ガンダム外伝アーサー・ドーラン戦記 幕間「ライフセーバー」 U.C.0084

デラーズフリート蜂起翌年、アーサー・ドーラン少尉に起こったある日の出来事


U.C.0084 某日
サイド6エヌイチコロニー 公共放送局メディアセンター 一階ロビー

「平和の守り人達の実像に迫ったドキュメンタリーシリーズ『ピースメーカー』より第八話ライフセーバーをご覧いただきました」

「先日報道にございました通り、地球連邦軍全面協力の下、新作ドキュメンタリーシリーズ『ピースキーパーズ』の制作が発表されました。今では一年戦争と呼ばれるジオン侵略戦争。新たに読み解いた資料や当事者の証言に加え、この度機密指定が解除された新資料を踏まえて、あの大戦を振り返ります」

 派手なステージの上で、フォーマルスーツの男性と控えめなドレスに身を包んだ女性タレントがマイクを握っていた。

「さあ皆さん、お待たせいたしました。本日は、ライフセーバーことアーサー・ドーラン少尉にスタジオへお越しいただきました」

 司会者に呼ばれるまま、連邦宇宙軍の制服に身を包んだ男がスタジオセットに現れた。やや上半身を強調するピチッとした軍服は筋肉質な偉丈夫が着てこそ見栄えがいい。着こなしていると言い難かった。それでもスタイリストはいい仕事をした。座ってしまえばなかなかどっしりと見えるものだ。櫛で梳いた黒髪は大げさに後ろへ流されている。歳の割に肌艶がよい。メイクアップアーティストは一流を連れてきたに違いない。こんな具合でモニター越しならそれなりに見えないこともなかったが、スタジオに集まった報道・芸能・その道のプロの目は誤魔化せない。場にそぐわないほど緊張した面持ち、どこにでもいる中年男性にしか見えない。石を投げれば当たる、通りを見渡せば幾人もいるだろう凡庸な男。これが高視聴率を記録し、放映回数記録に並ぶフィルムの主人公、と言われて信じる者がいるだろうか。
 そこにカリスマはいなかった。どの町にもいそうな、どこか頼りない男だった。

「改めまして、ドキュメンタリーシリーズピースメーカー第八話『ライフセーバー』が伝えるア・バオア・クー攻略戦の勇者、アーサー・ドーラン少尉です」

 アシスタントの女性タレントが紹介すると、スタジオ観覧に集った観衆が拍手を鳴らす。興奮して立ち上がる者、わざとらしく涙を拭う者。用意された模範的な連邦市民たち。サイド6住民の他、コロニーを失った被災者の姿もある。中にはアーサー・ドーランに息子を救われたと泣く女性もいた。

「今日はもう一人スタジオにお呼びしております。『ライフセーバー』作中にてアーサー・ドーラン役を務めた俳優、ブーンシー・ロウ・フィフティーストムさんです。どうぞお入りください」

 再現VTRで演じたアーサー・ドーラン曹長役で人気に火が付き今や映画ドラマCMと引っ張りだこの若手俳優だ。本人とは年が離れている。ベビーフェイスが売りの優男俳優というのが世間の評判だが実際会ってみると随分印象が違うものだ。モニター越しには分からなかったが顔つきから苦労がしのばれる。売れない下積み生活、兵役につかなかった後ろめたさ、そうした影が深い皺を刻んでいた。
 そんな苦労人も三十路男の隣に立つとかなり幼く見えてしまう。どちらが本日の主役か分からないが、フィルムの宣伝、早い話が連邦軍のプロパガンダなのだから見栄えが良ければなんでもいいのだろう。

「お久しぶりです、ドーラン少尉」

 ブーンシー・ロウがアーサーの右手を掴むと会場から歓声が上がった。アーサーも熱に浮かされたようにぎこちないながら笑みをたたえて握り返した。

「ブーンシー・ロウさんは、アーサー・ドーラン曹長役が、失礼、当時は曹長でしたね?役がきっかけで広く世間に知られたと常々おっしゃっていますが、振り返ってブーンシー・ロウさんにとってこのドキュメンタリーシリーズはどういった作品でしたか?」

