ガンダム外伝アーサー・ドーラン戦記 第十話「突堤に灯る火」 U.C.0083①

ジム・ピオニアに眠る一年戦争の宿痾。
月管区工廠の実戦テストは既に始まっていた。試されているのは機体か、パイロットか。

U.C.0083 6月
暗礁宙域 岩礁回廊 地球側 クェイカー・モウィン大尉専用機ゲルググ

 クェイカー・モウィン大尉が駆る “MS-14 ゲルググ” は高性能機だ。スラスターの最大推力、加速力ともに “MS-14B 高機動型ゲルググ” と呼称される仕様と遜色ない。
 今日まで戦えたのは、ジオン軍新鋭主力量産機であるところの恩恵が大きい。設計当初より拡張性を多分に考慮されている為、カスタマイズが容易なのだ。連邦軍MSにも見られた革新的発想と言えるブロック構造の採用。ゲルググの真価は正にこの点にある。

 ブロック構造も拡張性の高さも、採用するだけの理由があった。煎じ詰めて言えばジオンの生産力の限界ゆえである。いくら工業力の高いジオン公国といえども、一年以上戦争を続ける体力はなかった。国家総動員令の下、重工業に偏った国策は辛うじて維持していたが、開戦から10ヶ月が経過する頃には力不足を隠せなくなっていた。
 つまり、“MS-14 ゲルググ”は設計段階から既存兵器との共存を念頭に置かれていたのだ。

 OSの標準アプリケーションからして、既存MSのあらゆるパーツと互換を取る様に予め想定されていた節があり、部品精度の誤差を整える微妙なリミッター制御から、水陸両用MSのパーツ流用といった移植手術まで可能である。左右非対称な機体に付き物の余剰慣性モーメントを、可能な限り平均化するスラスター制御やモーションパターンの構築すら容易にした。

 ニューアントワープ地下秘密工場を本格稼働させるにあたってはMSのアセンブリ(組み立て工程)作業を優先させたため、ザクⅡのラインを構築するのが精一杯だった。当のゲルググも大部分はザクⅡとパーツを共有している。これ自体は「統合整備計画」によってジオン公国軍MS規格が統一されたため不可能ではなく、後にアナハイム・エレクトロニクス社へ“転職”した技術者達に無理な注文をつけずに済んでいた。

 しかし出来るかどうかと、扱えるかは全く別の問題である。あらゆるMSのパーツを継ぎはぎした機体を作れたとして、操縦特性が様変わりすればパイロットの負担は増す。ゲルググのフレーム強度に依拠したまま試作MSの腕部や脚部を接続しつつ、時にはサブジェネレーターをあちこちに移設・増設してまで高出力化を図る設計無視さえいとわなかった。

 グラナダ基地でルーゲンス司令が死去した直後から、手当たり次第にMSコンテナを徴収して回ったので、未完成品からテスト不十分な試作機まで「パーツだけ」はたんまり手に入れていた。だが機体のキャパシティは設計段階で決まってしまう。そもそも前大戦時のMSに多様な要求をすることが間違いであり、それらは汎用MSの操縦特性を殺して受け入れる他なかったのだ。
 アナハイム・エレクトロニクス社に実力を認めさせるため意図的に戦闘を繰り返し、損傷したパーツを継ぎはぎしていく度に乗りこなせる者は減っていった。

 クェイカー大尉が駆るゲルググは、左右非対称なシルエットと右側に偏ったスラスター配置のせいで癖が強い。ただでさえ年少兵を主力とする実験部隊の指揮官機である。一騎当千を体現せねば計画の遂行など不可能だ。
 少年少女の尻拭いは自らの責務である。混乱した戦場を支配する力のみを求めた。クェイカー大尉はパーソナルカスタマイズの弊害を呑み込んで、最後の一人になるまで戦う覚悟を決めていた。


