連作一人芝居『我々もまた世界の中心』アスファルトの河

『アスファルトの河』
  交通量調査をしている今野通雄。
  その右に藤井さんがいる。
「藤井さん…あの犬、また帰ってきましたよ…ああ…尻尾振ってるよ…嬉しいのかな…か
まってもらって…
 飼い犬かな…野良犬って事はないですよね……こんな駅の近所で…ずっといますね…ここにこの三日間…動物ですか?
 ええ…ええ……嫌いですよ…
 おお! おお! おおっ! なんか…人がくしゃみする瞬間って、緊張しちゃいますよね…あ…ありますか? ティッシュ…(と、読んで)ダイヤルセクシーアニマルのティッシュでよければ(と渡す)水道橋でもらったティッシュなんですけどね…大丈夫ですか? ずいぶん悪いみたいですけど…本部の人に言った方がいいんじゃないですか?
 ああ…来ますよ…人の波が…男、女、男、女、男、男、男、子供、男…これあれですね…もっとまんべんなく均等に人が通ってくれると助かるんですけどね…そうそう、こっちの都合のいいようにはいかないですよね…
 なんて名前なのかな、あの犬…(呼びかけてみる)ポチ! ポチ! なんてことないですよね…犬と見たらポチと思う…
 ジョン!(犬が反応しない)
 タロ!(反応ない)
 …あ…他に犬の名前ってなにがあるのかな…犬の名前…犬の名前…
 ケンタ!
 あ…尻尾、ちょっと振った…近いのかな…ニアピン? 言ってみるもんだな…
 藤井さん…大丈夫ですか、風邪…何か目がショボショボしてますよ…
 寒気がする? だって、そんなに薄着してちゃ…
 まあね…昨日まではね…晴れてたからよかったけど…今日なんか…木枯らしが…」
  と、天を見上げて。
「あれ…今なにかきませんでしたか? ポツンと…冷たいのが…
 雨か…いや…霙だ…どうする? 逃げられませんよ…このバイトは…12時間きちんと働かないと…もらえないんですよ…藤井さん…今日遅刻して来たぶん、引かれるんでしょう?(念を押す)引かれるんでしょう……ですよね…キビシイ条件になっちゃうんですよね…単発のバイトって…
 (犬に)おーい、ケンタじゃないとすると…ケンタロウ…ケンジ…あ、わかった! ケンケンだ…(藤井に)当たった…当たった…そうですよ…こいつの名前、ケンケンですよ…うわ…言ってみるもんだな… (犬に)ケンケン…ケンケン…急に親近感を持ったみたいだな…ケンケン…俺、お前とうまくやっていけそうだよ…
 ケンケン!
 ケンケン!
 こっち来い!
 あれ?
 駄目だ…寄りつこうとはしないよ…
 藤井さん…熱出てるんじゃないですか?
 顔真っ赤ですよ…お猿のようですよ…だからなのかな…ケンケンが藤井さんに寄りつかないの…ほら…犬猿の仲って言うじゃありませんか…(見上げて)本格的になりそうですよ…まずいな…降ってきたな…粉雪が…
 時間ですか?(と、時計を見て)もうすぐですよ…もうすぐ終わりですよ…7時になります…ここにこうして座って、12時間になるんですね…
 頑張りますか? 頑張ってみますか? もう少しですよ…今本部に救援なんか求めたら…せっかくの苦労が水の泡ですよ…さっぴかれますよ…絶対…
 熱あります? 悪寒?
 道行く人が二重に見える?
 駄目ですよ…余計にカウントしちゃ…
 あ…目の見えない人だ…
 あ…本当だ…大丈夫かな…あ…すごい、すごい…避けたよ…なんでわかったのかな…自動車が停まってるの…ひとりですよ、藤井さん…目の見えない人は今ひとりでしたよ…
 藤井さん…藤井さん…(と、カウンターを叩きながら、隙を見ては、藤井君の肩を叩く)寝たら駄目だ…こんなとこで寝たら駄目だよ…寝たらよけいに体温が低くなるよ…目をつぶるんじゃない…頭がボオッしてきた? まずい…まずいよ…
 なんかさあ…楽しい事考えましょう…楽しい事ですよ…そうそう…今までにあったでしょう…何か楽しい事が…何でもいいから…藤井さん! なにかあるでしょ…そんな事言わないで…人間はね、みんななにかの使命を持って生まれてくるんですよ…この世にね…必要のない人なんて、ひとりだっていないんですから…
 藤井さん…体が弱っている時はね…ついつい心も弱くなっちゃうんですよ…
 チョコレート食べますか? チョコレート…」
  と、ポケットから食べかけのチョコを取り出す。
「よく雪山で遭難した人が、チョコ噛って持ちこたえて救助されたっていうじゃないですか?
ああ…だめだ…人の波が来た…
 今!
 …今の人、女だった? 男だった?
 いや、二人連れじゃなくって…またふたりに見えたんですか?
 ひとりでしたよ…ひとり…同じカウントでないとまずいな…じゃ、男ってことにしましょう、男…ふたり一緒のカウントでないと…いや、今言ったふたりっていうのは、ふたり連れの事じゃなくって…ひとりの男か女かわかんない人の事を言ってるんですよ…
…瞼が重い?
 藤井さん…今のはちゃんとカウントしたんでしょうね…今の…結構大きな波でしたよ…あ…チョコ…(と、渡す)チョコ食って元気出して下さい…大丈夫ですか? 寒気がこれで少しでもおさまると…」
  と、藤井が突然ギャ! といった。
「どうしたんですか、藤井さん!
