『見ろよ、あれがチョコレートファクトリーだ』『ファイアーマン』

 2014年の12月。
 韓国にノンバーバルの芝居を見に行こう、と芝居仲間を誘ったら女子二名と男子二名が手を挙げた。
 男性の一人はかつてソウルに仕事で行った時に現地で『ナンタ』を見たことがあり、感動してその場でTシャツを買ったような奴だったが、他の三人はノンバーバルは初めてである。
 ノンバーバルとは『ノンバーバルコミュニケーション』というような使い方をされる言葉で『非言語コミュニケーション』とも呼ばれ、その名の通り「言語」以外の情報をもとに、相手とコミュニケーションを取る方法のことをさす。 具体的には、「表情」「声」「行動(演劇でいうなら動作、所作)」などの情報を用いた方法で、相手の気持ちを「目で見る」「耳で聞く」「体で感じる」という、人間の五感を多用したコミュニケーションの方法をいう。
 もっと簡単にいうと『言葉に頼らない演劇』ということだ。
 韓国はノンバーバルの演劇が発達していて、常設の劇場で常時いくつもの『ノンバーバル演劇』が上演されている。
 見ていない人達はとにかく『ナンタ』は必須として、基本的に自由行動にした。
 私のお勧めを幾つかあげた。
 ビビンバを作る『BIBAP(ビバップ)』。
 テコンドーを基本としたアクロバティックな『JUMP(ジャンプ)』など。
 それとは別に、ソウルには大学路(テハンノ)という有名な演劇街がある。
 大学路という名前の割には大学は2つしかないのに、劇場は約50もある大規模な下北沢のような街だ。
 そこはお笑いから軽演劇、そして小劇場、さらには三谷幸喜さんの作品や『アマデウス』『ジーザスクライストスーパースター』などまでが上演されている演劇ごった煮の区画だ。
 できたら、そこで私達の劇団がやっているような小劇場の作品も見ておこうというのと、まず、異国での演劇鑑賞に慣れておくために、ソウルに着いて皆で見る記念すべき一つ目の作品は、小さな劇場でやる演劇にしようとネットで予約をしておいた。
 大学路に到着し、皆で劇場に向かったのだが、それらしきものが見当たらない。
 地図が示すところに劇場はある。
 だが、そこに掲示されているポスターと演目のタイトルが違うのである。
 劇場が五十もある大学路にはインフォメーションセンターが完備されていて、劇場の案内、チケットの購入方法などをガイドしている。
 そこに出向いて聞いてみた。
 目指す演劇は、やはりさっき我々がたどり着いた劇場であるらしいのだが、演目が違うというのはどういうことなのだ? と、インフォメーションセンターのスタッフに聞いたところで「そこまではわからない」と言われる始末。
 とにかく、受付の始まる時間まで待ち、ネットの画面をプリントアウトした予約票を見せ、英語と日本と韓国語とジェスチャーを駆使して事情を聞いてようやく理解できた。
 韓国は日本の小劇場と違って、基本的にロングランする。
 向こうではロングランと言わずにオープンランというのだが、長くやっているうちにポスターをリニューアルしたらしい。
 それれはまあ、わかる、だが、わからないのはついでにタイトルも変えてしまったという。
 だから、ネットで予約してもらったものと同じものをロングランしているんですけど、タイトルとポスターが違うから、混乱したんですね、と言われた。
 混乱しますよ。
 地下にある劇場に降りる時「頭を階段の天井にぶつけないように」と注意されながら、五十席くらいの客席に足を踏み入れた。
 中野のあくとれのような劇場である。
 ど真ん中の席に我々は案内された。
 端の席にどうやら身内らしいカップル。そして、同じく友達らしい男が二人。
 お客は以上だった。
 幕が開いた。
 なんとなく、それまでの経緯から悪い予感はしていたのだが、それは的中した。
 おもしろくもなんともない。
 日本に居て義理で見る芝居のようなものだが、はるばるソウルまで来て知り合いなどいるはずもなく、義理などなにもない。
 なにもないどころか、こっちは飛行機代からホテル代からチケット代まで払ってみているのだ。
 ひどい芝居だと諦めようと思うが、こみ上げる怒りを抑えることができない。
 もちろん、それは並んでみている私の仲間達も同じ気持ちであることはその場に漂う空気でわかるというものだ。
「韓国の芝居を見て我々も少しは勉強せねば」などと言った私は芝居を見ながら「今回、見る芝居、見る芝居みんなこんなのだったら、謝らなければならないかもしれない、なんて言って詫びたら良いのか」と鬱々となってしまった。