「ご説明の通り私の代表作であり、誇りです。戦争の真実を伝える、戦火に身を投じた一人ひとりの想いを後世に伝え、教訓としていく。それは生き残った者たちの責任だと考えています。私は俳優として責任を果たしていく。ですからライフセーバーは、アーサー・ドーラン役は一生の誇りなんです」

 俳優ブーンシー・ロウは目を輝かせた。言葉が弾んでいる。俳優なのだ、この程度の芝居はお手の物だろうに、心底誇らしそうに語って見せる。本心から誇りに思っているのかもしれなかった。

「新シリーズ『ピースキーパーズ』では演出家デビューもなさるそうですが、具体的なお話の前に『ピースキーパーズ』制作の意図を伺えますでしょうか」

 スーツを着こなす司会者がジェスチャーで観客席へ着席を促しながら、配給会社の告知を読み上げた。

「過日製作委員会より発表された声明です。『我々連邦市民が生きる今日現在、すなわち宇宙世紀0084年とは、地球圏の諸問題から目を逸らすことが許されない時代と言える。市民の日常を守る平和維持活動の重要性を今一度確かめるとともに、再びの警鐘を鳴らさざるを得ない時代の要請に応えるため、新たなるドキュメンタリーシリーズの制作に踏み切るものである』まずはこの声明の意味についてお聞かせいただけますでしょうか?」

 ステージの熱狂が静まっていく。本日の主題が始まった。俳優ブーンシー・ロウが観衆に向き直り言葉を続けた。

「声明にあるとおり、復興を妨げる諸問題から目を背けていられない現在は、苦難の時代と言わざるを得ません。難民問題、戦後復興にかかる諸問題、コロニー再生計画の遅れ。そしてそれら全ての根本原因、すなわちジオン公国軍残党のテロリズムです。嘆かわしいことですが、未だザビ家に人生を捻じ曲げられた哀れな人々が大勢います。これは人類全体の問題なのです」

 俳優の語る言葉は連邦軍広報課のそれと異口同音。頻発するテロリズムによって戦後復興が妨げられていた。しかしテロだけが問題ではない。連邦政府の復興政策が遅きに失していることもまた事実である。足並みを揃えた復興が叶わない理由はマンパワー不足に由来しているが、政策決定の遅さが拍車をかけていた。戦火で人類の半数が死亡、地球圏は就労人口の減少という大問題に苦しんでいる。大人の数が減っているのはどのコロニーも同じ。コロニー公社、宇宙引っ越し公社などの半官半民や公益に資するNGOでさえギリギリの人数で運営されていた。

 重工業、エレクトロニクス、輸送業は慢性的な人手不足に陥っている。そうして市民生活が皺寄せを受けるのだ。戦災復興の遅れは連日報道された。トップニュースといえば反連邦テロリズムや反連邦思想家逮捕など、感情の矛先とされる敵の存在あるいは留飲を下げる見世物、締めは通報窓口のお知らせと決まっていた。生活が苦しいのはジオン残党のせい、繰り返し刷り込まれている。表向き世論誘導は成功していた。ぎりぎりのところで。
 連邦政府・軍の醜聞は広く知れ渡り、アンダーグラウンドな出版物の中にはジオン残党の仕業に仕立てられた連邦軍の悪行を暴く映像だとか証拠など等、見過ごせない過激なものが出回っている。市民感情は爆発寸前なのだ。

 新たなドキュメンタリーシリーズ制作の意図は市民感情の慰撫とジオンシンパ崩しである。地球連邦の国内総生産が戦前の水準に戻るまで100年かかるという研究が発表されたときなど、連邦お抱えの経済学者が火消しに総動員されたほどだ。市民に下手なことをされては敵わない。好き勝手言わせていては連邦体制の維持さえ危うくなる。官僚たちが建国以来の大ピンチを乗り切るため額に汗して知恵を出し合っているものの、政治が力を発揮しない以上所詮現場レベルの焼け石に水。場当たり的な世論操作には限界があった。俳優の口を借りて広報課が語った苦難の時代とは、薄氷の上にある連邦政府をもさす言葉だった。会場にいる者たちの幾人かはそんな思いでステージを見つめている。

 新ドキュメンタリー制作お披露目会がサイド6で行われているのは、撮影拠点が地球とサイド6だからという単純な理由だけではない。サイド6に巣くう親ジオン派へ有形無形の力を振るうためである。文化的な示威行動。これが中々侮れない。