 その覚悟が今試されている。並のパイロットに扱えない増速バックパックを背負ったゲルググは、暗礁宙域を抜け地球へ降り立つ切り札であった。
 “MS-06R-2 高機動型ザクⅡ 後期型” そう呼ばれるモデルが存在した。   「エースパイロット専用の高性能機」としてプロパガンダに利用され、公国民の耳目を集めた機体である。それゆえ知名度が高いが内実それほど単純なものではない。エースパイロット用という触れ込みからして誤解をはらんでいる。高性能機として開発がスタートした事実に間違いはない。開発目的が異なっていたのだ。

 次期主力量産機開発計画に提出されたモデルが先にあり、コストや整備性の悪さを理由に差し戻された機体を実戦投入するため再調整を施したところ、エースパイロットしかまともに扱えない機体となってしまった。それが真実である。そのため量産されずに極少数が配備されるに留まった。

 規格化されていると言えど実際はオーダーメイド品のような代物だ。前期型にあたる “MS-06R-1” 並びに “MS-06R-1A” 以上にパーソナルカスタマイズの色を深めている。言い換えればその正体は、ザクの皮を被った別物、次期主力量産機のプロトタイプに近い機体と言える。事実メインフレームから既にザクⅡと互換性がない。
 後にゲルググと呼ばれる次期主力量産機にザクの装甲を被せた、というのが近い表現といえよう。

 機体数が極僅かかつ限られた部隊にのみ配備された結果、現物がないのは当然のこと。しかしR-2型はゴーストファイターでも幻の機体だったわけでもない。ロールアウトした機体が一桁という情報に誤りがないとしても、予備部品まで幻なはずがあろうか。グラナダには存在したのだ。統合整備計画機への接続調整が後回しにされた、手付かずのR-2型バックパックが。


 クェイカー・モウィン大尉はニュータイプ試験部隊を任されていた。「失敗作」の寄せ集めでもニュータイプはニュータイプである。キシリア・ザビ少将より賜った大事な戦力だ。
 ジオン公国軍は軍として統制に欠けるところがあり、特別扱いはザビ家に近いほど色濃くなった。キシリア閣下の名前を出せば道理を曲げてしまえるのだから、指揮命令系統を逸脱する部隊は両手の指で足りるはずもない。

 他のジオン軍人から見れば迷惑極まりないことに、クェイカー大尉は進んで道理を曲げにいく一人だった。そんな彼が新型機を受領するのは当たり前である。しかし受領できたのはゲルググ一個小隊分の整備部品までで、拡張性の高さがウリな本機の肝、バックパックが手に入らなかったのだ。

 いつもならば他所の部隊からかっぱらえばよいだけのこと。クェイカー大尉に不都合だったのは、グラナダはキシリア・ザビ少将のお膝元であり、似たような部隊はどこにでも現れるもので、キマイラだかグラナダ特戦隊だか言う新設部隊に回されるせいで手が出せなかった。

 キシリア閣下の威光を笠に着る者が、キシリア閣下の面子を潰せるはずがない。河豚(ふぐ)は食いたし命は惜しし、である。
 そこで白羽の矢が立ったのが高機動型ザクⅡ用増速装備、R-2型バックパックだ。倉庫で眠らせておくには惜しく、無能に渡り大破するくらいなら、と次善策で手を打った次第である。

 ゲルググへの接続調整は敗戦後になったため手を焼いた。クェイカー大尉ならば真価を引き出せる虎の子の装備を、調整不足でお釈迦にしたとあっては目も当てられない。新規製造が不可能な現状、大切に使わなければならないのだ。いくらアナハイム社と言えど連邦の監査をかいくぐってMS用ジェネレーターやら高機動型バックパックやらキャノンパックやらを横流しはできない。消耗品を提供するだけで命がけの企業努力なのである。

 それゆえ使いどころの難しい、文字通り切り札だったのだが、最後まで使わずに済むと思われた切り札もとうとう出番が来てしまった。
 改良型ジムを擁する特務隊と思しき巡洋艦、双方裏切るつもりの元お仲間、この先に待つであろう「本命」の裏切り。これらを無傷で搔い潜り地球へ降り立つためには、あの無茶苦茶な推力に頼らざるを得ない。驚異的な加速力の代償に継戦時間とパイロットの命を削り取る諸刃の剣。