 次の日から、それぞれがいわゆる有名どころのノンバーバルを見て、タッカンマリの店が建ち並ぶ達タッカンマリストリートで鶏肉にかじりつきながら、見た芝居について意見交換する、というのが二日続き、少しは演劇研修旅行の体裁を保つことができたのは幸いだった。
 そして……
 最後に『ファイアーマン』という先日オープンしたばかりの消防士の訓練学校が舞台となるノンバーバル芝居を全員で見た。
 開幕したばかりなのでネットにもあまり評判が上がってはいない。
 これは私が独断で皆に勧めた作品であった。
 初日を迎えたばかりの海の物とも山のものともわからない演劇に皆を誘って行くというのは賭けではあったが、それでもオープンしたばかりのノンバーバルの新作のクオリティはどの程度のものなのだろうか? ということに興味はあった。
 どこまで準備して、どこまでプレビューと手直しがなされているものなのだろうか。
 そこを見てみたいと思ったのだ。

 結論から言うと、非常によくできていた傑作だった。
 ラストが客席を巻き込んでお祭騒ぎとなるのだが、意図した大混乱ぶりに爆笑し拍手喝采送った。
 一緒に見た劇団員たちも「これが最後に見れてよかった!」「『ナンタ』よりも良かった」と、大絶賛だった。
 そもそも、私がソウルまで「ノンバーバル芝居を見に行こう」と声をかけた手前、圧倒的な満足が得られるものを見せて納得してもらわないと、なんともかっこがつかない。
 『ファイアーマン』によって、とりあえず私のメンツは保たれた。
 なによりも、日本ではまったく発展が遅れているノンバーバルというジャンルにおいて韓国の成長ぶりに目を見張った。

 そして、そんな韓国ノンバーバルツアーから帰国すると、メールが届いていた。
 来月つまり、新年一月の末に新装開店する短編演劇フェスティバル『神奈川かもめ短編演劇祭』の審査員をやってくれないかと言うものだった。
 「もちろん喜んで」と返信した。
 
 そもそも三年前に『劇王』審査員を頼まれた時は、別に審査員を御願いしていた方がドタキャンになったので、急遽代役での出場というものだった。
 その時に初めて『劇王』と言うコンテストがあることを知ったくらいだった。
 もともとは名古屋の劇団B級遊撃隊の佃典彦さんが始めたと聞いたことがある。
 その後、全国各地で開催されていたのだが、私は不勉強で全く知らなかった。
 全国各地で数多く開催されているために、ルールは次第に整備され次のようなものとなっていた。
1、上演時間は二十分以内。
  上演時間を超過するとその分得点が超過時間分減点される。
2、出演者 三人以下。
 私が参加したときは、観客が一人一票を投じることができ、審査員は三名から四名、観客数を審査員の数ではあり、それが審査員の各々の持ち点となる。
 例えば観客が九十名の場合審査員が三名であるならば審査員の持ち点は90点割る3で、30点となる。
 そして審査員の持ち点は参加した四団体に対して自由に振り分けても良いことになっていた。
 すべての団体の上演が終わった後、それぞれの劇作家と演出家、審査員の面々が舞台に登壇し、その場で講評、そして簡単な質疑応答がある。
 その間に観客票が集計され、最後に審査員の持ち点が発表されていく。
 そして、それにプラス観客票が加わり、総合得点が高い団体がその回の優勝者となる。
 それが四回行われ、千秋楽に当たる最終日には各回の優勝者四団体による頂上決戦が行われる。
 そこで最高得点を獲得した者が晴れて『劇王』の称号を得ることなるのである。