 そりゃ痛いですよ…銀紙はきちんと剥して食べないと…もっと体を寄せ合う?
 体をですか?
 (いかにも嫌そうに)嫌がってはいませんけどね…
 手に持ったチョコが溶けて来た? そんなに熱があるんですか?」
  しかたなく椅子をずらして、藤井の方に寄る。
  すり寄ってくる藤井。
  嫌そうな今野。
「(情けなさそうに)ケンケ~ン…そんな目で見るなよ…人命救助やってんだからよ…
藤井さん…藤井さん、寝ないで…僕にもたれかかって寝ないで…ここは電車の中じゃないんですよ…藤井さ~ん、ここは路上ですよ…路上で寝ていいのは、レゲエのおじさんだけですよ……ああ…朝からいったいどれだけの人が通ったかわからないけど…藤井さんがここでこうして高熱を出しているというのに…誰ひとり……
 ああ…そうだ…朝からここを通った人間の数って、すごい正確にわかるんだった…僕はそれを数えるためにここにいるんだった…
 寝ないで…」
  と、ドツく!
「怒らないでくださいよ…親切なんですから…一発は一発? なに子供みたいな事言ってるんですか…ほら…下向かないで…
 (と、耳を寄せて)え? なんですか? 誰か道行く人に助けを求めるんですか? そんな事したために、給料引かれるって事ないですよね…だって、藤井さん、今朝遅刻して来たら少し引かれちゃったんでしょ…なにかっていうと、こういうバイトって給料引いたりしますからね…
 真面目にこつこつ働けばよかった…
 切実ですよ…だって、うち、昨日電気止められちゃったんですよ…そうそう…払ってないから、電気代…ええ…
 え?
 うそ!…昨日停電だったんですか? 
 だってひと晩中ですよ…俺、真っ暗な中で、トイレに行ったもの…ひと晩中停電だったんですか?
 ええ…ええ…俺が寝てる間に、世間では大事件が起こっていたんですね…
 俺、てっきり電気止められたんだとばっかり思ってたよ…
 そうか…寝てる間にそんなことが起こっていたんだ…そういうこと考えると怖いな…寝てる間に人類が 絶滅しちゃったら…気がつきませんものね…誰ひとり…怖いな…
 総武線のあの一帯が…全部…停電か…なんだ…じゃあ…今日は明るいトイレでおしっこ出来るんだ…なんて、今日帰ってみたら、電気止められてたりしてね…」
  と、自嘲するように笑う。が、ケンケンがこっち見てるのに気づいて。
「お前まで笑うなよ…ケンケン…(藤井に)いや、今、一瞬ケンケンが俺に薄ら笑いを浮かべたように見えたんですよ(ケンケンに)いいよな…お前は…仕事もしないで…そうやって…
  あ! 
  そうだ!
  (と、藤井に)どうですかね…ケンケンの首に手紙を巻いて、本部に毛布を持ってきてくれっていうのは?
 SOS! でもいいですよ…いや、もちろん名前は書いておきますよ…でないと本部だって困るでしょ…首にSOSつけた犬が迷い込んで来ても…
 よし! じゃあ、ケンケンこっち来い! ケンケン! ケンケン! 大丈夫ですよ…ラッシーで見た事ありますから…
 こっちこいよ…ケンケン…駄目だな…使い物になんない犬だな…本当に…
(と、時計を見て)もうちょっとで7時になりますよ…
 ケンケン! ケンケン! 今日でこのバイト終わりだからな…明日また、構って貰おうと思って、ここに来ても駄目だぞ…藤井さん…(ケンケンを指差して)こいつばかそうだから、今日こんなに構ってやったら、絶対明日ここにまた来て、じっと待ってますよね…ね!
 (と、気がついたように)どうしましょう…明日だけじゃなく、明後日も、明々後日もケンケンここで俺達を待ってたら…忠犬ケンケン…」
 藤井さんが『美しい話じゃないか…』と、言った。
「そうですか? そうかな…美しい話ですかね…新聞には、待ち惚けの犬、駅前で野垂れ死にって出るんじゃないですかね…ケンケン…そういうわけだからさ…ケンケン違う違う、尻尾ふれって事じゃないんだよ…おーい、ケンケン…今度はどこ行くんだ? 藤井さん…藤井さん…ケンケンって、僕達が持ってない物を持っていますよね…
 ええ…僕達が持っていなくて、ケンケンが持っている物ですよ…
 いや、暖かい毛皮じゃなくって…
 わかりませんか?
 『自由』ですよ…
 そうですよ…だってほら、ケンケンは自由じゃないですか…僕達と違って…
 ケンケン…今度はどこに行くんだ?」
  と、それを目で追って行く。
「ケンケン…ケンケン…じゃあな…
ケンケンって、目つき悪いな…顔だけ見てると狼みたいですよね…
ケンケン言ったからな…俺達明日来てもいないからな…藤井さん…これがケンケンの姿を見る最後になるかもしれませんよ…」
  と、藤井さんの様子を見る。
「藤井さん…藤井さん…ああ…よかった息はしてるよ…あ、また人の波が来た…
人の波は、ケンケンの去って行った方に向かっている。
男…2…女…1…男が…3…」
  と、その人の波を見送ると視線は遠のいていくケンケンへ…
「ケンケン…あんなに小さくなっちゃったよ…
 自由だよな…」
  まだ人の波は続いているよう。
「女2…女1…男1…(と、ケンケンを見て)ケンケン1…男2…男1…」
  暗転。

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