日本バスケ界の希望である渡邊雄太という男



真っ暗な14年間。


長かった。


日本人初のNBAプレイヤーが誕生し、そしてわずか4試合の出場後に解雇されてしまってから、次の日本人プレイヤーが現れるまでにかかった年数だ。

 

やはりNBAは日本人には無理なのか。明けない夜も有るのではないか。

 

そう思い始めていた中で誕生したNBA史上2人目の日本人。


それが渡邊雄太である。


今日は彼の凄さを3分間で説明しよう。


父親は身長190cmの元実業団バスケ選手。母親は元女子バスケ日本代表の主将で、日本リーグMVPプレイヤーだ。

 

バスケをする事が運命付けられた血統である。

 

206cmの長身と抜群の運動能力は両親からのギフトだろう。

 

もちろん渡邊雄太の凄さは血統によってのみ形作られたのでは無い。

 

小学生の頃から休み無く続けてきた毎日のシュート練習。多い日は1000本のシュートが入るまで練習を続けるという漫画のような努力を重ねてきた。

 

高校時代は2年連続で全国大会準優勝。大会ベスト5に選ばれた。


NBAプレイヤーになりたい。


その夢を叶えるために高校卒業と同時にアメリカへ。

 

ジョージワシントン大学に入学し、さらなる高みへの一歩を踏み出した。

 

元々線が細かったが、屈強なアメリカ人と戦うために筋力トレーニングを重ねた。持ち前の運動能力を活かしたディフェンス力を鍛えた。

 

大学4年時にはチームのキャプテンでエースとなり、チームの顔となる存在にまで成長した。

 

有力選手としてメデイアに取り上げられるような活躍をしたが、大学リーグの決勝トーナメントへの出場は叶わず、NBAのドラフトにはかからなかった。


しかし、それでも渡邊雄太は諦めなかった。


NBAシーズンオフ中に行われるサマーリーグに参加。若手選手の見本市のようなリーグである。

 

ここで、渡邊雄太はNBAのスカウトの目に留まる活躍をしたのだ。

 

結果、メンフィス・グリズリーズとの契約を勝ち取ることになる。


2018年10月27日。

 

ついに2人目の日本人プレイヤーとしてNBAのコートに立ったのだ。


両親からもらったバスケ向きの肉体。そして毎日の練習で身に付けた高確率のシュート力という日本で築き上げた土台。

 

その上に、アメリカで鍛え上げた筋肉と献身的なディフェンス力が加わった。

 

それがNBAプレイヤー渡邊雄太だ。


そんな渡邊雄太を擁する日本代表チームのニックネームはAKATSUKI FIVE。

 

9月1日から始まるW杯で、日本男子バスケの夜明けに刮目せよ。



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