 私は東京大会に幾度か、そして神奈川大会に二回、審査員として呼ばれた。
 その後、どういう経緯なのか詳しくは知らないが『神奈川劇王』は行政が参加することとなり『神奈川かもめ短編演劇祭』名を変えて開催されることになったのだった。
 この『神奈川かもめ短編演劇祭』通称『かもさい』は日本全国の劇王の優勝者、神奈川の劇王の常連、そして韓国からも二団体招聘する大きな規模のイベントになっていた。
 私は審査員として参加した回は、名古屋の団体、神奈川の団体、四国の団体『シャカカ』そして韓国の団体の四つが上演された。
 講評でも言ったのだけれど、四国の劇団『シャカカ』の自由度と破壊力は凄まじく私は大好きな型破りな演劇だったのだが、その後登場した韓国の一人芝居は演劇での完成度が圧倒的に高かった。
 
 私は過去に二回、岸田国士戯曲賞にノミネートされたことがある。
 受賞作は主催している白水社が後に出版するのだが、その時巻末に戯曲賞の選考会の様子のレポートと審査員のコメントを掲載される。自分が一回目の落選をした時は、鄭義信(ちょんういしん)さんが『ザ・寺山』が受賞された。その時の野田秀樹さんの講評がいかにも野田さんらしいもので、今でも覚えている。
「普段いかに(演劇を)走り込んでいるのか? は、その人の踵を見れば、そこにできている靴擦れでわかる。私はこの作品の靴擦れを推す」と。
 四国のシャカカは短編演劇としていとおしく、かわいらしい作品だった。
 だが、韓国からやってきた劇団が展開する演劇の衝撃にはひとたまりもなかった。
 韓国語で叫ぶために言葉もよくわからなければ、天井から太いロープがぶら下がっているだけの素舞台で役者は駆けずり回る。
 客席はもちろん、上演中に劇場の廊下まで走りだしていて大声を上げていた。
 発散する肉体が放つエネルギーはもちろんのこと、そんなでたらめなことやっていながらもけして観客を置き去りにしない、バランスのとれた演劇的時間の構成力に感心した。
 私はこの作品に野田秀樹さんが言うところの「普段(演劇を)いかに走り込んでいるか」という靴擦れの跡を感じた。
 講評では四国の劇団シャカカを褒めまくったものの最後に「これだけ絶賛しているのに申し訳ないが得点には期待しないでくれ」と言わざるを得なかった。
 私はその持ち点三十四点を名古屋に二点、神奈川に四点、四国のシャカカに(この四国のシャカカ、という劇団名をしつこく繰り返し書いているのは、名前だけでも覚えていて欲しいと切に願っているからだ)に八点。そして韓国の劇団に残りの二十点をブチ込んだ。
 審査員の投票点数は一団体ずつ発表される。
 司会が私の韓国の団体に入れた「二十点」を読み上げた瞬間、客席がどよめいた。
 だが、一番驚いていたのは舞台上に並んでいた並んで座らされていた作演出の韓国人の演出家とキャストの男性だった。喜ぶと言うよりも呆然としていた。目をまん丸にしてだ。
 しかし、残念なことに私が掟破りのような大量得点を投下したものの、最終戦には別の団体が進むことになった。
 ちなみにこの時の他の審査員の点数配分を記しておく。
 八ー八ー十ー八
 十ー七ー八ー九
 四ー四ー十二ー十四
「二十」が出た時にどよめいたというのはおわかりいただけるだろうか?

 『かもさい』の会場は横浜のKART。
 その近くの店で合同の打ち上げが千秋楽の後に催された。
 私が別の回の審査員を担当した鴻上尚史さんと初めてご挨拶をした。
 お話しをするのは実は三十年ぶりだった。
 この鴻上さんと第三舞台の話はまた別の項目で書くつもりだ。
 しかし、挨拶をするかしないか、というところで演劇祭の実行委員の方が私のところにやって来て言った。
「じんのさんが、大量得点を投下した韓国の団体の方たちがお話をしたいと」
 通訳と共に二人はやって来て「ありがとうございます、ありがとうございます」と何度も丁寧に頭を下げた。
「いやいや、でもほんとよかったですよ。アンニョンハセヨ、カムサハムニダ、チャルプタカムニダ」と知っている韓国語をとりあえず並べて挨拶した。「私は、韓国のノンバーバル演劇がとても好きです。実は先月のうちの劇団員と一緒にソウルに行きました。そして幕が開いたばかりのノンバーバルの演劇『ファイヤーマン』にとても感動しました。あなた達は『ファイアーマン』をご存知ですか?」
 作、演出を担当しているオ・チウンさんは言った。

「僕はその『ファイアーマン』の演出です」


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