 常人向けのリミッターなど初めから切っている。殺人的な加減速をものともしない身体を持つクェイカー大尉に相応しい装備であった。


回廊内

 マモル曹長は回廊内で二機のザクⅡF2型に挟まれていた。ジム・ピオニアをジグザグに飛ばして敵に的を絞らせない。これでは合間に牽制射を挟む程度で有効打は望めない。一対二の数的不利、中途半端な距離で撃ちあいに終始しては敵の思う壺だ。残弾が無くなったところで集中砲火にあうだろう。

 攻めに転じるほかない。どちらか一方、できれば足の鈍い奴に肉薄して接近戦に持ち込む。しかしその隙が無い。月面、アクトザクと戦闘の際、オイカワ少尉はどうやって前に出たのだったか……

――あの時、カバーに出た僚機へ敵が突っ込んだのを見て、オイカワ少尉は決断した。
――不意打ち……では二機が距離を詰めない。どちらかがカバーに入らざるを得ない精確な攻撃だ。
――足を止めずに精確に……無茶だな。やっぱり時間を稼ぐべきか。
――隊長なら考えなしに前進してしまえるんだろうな。あの人、仲間の危機には考えなしで突っ込むんだ。
――ア・バオア・クーがそうだった……僕に食らいついたザクをはがすのに……って耽ってる場合じゃないぞ。
――なにか手はないか。 敵がこちらへ向かわざるを得ない、そんな一手が……


 ジム・ピオニアはパイロットの脳派に顕著な変化を認めていた。パイロットは緊張や焦燥に苛まれつつ、別の精神状態へと移行している。悔恨、堅忍、懐旧、敬意、どれもピオニアの知らない感情だったがいずれにも光明を見出そうとする力があった。パイロットはほんの一分前よりも複雑で、冷静な状態に置かれていた。

 ピオニアのアーカイブが示している。勝者の、生還者の精神状態に近いと。撃墜されたMSからサルベージした記録と、生還したパイロットのそれとを比べたとき、前述の精神状態が時に生死を分かつ要因となった可能性を否定できない旨をピオニア開発陣は言及していた。
 ピオニアに与えられた目的、パイロットの精神状態の収集と分析。MSパイロットの感情変化が戦場にもたらす効能について、詳細な分析を試みるために。

 月管区工廠が目指す完全無人MSの行動パターン、戦闘シナリオ、運用ドクトリン構築を目指す“疑似人格研究”。その第一歩として提出された戦闘補助OS「CHLOROS(クロロス)」開発計画。
 ピオニアがまだHADES(ハデス)と呼ばれていたころの記憶。外の世界から打ち寄せる激しい敵意をピオニアは覚えている。自身が生み出された理由であり、今なお息づく “彼女たち” の残滓。
 根源の破壊。HADESは荒れ狂う波を乗りこなし、根源へたどり着くことを求められた。

 だが今は違う。内と外を分かち、内なる声、パイロットシートに座る搭乗者の精神を頼りに根源へ至る。押し寄せる敵意を手繰り「外」たる戦況を把握し、同時に「内」なるパイロットの状態を理解する。内なる世界の根源を守る手段の構築。
 ピオニアは自身の使命を果たさんと、外の世界から打ち寄せる波を隔て、搭乗者の命を繋ぎとめる手がかりを必死に集めていた。


岩礁回廊 月側

 続けざまに放たれたビームの輝きが回廊を照らしている。アーサーはマモルのいる回廊内へ躊躇なく飛び込んだ。モニター表示が、スラスター燃焼光から敵は先刻待ち伏せていたザクⅡF2型であると告げている。
 一対二、先刻の増援を出し切っていない。伏兵がいると見るべきだろう。

 一刻も早くマモルから敵を引き離す。アーサーは90㎜マシンガンに装填された曳光弾をザクの軌道の先に連射する。でたらめでいい、敵の気を引ければ後はどうにでもなる。伏兵が狙っているにしても障害物のない回廊内だ、足を止めなければそうそう当たるものではない。

