイを一つ、民間の貨物輸送船に無理やりドッキングした不格好な船が一隻、堂々とアナハイムエレクトロニクス社のロゴマークを見せびらかすように停泊している。
 実在するアナハイム関連企業の船籍をもち、連邦に届け出済みのどこに出しても恥ずかしくない船のはずである。外観を除いては。
 
 彼の元同僚、もとい戦友たちはあの小型シャトルで連邦艦に向かっていった。燃え上がるア・バオア・クーを背にして本船が逃げる時間を稼ぐため、懐に動けなくなったザク一機を抱え、核融合炉自爆を企図してマゼラン級戦艦目掛けて特攻したが、割り込んできたサラミス級巡洋艦のメガ粒子砲を正面から喰らい爆沈した。
 男は逃げるムサイの艦橋から、戦友の散り様をただ見ていた。


 貨物船の出航を見届けた後、男は軍服に着替える。男の名はサンタ・タチ・バヌウズ。元ジオン公国軍地球方面軍、後にア・バオア・クー防衛隊にて終戦を迎えた元ジオン軍人である。

 バヌウズはサイド4出身だが戦前にサイド3へ移住し独立運動に参加した。しかし彼の正体は連邦側の密偵であった。サイド4議会は親連邦派が多数を占めていたこともあり、水面下で地球連邦との安保交渉が行われていた。
 バヌウズはサイド4が戦火に焼かれぬよう、サイド3深く入り込み共和国を戦争へと駆り立てる勢力へ接触を試みていた。

 若い男は運がよかった。ジオン・ダイクン急死直後、彼の死に乗じてサイド3の実権を握るべく穏健派排除に動いた一派が男に接触したのだ。男は穏健派、急進派どちらとも親交を深めていたため実行役にうってつけであったが、それは戦争回避を目論むサイド4議会の意図に反していたし、何より男の正体を知る数少ない理解者を暗殺するということでもあった。

 男の最初の過ちが理解者を裏切ったことならば、最大の過ちはサイド4を救えなかったことに他ならない。
 ジオン軍は、親連邦を掲げる非協力的なサイドを悉く攻撃した。サイド4議会は連邦軍との安全保障体制を構築できず、コロニー駐留軍と志願兵のみでこれに対抗するしかなく、結果は惨憺たるものだった。モビルスーツと戦艦に蹂躙され複数のコロニーが壊滅した。慌てて中立を宣言したところで時すでに遅く、辛うじて焼け残ったコロニーでは被災者を抱えきれない。
 生き延びた者は避難民となり、月や地球、あろうことかジオンへも逃げ延びた。

 男には戦争を続ける理由がなくなった。故郷は連邦に見捨てられ一月足らずで焼け落ちた。ジオン公国軍内部でスパイ活動を継続していたところに、捕虜だったはずのレビル将軍脱走の報せが届いた。レビル将軍は、ルナツーから全世界に向けて戦争継続を叫んだのだった。

 その日から、男の戦争が始まった。男は連邦の無能を呪った。サイド4を守れず、今また戦火を広げんとするレビル将軍の檄に、はらわたが煮えくり返った。帰るべき故郷はもうない。今更連邦に未練もない。このままスパイ活動を継続しつつ、二重スパイとしてジオン軍に貢献する。それが男の選んだ道だった。しかし、今……男は地球連邦軍の青い軍服を纏ってドックのパプア級補給艦を見つめている。

 地球連邦軍情報部参謀本部第四局附き特務大尉――それが、男の今の肩書である。ジオンに故郷を滅ぼされ、連邦を憎んで戦火に身を投じた男は、今また軍服に袖を通していた。


「さあさあ、本命のお仕事だぞ。ジオン臭いグリーンなんて塗りつぶしてやれ」

 パプア級補給艦はたった今連邦軍のものとなった。地球軌道艦隊に拿捕され連邦軍仕様へ改修される、という筋書きになっている。ジオンの放出品を連邦へ、その逆もしかり。
 ここ “茎” は軍需物資・人員、果ては情報まで、汚れた品々を綺麗にロンダリング(洗浄)する役目を担う施設だった。

 今しがたジオン残党を貨客船に乗せ換えたというのに、なんという言いぐさだろう。戦争の火種に成り得る技術をこともあろうにジオン軍へ提供し、その見返りに連邦の持ちえないジオン公国の秘密を買い取った。これが連邦市民への裏切りでなくてなんだというのか。
 贖罪とは程遠い生き方に手を染め、穏健派議員を裏切った頃から変われない自分を許すことができず、バヌウズの心は冷めた怒りに押しつぶされそうだった。


岩礁回廊の会敵四時間前  月―ケセンマ暗号通信と同じ頃
暗礁宙域深部 ムサイ艦 ブリッジ

「ご助力感謝いたします、ローズウッド艦長。心強い援軍を頂けて望外の喜びです。」

「久しぶりだね、クェイカー大尉。 礼には及ばないさ。君たちはジオン再興を志す同志だ」

 ブリッジモニターはデラーズフリートのムサイ級巡洋艦ジャスルイズの艦長席に座る男を映している。クェイカー大尉はこの男と初対面ではない。月面都市を占拠した後、グラナダ守備任務に就いていた頃に何度か顔を合わせている。

 彼も月を拠点とする突撃機動軍の所属だったが、ジャスルイズはキシリア少将に付き従ってア・バオア・クーへ向かったはずだ。
 キシリア様をお守りできなかったことはローズウッド一人の責任ではない。しかしカラマポイントで恥を晒した挙句ギレン・ザビ総帥を崇拝するデラーズの下で生き延びている。彼も世界を見通せない旧人類としれよう。

「敵艦は回廊で仕留めよう。ここは我らのテリトリーだ。我が艦の主砲狙撃ポイントは複数ある」

「それは頼もしい! では我々は誘導を?」

「はっはっはっは。 無理をすることはないんだ、クェイカー。貴官らは逃避行でお疲れだろう?
「それに比べ我がMS隊は士気旺盛、経験豊富である。任せたまえ。
「貴艦は一足先に回廊を抜けたまえよ。 月軌道艦隊の裏をかくつもりなのだろう?」

 上っ面で物を言うを絵に描いたような男だと、クェイカー大尉は関心していた。自分の面の皮の厚さは自覚しているつもりだが、この男のそれも中々だ。
 ただローズウッドの度し難い点は余裕ぶっているところを隠さない所でも、本音が見え透いている所でもない。実力が伴わない上その自覚もなく大口を叩いて見せた所だ。

 気に食わない。この男がジオンを名乗っていることにも、こんな男を飼っているデラーズにも腹が立つ。

――たまにはすっきりしませんと、よろしくありませんねぇ。 ストレスマネジメント的には。


 腹を括ったクェイカーは何食わぬ顔でローズウッドの提案を受け入れた。




――第九話へ続く

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