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バーに求めるもの

「もしかしてあなたがFumiki?」
 
西洋系の顔立ちの外国人カップルが扉を開けて入ってきたのはやや早めの時間だった。一瞬たじろいだものの「ああ、あの人たちだ」とすぐに見当がつき、店主の顔に戻って一杯目の注文をうかがった。

「Sakeにしてみようかな」
 
二人で顔を見合わせながら決める仲睦まじい様子を微笑ましく思いながら和歌山県の銘酒・黒牛(くろうし)を注ぐ。

「そうそう。最初の一杯目はネイサンが奢ってくれるって言ってました。あらゆる手を尽くして支払ってくれるって言ってたからご心配なく(笑)」

有難く酒を受け取って美味しそうに飲み始めたこのお二人、7年前にオーストラリアのメルボルンから来てくれたネイサンという若手ウェブデザイナーの紹介で来てくれたのだった。”ネイサン”と言っても精悍な男性で、仲間とともに決行した初めての日本旅行中にうちの店を見つけてくれ、ホテルが近かったこともあって東京にいる間7回ぐらい来てくれたのを覚えている。今年の初めにはガールフレンドを連れてきてくれたりして、距離も歳も大きく離れているのに親友のような心持ちで交わらせてもらっている男だ。
 
クレアと名乗った女性の方がネイサンの会社の同僚で、「今ちょうど日本に友達がいるんだ。絶対行った方がいいバーがあるって伝えておいたから今夜来ると思う。よろしく頼むよ」とのメッセージをネイサンから受け取っていたのだ。クレアの隣に座ったのはジャレッド。シドニーで建築家として活躍していると言う。
 
「ビール工場をホテルに造り変える仕事も請け負ったことがあるのよ」
 
と、クレアが誇らしげに語ってくれた。ジャレッドとクレアはどうやら夫婦で、なんと4カ月に及ぶ新婚旅行として世界を廻ってきたのだとか。中南米、ヨーロッパなどをめぐり、最終目的地たる日本に乗り込んできたというわけだ。それにしてもオーストラリアでは4カ月の休暇を夫婦で取れてしまうのか・・・。
 
「来週の火曜日からまた仕事なんだ。さすがにこれだけ休むと怖いよね!」
 
と言いながらも、旅を満喫している様子が感じられて羨ましく思った。長く休んでも、肌に合う元の環境で仕事が続けられる。そんな選択が可能な社会を我が国でも作れないものかと思ったが、なかなか厳しいだろうなと思い至って急にブルーになった。
 
夫妻は大変に愛想がよく、たまたま隣に座ったイギリス人のレジ―とも仲良くしゃべって盛り上がり、ビールやウィスキーを幾度もおかわりしてくれて

「本当にここに来られてよかったよ」

と言いながら満足そうに帰っていった。
 
素晴らしいめぐりあいだなぁと思って出会いの余韻に浸り、今日はもうこれで終わりであろうなどと勝手に判断していたところへ、今度はスウェーデン人がひとりでいらした。西洋の方がよくいらっしゃる不思議な夜である。

トーマスと名乗った彼はストックホルム近辺の出身であるものの、原発関係の仕事でUAEのアブダビに赴任中だと言う。あまり聞いたことがない珍しいケースだ。時差ボケを調整しに来たとお疲れ気味につぶやくそんな彼は、カウンターに置かれた卵かけご飯のPOPに目を留めた。

「これは何だね?」

「生の卵をアツアツのご飯にかけ、醤油をまぶすものです。日本では人気の食べ方なんですよ」

「食べてみたい。一杯オーダーさせてくれ」

「え?」

「だから一杯頼むよ」

「は、はい!!」

そんな予期せぬやりとりからスウェーデン人に卵かけご飯を出す流れになった(笑)。卵は宮城の竹鶏ファームから毎月送っていただいているブランド卵「竹鶏物語」。飼料に自家製の竹炭を食べさせているので卵特有の臭みがなくとても美味しいのだが、さすがにヨーロッパ人に禁断の生卵を出すに際しては緊張感が高まった。「なんだこれはぁー!!食えるかこんな気持ち悪いシロモノをっ!!」などとちゃぶ台をひっくり返されたらどうし・・・
 
「うまいじゃないか!もう一杯ぐらいいけそうなぐらいうまいよ!!」

拍子抜け、というよりはただの歓喜であった。西洋人が卵かけご飯に挑戦するのは、我々が得たいの知れない獣の脳みそを初めて食べるのに匹敵するぐらいの勇気を要する。そんな困難を乗り越えて、人生で初めて食べてみた卵かけご飯を掛け値なしに「うまい」と言ってくれた・・・。感動が渦巻きすぎて混乱に変わらんばかりの勢いだった。

「明日娘たちが来るんだ。あいつらにも喰わせてみるかな」

口元だけニヤリとさせたトーマスはそう言いおいて帰っていった。勇者の背中ってきっとああいう色と形をしているのだろう。クレア&ジャレッド夫妻が帰ったときとはまた異なる質の余韻に浸りながら、私は7年前にネイサンが言ってくれた言葉を思い出していた。

「僕らは“変幻自在”でちょっと一杯飲んで帰ろうと思ってたんだ。でも、結局長く留まることを選択した。それはここがただのバーではなくて、体験そのものであることがわかったからだよ。 (We decided to stay because we understood that this place wasn’t just a bar. IT WAS AN EXPERIENCE.) 」

ありがとう。なんかみんな、ありがとう。

(了)

*今回は日本になかなか来られない外国人の方が登場しているため影響が少ないであろうと考え、実際のお名前の通りで書かせていただきました。



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