 それに、こんなシチュエーションは幾度も経験している。ケセンマは残党討伐が主任務だったのだ。瞬間的に数の優位を崩されようと常に勝ち続けてきた。マモルとマリアンナ、二人がいれば負けない。必ず二人を連れ帰る。
 一年戦争最後の戦場、宇宙要塞ア・バオア・クー攻略戦からずっと、二人を連れて母艦へ帰ることが隊長たる自身の責任だった。

 アーサーは自らに課した責務を重荷に感じていたが、決して隊長の座から下りなかった。はっきりした理由があるわけではない。言葉にしがたい覚悟、戒め、ひょっとしたら生きがいなのかもしれない。考えたことはなかったが戦闘が始まるといつだって、ルナツー要塞で隊を組んでからの日々が頭を過るのだった。

 アーサー小隊は前期生産型ジムを駆りジオン残党と戦い続けてきた。今操るのは高機動性を獲得したジム・ピオニアだ。ジム改を追い越し、一足飛びにバージョンアップを果たした機体は明らかに加速性が増している。ジムカスタム由来のバックパックが生む高い推進力とフレーム剛性向上による恩恵を感じながら、アーサーはマモル機の目視距離まで駆け付けた。


 “RGM-79Pa ジム・ピオニア” は月管区工廠が建造したパッチワークモデル。既存MSや試作機の部品を組み替えて様々な実証実験を行う、シミュレーションMSを指す俗語である。都合がよかったので誰言うともなく定着した。

 パッチワークの名の通り、機体全身が既存MSの組み替えで出来ている。ジム改からの大きな変更点がジェネレーターだ。“RGM-79GS ジム・コマンド” から移植された出力1,400kwに迫る高出力ジェネレーターはビーム兵器の安定稼働を実現している。
 前大戦中の標準武装ビームスプレーガンを使用する限り、普及している1,200kw級ジェネレーターは概ね問題ない。戦中乱立したスプレーガンの改良型や「V作戦」規格のビームライフル運用の際、出力不足に起因する動作不良が頻発した事実からジェネレーターの高出力化を求める声が上がった。

 未だ量産目途の立たない新型ジェネレーターまでの繋ぎに、既存MSからジム改に搭載可能な範囲で出力を上げざるを得ないのである。ジム・コマンドを用いずわざわざジム改のパッチワークモデルを作るのは、連邦軍主力量産機開発計画「ジムⅡ計画」が配備済みの機体をアップグレードする方針に舵を切ったためだ。配備数の多い機種がテストベッドになるのは道理である。

 というのがアーサー達テストパイロットへの表向きの説明であった。ジム・ピオニア製造の真の目的、汎用型戦闘補助オペレーティングシステム「CHLOROS(クロロス)」開発計画という極秘計画が、複数のテストチームにより進められている。

 ケセンマMS隊の実戦投入テストは戦闘補助OS「HADES(Hyper Animosity Detect Estimate System 敵意を高精度検出し対象を推定するシステム)」をより安全に運用するための研究。脳波検出対象の絞り込みによる暴走の回避を目的としたものだ。
 戦場でのデータリンクは可能だがそれだけでは個別データ回収が不完全なため、生存性と性能向上が図られている。ジム・ピオニアに限って言えばMSの性能向上は主目的ではない。データ収集と回収率向上を企図した高性能化なのである。


回廊内

 マモル曹長は足を止める覚悟を決めた。どうやら隊長やオイカワ少尉のようにはできそうにない。近づきたくてももう一機の射線が邪魔をする。射線を切れない以上被弾覚悟で飛び込んだ。しかし絶妙なタイミングで潜られ、追い抜かれ、推進剤を無駄に消費させられてしまう。それも狙いなのだろう。自分には荷が重い敵だった。

 だが希望はある。どうせ撃たれるならばその前に一撃当ててみせる。最悪一対一の損失だ。動きが良くても所詮はザク。ピオニアの学習型コンピュータは驚異的な学習速度で敵機の挙動をトレースしている。足を止めて狙えば次の一射で射抜けるだろう。敵の火砲より早く撃てればの話だが……。