 サイド6の現政権は親連邦の面々が名を連ねている。大戦時中立を保ち終戦交渉の橋渡しをした政権メンバーは、もう半数も残っていない。戦前からジオンと結び独自の外交・経済ルートを確立したランク政権といえども、地球連邦の干渉を凌ぎきる術はもたず、今や政権中枢は首輪でつながれた犬ばかりだ。駐留軍の横暴を危惧し立ち入りを制限した政権へ、ならば自発的なジオン残党摘発は当然やるだろうなとの地球側の恫喝。今日まで屈しない姿勢は見上げたものだ。その代わりにこんな茶番を演じているのだが。

 俳優ブーンシー・ロウはサイド6出身だ。地元のスターへ注がれる市民の眼差しは熱がこもっている。しかしその熱とて単純な名俳優への喝采ではないのだった。旧ランク政権は連邦タカ派からの内政干渉を跳ね除け、解釈改憲とまで糾弾された特別立法で関税率維持、企業誘致施策、サイド6領土内貿易の黒字化維持などかなりの無茶を押し切った。その功績は計り知れない。市民はブーンシー・ロウに旧政権のしたたかさを重ねていた。集められた模範的連邦市民も薄々気付いている。連邦内で浮いた自分たちに待ち受ける未来が明るくないことを。新政権樹立以降、サイド内貿易に上限規制が設けられ「外国」への出荷額が上がっている。貿易黒字が上向いてみせたが一過性だ。じきに経済は苦しくなる。貧乏戦勝国と金持ち敗戦国、流行り文句がサイド6にも木霊している。「お前はどっちだ?」と問われていた。

「それでは新シリーズ『ピースキーパーズ』のお話も伺いたいと思います。終戦後も止むことない戦火、ここにスポットを当てると伺いましたが具体的にはどういった場面が描かれるのでしょうか」

「今みなさんの前にいらっしゃるアーサー・ドーラン少尉は、ジオン残党の討伐任務に従事していらっしゃいます。新シリーズではジオン残党という“今日現在”の問題に対して、デマや憶測を排した正しい情報に基づき、既存の報道番組より一歩踏み込んだフィルムとなることをお約束いたします。
「アーサー・ドーラン少尉の率いた戦闘小隊が昨年ジオン残党のテロ行為を未然に防いだ事実は記憶に新しいことと思いますが、こうした直近の戦闘に関しても事実をお伝えし、我々市民の、一人ひとりの問題であることを改めてお伝えするものになるでしょう」

 ブーンシー・ロウがアーサーの隣に並び立ち、カメラの画角に二人が収まるよう自然に演出して見せた。既に演出家の才能を発揮しつつある。

「昨年といえば、アーサー少尉のおられる月軌道艦隊がテロを防いでくださいましたが、その後も捏造された映像が世に出回りましたね。実在しない兵器を騙った事件が、」

 司会者の質問を遮ってブーンシー・ロウが語る。彼の言葉は連邦軍広報課の意図を汲んだプロパガンダ放送と酷似していた。

「それについてはフィルムで語ることになっています。過日デラーズフリートを名乗った公国軍残党は存在自体が捏造された組織である点、衆知の事実です。映像の製作者、流布した組織も既に逮捕されております。テロ組織に唆された映像クリエイターの手による創作でした。
「詳細は今夜の報道特集『ザ・テロリズム/虚飾の犯行計画』に委ねますが、卑劣なテロリストは依然として潜伏しております。報道特集『ザ・テロリズム』には私も出演しており、新シリーズ制作の過程で得られた情報の一部や関係者の証言を先んじてお伝えしております。どうぞあなたの目でお確かめください」

 放送自粛用語を用いず政府見解から逸脱しない特殊な話し方は、訓練を受けた者の特徴だ。彼に限らず今の時代、タレントはみなこの特殊な話し方を心得ている。大手芸能事務所には口語訓練と称するカリキュラムが必ず設置されていた。

「『ピースキーパーズ』では昨年の元サイド5ルウム宙域に潜むテロリストを捕えた地球軌道艦隊・月軌道艦隊の合同作戦を扱います。「突撃格闘戦の名手」アーサー・ドーランの活躍が、過剰演出ではなかったことが分かりますよ。ね?少尉」

