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アメリカ旅6

キコツモヴィ村のはずれにある日本人夫婦の家に着いた。

家は手作り感溢れるこじんまりした木造の家で、家と車庫と広めの庭の周りに2mぐらいの柵がぐるっと囲ってる。

その中に大型犬が10匹いて、3匹半狂乱、4匹ガチギレ、2匹警戒吠え、1匹空気読んで吠えるみたいな感じでいきなり本気で吠えられまくってプチパニックになった。

吠える犬飼ってる家にお邪魔するのただでさえめちゃくちゃ嫌いやのに、こんな中に入っていくのすごい嫌やなーって思って夫婦のほうを見たら、いけそうなら積極的に噛もうとしてくるのが3匹いるけど、僕のそばを離れなかったら多分大丈夫だから離れないでねって言われた。

お世話になるのにあれやけど、正直吐きそうなぐらい嫌やった。

このまま帰りますってわけにもいかんから本気で吠えられながら敷地に入って、噛まれそうになりながらもなんとか家の中に辿り着く。

家の中は、リビングとキッチンは土間で、寝室と物置がある場所は和室になってた。

お茶を出してくれて一服した後、自己紹介をした。

旦那さんはてっちゃん73歳、奥さんはゆきさんでてっちゃんよりだいぶ若い。2人は18年前からホピに住み始めたらしい。

18年?なんでホピに?ってすぐ聞いたけど、まあまあ、ゆっくり話しをしていこうよって言われた。

12こあるホピの村の中でも外人はてっちゃん夫婦とアメリカ人2人と韓国人1人しかおらんらしくて、ホピ以外の外部の人間を警戒するホピの中に外人が住めるってゆうのはすごく特別なことなんだよって説明を受けた。

何にも知らん俺でもそれが特別なことは肌で感じるけど、同時に住んでるのがこの白人文化受け入れのキコツモヴィのはずれで、凶暴な犬をいっぱい飼ってるってゆうのが頭のどっかにひっかかった。

てっちゃん達はアジア人の旅行者を見たのは5年前ぐらいに1人見たっきりらしくて、君を見つけたとき本当に驚いたよ。どうゆう経緯でここにたどり着いたの?って聞かれて、今までのことを話した。

農業の仕事でアメリカに来て、すぐ仕事が終わって、ホピが気になって、ヒッチハイクでたどり着いて、ホピおっちゃんのとこでお世話になって、韓国人夫婦の家を訪ねることになって、崖をおりてキコツモヴィに来た。

そこまで話したとき、てっちゃん夫婦の顔色がかわった。

てっちゃんは驚いて顔を青くしながら聞いてきた。

「オライビからあの崖を降りて来たの?」

「はい。道を間違えるなってゆわれて、不安そうな感じで送り出されました。」そう答えたら、

「はぁー。生きてニューオライビにたどり着けてよかったよ。あの崖はね、それ自体が聖地なんだよ。崖だけじゃなくオライビ自体もそうなんだけど、あそこにはシュラインが無数にあるんだ。」

「シュライン?」

「シュラインってゆうのは、日本でゆう伊勢神宮とか出雲大社みたいな神様的なスピリットが住んでいるもので、何千年も前からそこにそのままあって、カチナ(精霊)が降りてくる場所だからとても神聖なものとされてるんだ。
見た目はこぶし大ぐらいの大きさの石10こぐらいで囲った中に、いろんなおまじないの後があるだけなんだけど、1つ1つが日本でゆう伊勢神宮ぐらいの重要性があるんだよ。立派な建物に高いスピリットが降りるとは限らないから、知らずに崩したり蹴ったりすると、それだけで敵とみなされて殺されてしまうんだよ。」

あーあれか。俺はオライビで何回か見かけた、何個かの石でサークルを作ってるおまじないみたいなものを思い出した。

「僕たちも18年住んでるけどあの崖どころかアウトバックの中に入ったことは一度もないし、オライビにも滅多に行けないんだ。」
って教えてくれた。

……ほ、ほう。

おれはホピ族の人って平和の部族って聞いてたからもっと寛大で優しいもんやと思ってたけど、そもそも現代人の俺とは価値観とか常識が根本から違うっぽいって思った。

てっちゃんは驚くおれにホピの歴史と今の状態のことをいろいろ教えてくれた。

ホピは大昔から、厳格なルールの中で生活をしてて、外部の人からしたら、やったらだめなことと、やらないといけないことしかない。

てっちゃんの説明は続いた。

ホピの伝説の大昔にわかれた兄弟が帰ってくるときまで、文化と生活を変えずに命を繋いでいくことをカチナと約束して、それを守るかわりにホピ族はこの土地に住むことを許された。

それでずっと文化と生活を変えずに来てたけど100年ぐらい前からアメリカ政府の本格的な介入がはじまって、食料と酒とお金と銃と車とかをホピに流していって便利を教えて、精神性を下げて、アメリカ政府無しでは虚しくなるように仕向けて支配しようとしてきた。

そんな誘惑に流されて村が別れて、別れた村でもまた分裂が起こって今では12個のそれぞれトップがおる村レベルのクニが出来たらしい。

村によって度合いは全然違うみたいやけど、
そんなこんなで精神性が下がったホピが増えて、酒と銃のせいで殺しが日常化してきたらしい。

ホピの内情を聞いてたらすっかり遅くなってきて、奥さんのゆきこさんが日本食を振る舞ってくれることになった。

用意してくれてる間にお礼に薪割りをしてから、久しぶりの日本食をご馳走になって夜はてっちゃんの話しを聞かせてくれた。

てっちゃんは60年代からヒッピーをやってて、70年代にアメリカに来てGratefulDeadってバンドの追っかけ通称デッドヘッズになって、90年代後半からホピに住み着いたらしい。

デッドの思い出話しと、若いときのヒッピー仲間との話し、世代なんか好きなポエムをお勧めされたり、ホピの話しで夜遅くなるまで語り合った。

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