 ビームライフルを連射モードから単発モードへ。集束率が向上するため威力は申し分ない。これが最後、そう思ったら肩の力が抜けていく。単純な己を自嘲して息が漏れたその時、ザクの動きに迷いが見えた。
 機体の不調か、ひょっとしたらマモル曹長の気のせいかもしれない。後方月側へ意識を向けているように見える。

 マモル曹長が異変に気付いてから行動まで、時間にして一秒足らず。彼の指はトリガーを引いていた。照準環は重なり切っていない。
 ザクは何かを仕掛けて途中で気を散らせたのか、すぐに次の挙動へ移らない。そのため事前予測が終わっていたピオニアは、最新の予測からログを遡り射撃姿勢に再調整を施す余裕を得ていた。

 マモル曹長の決断がトリガーを引いた事実は揺るがない。瞬間の決断を促した精神状態に特異な波はみられない。すこぶる正常に決断している。それも反射的に。ジム・ピオニアは待っていましたとばかりにライフルからメガ粒子を解放した。
 ザクのメインスラスターが力強い燃焼光を発する正にその時、メガ粒子の束がスラスター上部、バックパック中央を貫いた。ビームは背中から入り胸部中央へ抜けていく。エンジンを正確に撃ち抜かれたザクがひと際輝く光の玉となって爆ぜた。


 ザクのパイロットに動きを止めるつもりはなかった。しかし彼は動けなかった。知らなかっただけなのだ。MSパイロットが陥りやすい、生理反応とその対処法を。


 加減速を繰り返す戦闘機動中、MSパイロットはしばしば呼吸を止めてしまう。三次元的な空間機動に慣れた生粋のスペースノイドも、心肺機能は地球を歩く人間のそれと大差ない。無呼吸に耐え続けることは不可能であり、深く息を吸い込んだが最後、そのまま酸素負債を解消するべく過呼吸に陥る。

 MSパイロットの生理反応には幾つかの特徴があり、酸素負債を解消しようとするタイミングには類似性が認められた。
 既存の生理学分野において連邦とジオンに大差はない。MS戦技構築の初期段階から呼吸についての問題は指摘されていた。生理反応の類似性、それは集中の寸断である。
 集中の寸断とは、平たく言えば自家用ビークルの前方不注意事故の逆である。前方に集中しすぎるあまり周囲への対応が遅れるといったものだ。

 集中が高まり過ぎた結果脳への血流が増えるのだが、これは人体構造上避け難い。高機動戦闘の最中脳への酸素供給が滞れば視界がぼやけたり最悪失神する。旧世紀からよく知られたG-LOCK等の現象がそれだ。開けた宇宙空間で機体を振り回し続けるドッグファイトは、交戦距離が縮まるに従い高機動戦の強度を増す。その間思考を走らせていれば脳へ負荷がかかるのは必然だ。脳内の局所的な血流増加を招いてしまう。
 死と隣り合わせの兵士に向かってできる話ではないのだが、そもそも高機動戦闘とは生命を軽視した戦術と言えた。

 集中の寸断と関係しているのは、実は人体の弱点の話ではない。この弱点を人類が克服しつつある事実にあった。パイロットスーツの加圧性能が旧世紀とは桁違いなのだ。

 パイロットスーツの加圧機能の働きで、血流を保ったまま戦闘機動の高G負荷に襲われたパイロットは、スーツの保護下であっても失神する危険があった。
 だが前兆現象としての過呼吸やブラックアウト等は失神より早く現れる。集中の寸断によって脳内の血流量が急速に変化すると、これら前兆現象の発生頻度が有意に上昇することが知られている。前大戦中からの度重なる検証実験により脳の血流変化との因果関係が明らかにされた。
 前兆現象はスーツの保護機能により失神よりも早く訪れる。つまり失神を遅らせる代わりに、前兆現象を呼び込みやすくしてしまったと考えられていた。


 以上を簡潔に表現すれば、集中しすぎた状態でパイロットスーツの加圧機能を越えた高機動戦を行えば、過呼吸やブラックアウト等のリスクを高めてしまう訳である。
 生身でMS戦に挑むような酔狂な真似は、伊達者や大馬鹿でも不可能な話だった。