 観客から笑い声が漏れた。突然話を振られたアーサーが困惑してきょどきょどする様子がスクリーンにばっちり映っていた。現役モビルスーツパイロットと人気俳優のツーショットは、しばらく世間を賑わせた。


同日夕刻 サイド6エヌイチコロニー ホテルウズマサ

「本当は知っていますよ。デラーズフリートのこと」

 俳優ブーンシー・ロウがアーサー・ドーランを訪ねていた。彼はサイド6に住むドーラン一家の現状を知らせてくれたのだ。アーサーは家族に会うことが許されていない。サイド6へは広報課の仕事で来ており隊から一時離れている。軍の監視がつきっきりで自由時間などなかった。アーサーはじめ巡洋艦ケセンマ乗組員には暗唱宙域戦闘の緘口令が敷かれている。その後のデラーズフリート蜂起に関しても。

「監視・盗聴機器は迂回して用意した映像と音声を流しています。ご安心ください」

「手慣れていらっしゃるようで。なぜこんな真似を?」

 アーサーは当然の疑問を口にした。家族のことなどわざわざ知らせてくれなくても問題ない。恩を売るつもりならお門違い、いったい何が狙いだろう。この俳優、いやいまとなってはそれも怪しいが、男の腹の内が分からない。

「サイド6ってのはこういう所なんです。特に新政権発足からこっちは。
「ご家族は高官の近所にお住まいなんですね。今はまだ安全ですが、遠くないうちに月へ移られた方がよろしいでしょうね」

「理由は?」

「ティターンズです。サイド6にも治安維持名目でやってきました。ティターンズが常駐していないのはまだ規模が小さいからでしょう。新政権の弱腰姿勢が問題視されていますが、たとえ旧政権でも結果が違ったとは思えません」

 ブーンシー・ロウの怯え方は少し肝が小さく見える。昼間の彼と打って変って、捕まることを恐れている。アーサーはこんな表情に見覚えがあった。月面都市グラナダの地下、スラム街の居住者たち。

「私は軍人ですよ?あなたが怯えるティターンズ側の……連邦軍なんです。その、なんでまた私に向かってティターンズの批判など」

「あなたがルナリアンだからですよ、アーサー・ドーラン。お父上から伺いました。ドーラン家は月開拓民の子孫だと」

 易々とプライベートに踏み込んでくれたものだ。父の迂闊さに嘆息した。だが月開拓民への差別感情なんてとっくの昔に薄れている。そんなものを穿り返してなんになるというのだ。

「私がルナリアンで開拓民の子孫だと、ティターンズがどうするというのですか。あれは治安維持の名目で立ち上げた新設の特殊部隊でしかない。
「……色々ご存知のようですから言ってしまいますが、ティターンズは軍縮に進む議会を牽制して予算を獲得するための口実みたいな組織です。やってることは新兵器開発のためのデータ取りと、戦後世界に対応した軍内出世コース新設です。治安維持ったって、もともと公安がもっていたカードを切っているだけで大したことはしちゃいません」

「今のところはね。これ以上は申し上げられませんが、私がプロパガンダフィルム制作に名乗りを上げたのはキャリアだけが目的じゃないのですよ。
「月はいい。ここより安全です。あそこはアナハイム・エレクトロニクス社のお膝元ですから」

「彼らは今や籠の鳥ですよ。デラーズ蜂起に関与した疑いで兵器産業から締め出しを喰らいましたから」

 ブーンシー・ロウは疑問を呈しながらアーサーの立場がいかに貴重なものかに話をずらした。

「観艦式襲撃以後の月軌道艦隊の皆さんのご心労はお察しいたします。ですが、決して離れてはいけません。辛抱してください。特に月管区開発工廠との縁は切ってはいけません。彼らは参謀本部の犬ではあってもティターンズではない。そのことを忘れないで」

 アーサーが言葉の意味を訪ねるも、俳優の面構えに戻った男は答えることなく部屋を後にした。アルコールで赤ら顔のツーショット写真一枚をアリバイに持ち、男は夜の闇に消えた。




第二部 アドバンス・オブ・ゼータ編へ続く

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