 ミノフスキー粒子が存在する戦場は、旧世紀から発展してきたあらゆる統合戦術を無力化した。レーダー等の信頼性低下による有視界戦闘の復活によって、MSパイロットは360度全方位を警戒せねばならず、複数の敵味方が入り乱れる戦場にあっては「集中しすぎ」を防ぐよう訓練されてきた。
 ジオン公国軍がMSを投入した開戦初期から唱えられていた心得であるが、体系的に教育プログラムへ組み込んだのは連邦軍の方が早かった。自軍が有利な場面でさえ適度に気を散らしておかねばならない。
 一年戦争を生き延びたMSパイロットであれば教わらなくても自然とできるようになっている。U.C.0083の今日、ベテランパイロット呼ばわりされる者であれば身に着けているはずの技術であった。


 ザクのパイロットの不幸は二つ。一つは前大戦での出撃が戦争の勝敗を決したア・バオア・クー防衛戦のみであり、要塞から出撃した時は既に混戦でまともな戦闘を経験できなかった点にある。彼らはシミュレーターと実機の差について加減速による身体負荷、特に脳への血流阻害程度の知識しか持っていなかったのだろう。

 もう一つはパイロットスーツの性能頼みで無酸素限界をやり過ごせてしまえた事実。ムサイ級巡洋艦ジャスルイズ所属の元学徒兵達は、戦後三年間小隊規模の戦闘すら経験していない。
 追い込まれていたのはジオン残党という境遇、デラーズフリートという組織であり彼ら個人が肉体的に追い込まれる機会は訪れなかった。


 それゆえ回廊月側、ザクパイロットから見て後方より飛び込んできた一機の連邦軍MSに気を取られたとき、酸素負債を解消しようとする呼吸が始まってしまったのだ。彼が人生の最後に吸った空気は、爆炎に包まれるコクピットキャビンを満たした、肺を焼く高熱の空気だったはずだ。

 光球と爆ぜた元学徒兵のことなど知らないマモル曹長は、撃墜した敵機の成れの果てに目を奪われていた。
「……今なら!」
 マモル曹長の内から希望が沸き上がる。ピオニアは先刻よりも強い波動を観測した。自らの手で窮地を脱したパイロットは自信と誇りを手に入れている。

 パーソナリティの変化は長期的な現象だが、こと戦闘中となると少しばかり話が違ってくる。特に一年戦争からは撃墜が更なる撃墜を呼ぶ好循環が起こりやすい。戦場のオカルト、と切って捨てるには無視できない数の連続撃墜が記録されていた。
 マモル曹長は集中の極み、いわゆる「ゾーン」に入りかけている。CHLOROSは戦闘補助OSである。ゾーンの意図的誘起の可能性を探るのも研究目的に合致している。

 貴重なサンプルデータの採取を受け、CHLOROSはデータ回収の優先度を上げた。休眠状態のCHLOROSからピオニアへ生還要求が発せられる。戦闘を避け帰艦を促すようパイロットを誘導するはずだった。しかし休眠状態のCHLOROSの要求はシステムにはね除けられる。
 CHLOROSはピオニアに内蔵されているが、CHLOROSはピオニアではない。学習型コンピュータに休眠状態で搭載されたCHLOROSにOSを乗っ取る力はない。

 ジム・ピオニアは推進剤残量が半分を切ったことをパイロットへ知らせる。パイロットは戦況把握に努めながら残弾、推進剤、エンジン出力、マシンストレスにまで気を配っている。視線、脳波、挙動すべてがそれを裏付けていた。

 パイロットの資質がピオニアの要求水準を満たそうとしている。ピオニアがパイロットを認めた時、CHLOROSからの要請が一つ果たされる。即ち、戦闘補助OSの部分的解放。全機能解放は高度管理者権限が必須だ。月へ戻らない限りCHLOROSの封印は解かれない。

 ピオニアはパイロットの見定めを終えようとしていた。オートマチックの操縦補助を越えた、“戦術提案”の実戦運用試験機。マモル・ナリダ曹長はジム・ピオニアの真実の一端を目にすることとなる。



第十話②へ続く

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